第35話 焦火

 プラムーシに到着したのは日が暮れてからだ。秋の日暮れは早い。

 日の2刻初めにコーバーの街を出発してほぼ真東に10刻間走り続けた。トーマが見た地図では300キーメルテ弱の距離。


 地図上の距離など当てにならないとはいえ。

 日のあるうちには到着できないと、走りながらトーマは思っていた。

 やはりプラムーシの街門は閉まっている。どうするのかと思っていると、アンドレイが門の上に立っている見張り番に、白銀色の手のひら大の金属板を見せながら何か話している。

 話がついたのかトーマの方に手を挙げる。


「おーい。ここ、登って入るぞ」


 見張り番がどこから持ってきたのか、松明で門の外側を照らしてくれている。アンドレイは門の脇の部分をよじ登ってゆく。

 普通、街の石壁は表面を平らに整えられていて、なるべく凹凸が目立たないようにしているものだ。

 アンドレイが登った部分をよく見れば、左右互い違いに石壁に窪みが作られている。窪みはつまさきが突っ込める程度の深さで、一種の梯子はしごのようになっている。

 人間以外でもサルの魔物であれば登れてしまうが、見張りがしっかり見ていれば街の安全に大差はないのかもしれない。

 この窪みがあろうとなかろうと、『器持ち』ならいくらでも壁を越える方法はある。身軽な者ならばあるいは常人つねびとでも、石の隙間に指を掛けて登ることは可能かもしれない。


 トーマが高さ6メルテほどの石壁を上りきると、アンドレイは見張りの男に何か渡していた。「手間賃だよ」とトーマに言い訳をする。賄賂でも別に咎める気はない。


「それよりさっきの金属板はなんだ?」


 アンドレイは「これか?」といって手のひら大の白銀色の金属板を懐から取り出して見せてくれた。


「ライマーンで出してる交易商の証だ。ここプラムーシでもある程度、信用の証になる」


 見張り番が見張りを中断して、4人を門の内側、待機所らしき小屋に居る役人に引き渡した。

 時間外の入街審査が始まる。ここでも交易商証と「手間賃」が功を奏し、問題なく認められた。


 待機所から出るとユリーが腰の袋から何か取り出し、火精霊小魔法の呪文を唱え始めた。


 『火の精霊よゼ ファンヴルクン 食らって育てオグコン グロップ 明るく照らせパル コート 明火パルキッパー


 ユリーの掌の上の黒い小石大の物が、白く明るい炎で包まれた。炎の大きさは媒介を薄く取り巻く程度に維持している。

 火魔法使いは魔法の炎の熱が自分を害さないよう、指向性を持たせて操ることができる。『マナ操作』が大きければできるというものではなく、慣れた者でも思考力と集中力を酷使する技術だ。

 ユリーは宿に向かう道中、四半刻のあいだ掌中の炎で道を照らし続けた。熟練の技と言っていい。


 到着した宿はアンドレイ達の行きつけであるという。食堂で4人に提供された夕食は軟骨質の多い川魚の汁物だ。塩は薄く、そば粉でとろみがつけられている。

 食べながらの雑談の延長で、それぞれの身の上などを話すことになった。【賢者】であることはもう話しているので、トーマにも隠し立てすることは無い。


 アンドレイとユリーはワッセニーの北側の都市ノバロフの出身で、二人は親類であるという。

 ノバロフは器持ちで構成される『戦士団』代表の合議制によって物事を決定するという、人口1万人規模の街である。

 最有力の戦士団の長の三男として育ったアンドレイ。その家に両親を流行り病で失った幼いユリーが引き取られ、育てられたらしい。

 二人の年齢差は13歳もあるとのことで、兄弟のように育ったという感じではない。

 驚いたことにユリーは『魂起たまおこしの』で目覚めたのではなく、15歳の時に自然に『魂の器』を得たという。そうでなければ、性格的に戦士に不向き思われていたユリーは『器持ち』にはならなかっただろうと、アンドレイは言った。


 イヴァンはコーバーの北にある開拓村の出身で、腕と階梯を上げるための修業の旅の途中、ノバロフの隣街ヌバウルドを訪れた。そこで腕前と【羽足】の異能を見込まれて両替商に雇われ、郵便役として働いていた。

