第36話 カエル

 翌朝、太陽が東の空に顔を出してすぐ。トーマが一階の玄関広間に降りると、荷物を床に置いたイヴァンとアンドレイが居る。皮張りの長椅子に座って何か話していた。


「良い朝だな。ユリーは?」

「まだ部屋で寝てる」

「良い朝だトーマ。すこししたら朝めしができるから、ゆっくり食ってから第2便で川を渡ろう。どうせ始発は混んでてみんなで乗るのが難しい」


 寝癖頭で降りて来たユリーも合わせて、4人で朝食を食べる。たっぷりの羊チーズと蜂蜜を乗せて焼いた薄焼きパンだった。貴重な羊チーズが一人前で一掴みは使われているのではないか。いくらするのか聞いてみると、宿賃に含まれていて特別料金は払っていないという。


「信じられないな。こんなの他所なら大銀貨半分はするんじゃないか?」

「プラムーシでは草原を生かして『放牧』ってのを試みてるんだと。器持ち数人で羊の群れを護衛しながら、街の外で草を食わせるんだ」


 それで羊に関するものが安くなるだろうか。人件費が大変そうであるが。

 いずれにせよ、見通しがよく魔物の接近にすぐ気づける場所でなければ成り立たないやり方だ。

 他の土地で羊の群れを街の外に連れ出せば、つのザルや物真似ギツネなど、家畜好きな魔物を森から誘い出してしまう。もちろんつ足オオカミも羊を襲う。


 朝食を済ませて飲み水も詰め替え、渡し場に向かって通りを東に進む。材木が潤沢に使えない土地柄だからか、木造建築が少ない。

 昨日は暗くて気付かなかったが、石造りの建造物も他と雰囲気が異なるようだ。

 石の色合いはこれまでの街でもさまざまであったが、プラムーシの壁石は大きな煉瓦のように四角く形が整えられていていて、石の隙間を埋める漆喰が少ない。やはり土の質に関りがあるのか、あるいは単に文化的な違いかもしれない。


 堤防を上ると、コーバーの街以来丸1日ぶりにトーマはニストリーの流れを見た。蛇行しながら草原地帯の北部を千キーメルテにわたって流れ、ここまで来た水はもうすぐ大湖海に流れ込む。川幅は3百メルテは超えているだろう。


 丸太で土を留めて作られた階段を下り、河岸に設置された渡し場に着いた。木の葉の形をした10人乗りくらいの船が小さな桟橋の杭に繋がれている。

 客はトーマたちの4人他に一人。旅人ではなく街の住人のようだ。ここプラムーシは川の両岸に市街が広がっている。対岸に何か用事があるのだろう。


「もう何人か来たら、渡しますのでね」


 船内で縁に腰かけているしわしわ顔の老人は、上下つながりで丈の長い女物のような服を着ている。いや、頭から被って着る服ではなく、前合わせがあるので違う種類の衣類なのだろう。下にはズボンも履いていないようだ。

 老人は靴さえ履いておらず、前合わせの隙間からのぞく脛も丸出しである。上には暖かそうな毛皮の短外套を羽織っている。


 しばらく待っていると大荷物を背負った3人組の旅商が渡し場にやって来た。


「それじゃぁ、出しますでね」


 船頭の老人が差し出す手に、アンドレイが「4人分だ」と大銀貨1枚を渡すと、小銀貨1枚が釣で帰ってきた。一人分の渡し賃が小銀貨1枚。客は7人なので合わせれば大銀1と小銀2。これは第2便らしいし、往復で稼ぐならかなりの収入である。


 客が全員乗り込むと重さで船は沈み込み、ゴトンと音を立てて船は川底に接触してしまう。もやい綱がほどかれても船は動かない。

 船首に立った船頭の老人は積んであった細首の壺を傾けると、中の水を左手に垂らした。垂れた水はそのまま川面に吸い込まれるように流れていく。

 耳を澄ますと老人が呟くような小さな声で呪文を唱えているのが聞こえる。


願い奉るモタティデジム  滔々たる大河のオドマンネチケンラム…… その御力をジャ ファンプタス …… 顕わにヤイーン…… 現しボーレ……』


 あまり聞き取れないが精霊言語の呪文である。トーマの使う魔法とは違う魔法体系。階梯50超えの【水の導師】の老人が使おうとしているのは『精霊顕現魔法』である。

 呪文を唱え終わると同時に壺の水を全て流し終える。荷物と8人の人間が乗った船がゆっくりと持ち上がった。


 船の周りに川と同じ少し濁った水が盛り上がっている。舟の後ろを見ると、盛り上がった水の塊は動物の腰のあたりのような形をしている。


 ぐんっと加速して船が前方に進んだ。数メルテ進んで減速し始めると、もう一度加速する。水深が深くなり船の喫水線が周りの水面と同じ高さになると、速度が安定してきた。対岸につくのに3分もかからないだろう。


「すごいでしょ? プラムーシに来るまで顕現魔法を見たこと無かったんだけど、トーマは?」

「西の方にも渡し舟はある。何度か乗ったし顕現魔法も見た。これくらい見事なのは初めてだが」



 実はトーマは火精霊顕現魔法に挑戦してみたことがある。

 38階梯の時だったが、偶然出会った【火の導師】の指導の下、丸1日大きな焚火に向かって呪文を唱え続けた。マナを全部食われ、焚火の炎がケヅメドリのような形に変わったまでは良かった。

 しかしそのまま10分間、顕現した精霊は薪が燃え尽きるまで静かに燃え続けるだけだった。精霊の意思などかけらも感じ取れず、やはり『導師系』の魔法使いでなければうまくいかないとトーマは諦めている。


 水棲の魔物は精霊の気配に怯えているのか舟に近づくことすらなく、無事に対岸の桟橋まで渡りきることができた。船が接岸するときに見えた権限精霊の頭部の形はやはりカエルにそっくりであった。使う者や環境によって顕現魔法の精霊は姿を変えるという。


 東岸の市街を駆け抜け、東の街門から街道に出る。

 南に大湖海を臨む海岸沿いは、幅500メルテほどの範囲にわたって木がほぼ生えていない。草原地帯と同じ移動速度が出せる。

 隣を走るユリーが話しかけてきた。


「ねぇトーマ。昔から不思議だったんだけど、なんで海の側には、人が住んでないのかな? 木が無くて広いから、住みやすいんじゃないの?」

「この辺で井戸を掘っても、塩水が出てくるんだと思う。海でも川でも魔物が棲んでるのは一緒だが、真水の川が近くに無いと、人里は作れないんだよ」

「はぁー、なるほど」


 真水が豊かに使えなければ農業もできない。森を切り開く手間がかからないからと言って、海岸沿いに人里が作られることはあまり無いのだ。



 プラムーシを出てから一刻半ほど走ると街道は海岸を離れて森に入った。

 なんでもニストリー川とアクラ川の間にも大湖海に流れ込む中規模の川が流れていて、中流域に橋が架けられているという。

 幅が広くなる河口付近では難しいが、川の流れが谷を作っているような中流域なら吊り橋を建てることができる。



 昼頃に4人は立派な吊り橋のかかった谷にたどりついた。

 カシ材の大きな柱が岸に2本建てられ、横木で固定されている。上部に開けられた穴につる植物製の綱がそれぞれ通されて、対岸の2本の柱まで伸びている。2本の綱はつるが何本も縒り合されてできており、トーマの脚より太い。

 太綱からまた細い綱が数十本垂らされて橋板を支えている。


 谷はそこまで深くないので、仮に落下しても『器持ち』のトーマ達なら大きな怪我はしないだろう。水棲の魔物に襲われなければだが。


 橋の長さは30メルテほど。流れの速い川を越え、引き続き森の中の街道を走り続ける。

 アンドレイの【利き耳】の異能のおかげで、見通しが効かなくてもあまり速度を落とさずに済んでいる。だが陽が沈む前にライマーンに着くのはやはり不可能だろう。常識的にあり得ないが、夜も移動し続けたとしても到着は深夜になってしまう。




 西の空に少し赤みがさしてきた頃になって、進む先に山のように大きな岩が見えて来た。高さ20メルテはある。街道が傍を通る岩山は、全体的に四角い箱のような形をしている。そうなるように切り出されたような印象を受ける。


「到着だ。今晩はここで一泊する。早朝にライマーンに向かい、取引が済んだら取って返し、またここで泊まる。二晩連続の岩山泊まりだ」


 アンドレイはニヤニヤとトーマを見ている。

 垂直に近い岩肌にはプラムーシ西門横のように足掛かりが掘られていて、半ばほどの高さに洞穴が見える。洞穴の数は5つで、入り口は縦長の楔形。明らかに人工的に掘られたものだ。


「吊り橋といい、この洞穴といい、本当に交易路としての整備が進んでいるみたいだな。誰が主導してるんだ? ライマーンの政府か?」

「ライマーンは新興の都市だからなぁ。主導してるとしたらグロロウの領主賢者様じゃないか?」



 トーマがラナデセーノ政庁図書館で調べた情報によれば、東西交易の西側玄関口、城塞都市国家グロロウの領主は名をクローヴィスという。

 現在49歳の【賢者】保有者である。

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