 アンドレイとユリーがその両替商にも金貨交換の話を持ち込み、誘われて今に至るという。


「アンドレイが思いついたのか? この商いは」

「ライマーンに協力者が居るっていったろ? ユリーと二人で絹糸の買い付けに行ったとき、東方出身のそいつと話している中で、こういう儲け方があるぞと教わった。別に俺たち独自の商いじゃなく、知られてないだけでやってるやつは他にもいるはずだ」

「ん? きぬ糸とは?」

「絹を知らないのか? こっちでもたまに見るだろ」


 なんでも東方からやってくる高級な糸で、作り方が分からないが艶があって美しい布を織ることができるらしい。そういえばどこかで素材の分からない美しい布を見た気もする。


「しかし、そうなると気になるな。金貨交換の商いや、そのきぬ糸の商いもあるのに、なんでニストリー草原地帯は交易路として発展していない? 俺たちは一日でここまで来れたが、普通は間に宿場町くらいできてもいいんじゃないか?」


 午後にも7人組の商隊とすれ違っている。午後にあの位置にいたということは、今日のうちにコーバーまで着けるはずがない。トーマたちの休憩した廃虚のようなところで野営になるはずだ。あそこはもっと、せめて多少は安全が見込める宿泊所くらい整備されていなければおかしい。


つ足オオカミが出るからじゃないのー?」

「六つ足はそれほど強い魔物じゃない。大きな群れでも、コーバーの街の手練れが集まれば討伐できるはずだ。それだけが理由とは考えにくい」


 アンドレイは何か知っているのではないか。


「いや、そんな目で見るなよ。東方との交易路はここだけじゃない。というかこっちは新しくできたほうだ。アクラ川をずっとさかのぼったところの、グロロウっていう城塞都市。そこから直接西に延びる街道が元々の東西交易路なんだ」

「そっちの方が往来が盛んなわけか」

「どうだろうな? 行ったことがないからわからないが。近いうちに草原地帯の街道も整備されるとは思うぞ。されないほうが俺たちの強みにはなるけどな」



 ここプラムーシの街で渡し舟を使いニストリー川本流を越え、さらに東のアクラ川河口近く。ライマーンの街まで行っても東方はまだ遠い。

 アクラ川はニストリーよりもずっと大きな川であり、川幅の広い河口域では渡るすべがない。ライマーンからさらに北、アクラ川の上流沿いにある城塞都市グロロウのあたりで川を渡って、ようやく東方ということになる。

 東方は言葉がろくに通じないというので行く気は無い。階梯上げをするならアクラ川西岸を狩りあさってみようかと、トーマは考えた。




 狭い部屋だったが一人部屋であった。トーマは荷物を下ろして寝台に腰かけると、獣脂ロウソクを取り出して『明火パルキッパー』の呪文をすばやく思考詠唱した。とーまが指で触れるロウソクの芯に火が灯る。

 火でロウソクが一部融ける。液体の部分を寝台横の台にたらして、その上にロウソクを立てる。こうすれば液体は冷えて再度固まり、倒れにくくなる。


 ロウソクの明かりを頼りに、荷物から青鉄杯とラケーレのお茶の葉を取り出す。葉を青鉄杯に入れて水を注ぎ、一旦ロウソクの横に置いた。

 ナラの枯れ枝の上部を、少し指で毟る。親指ほどの大きさの木片にマナを流し、『明火』と少し違う呪文を、あえて発音して詠唱した。


 『火の精霊よゼ ファンヴルクン 食らって育てオグコン グロップ  燃え盛れロン ノーフ 焦火ロッコロン


 トーマの左の手のひらの上の木片が、赤黒く燃え上がった。『明火』とは違い、光量ではなく熱量を重視した火精霊小魔法。

 持ち手を手ぬぐい布で包んで、青鉄杯を炎の上にかざす。中の水は制御された熱で効率よく温度が上がってゆく。


 杯をゆすりながらしばらく、約3分でほどよく湯気が上がって来た。同時に木片は燃え尽き、手の中にわずかに残った白い灰を部屋の汚い床に吹き落とした。


 これが最後の一杯になる。宿に泊まるたび、こうやってちまちま飲んでいたので、師匠ラケーレお手製のカーキーの葉のお茶はもう無くなってしまった。

 葉が口に入らないよう唇で押さえながらお茶を飲み干すと、トーマは寝台に横になった。


「代わりの飲み物はどっかに売ってるかな……」


 小さな呟きにはため息が混じっていた。

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