第34話 黒スモモ

「アクラ川より東、俺たちが東方と呼ぶ地域にこっちの金貨を持ち込むと、重さにして1.4倍のむこうの金貨と交換ができるんだよ」

「そんなバカな。なんだってそんなことになる?」


 実は金貨の価値が地域によって変わっている事はトーマも経験上知っている。

 ワッセニーの北、北海に面する地域を支配しているジェルムナという民族。

 彼らは金貨や銀貨といった貴金属硬貨をあまり信用せず、通貨がわりに宝石を用いることが多い。

 そういう地域では金の価値が低いという事になるのはわかる。だからこそトーマも財産の一部を宝石に変えて持ち歩いているのだ。

 だが同じ金貨同士で価値が変わるというのは理解が出来なかった。


「そもそも東方は最近まで都市間交易ってものをしていない。一つの都市や狭い地域内での取引なら物々交換の方が簡単なわけだ。だから東方にある金貨っていうのは権力者がため込む宝物って扱いで、通貨としては機能してなかった」


 アンドレイは塾の教師が生徒に言い聞かせるときのように、右手の人差し指で天を指しながら語りだした。


「だから大きさや形や金の含有率なんかもめちゃくちゃで、同じ重さであっても価値がバラバラ。おまけに贋金が混じることもあって、とても商人が安心して使えない。そこにこっちの金貨が持ち込まれる。西側地域のどこでも使えることが分かっていて、含有率は9割以上と決まっている。見た目も揃っているから贋金を見抜くことも簡単だ」



 金属でできた、ただの円盤。側面に溝が刻まれていて、縁は少し分厚くなっている。円盤の表面の部分には簡略化されたマチルダ・ジョイノアの横顔が刻まれていて、裏面には文字も模様もない。

 トーマが生まれたときから当たり前に使っている西側の硬貨。金を9割以上含んだ合金でできている。銀と、少しの銅を混ぜて、純金よりも硬く傷つかないようにされているとか。

 金の割合を低くするようなことをすれば、贋金を作ったとしてどこの街でも厳しく罰せられる。よく考えればいったい誰がこの基準を統一させたのだろうか。やはり原初の賢者ジョイノアがしたことだろうか。トーマの知識では分からなかった。


「しかし…… それにしたって4割も増えるものか?」

「まぁ、流行もあるだろうな。近いうちに駄目になる商いかもしれない。そうなる前に稼ごうってわけだ」


 先行する二人はこちらの会話が聞こえる距離にいる。時々こちらを振り向くイヴァンの背中の荷の中に『商品の金貨』が詰まっているのだろうか。


「俺たちはワッセニーの各都市を回って、この話に乗った金持ち連中から金貨を預かってきている。ライマーンには東方側の協力者が向こうの金を集めて待ってるはずだ。交換してまた西側に戻って、西側でちゃんと鋳造すれば、まぁ向こうの儲けもあって4割とはいかないが3割くらい枚数が増えるわけだ」

「俺はそこまで付き合わなきゃいけないのか?」

「いや、草原地帯を無事に往復できればいい。取引の結果次第だが、コーバーの街に帰ってこられたら金貨8枚程度払えるだろう。それでいいか?」


 だいたい600キーメルテの距離を往復するだけで魂起こし40回分の儲けとなれば、今までになかった効率のいい商売だ。にわかには信じられないほどだ。

 金貨を守る手練れは多いほどいいが、それでいて屈強な戦士を仰々しく並べるのも秘密がばれてしまう。

 トーマのような見た目で、竜のいる魔境を潜り抜けた人間なら仲間に募るのにぴったりと言えた。


 こちらの話が終わったと見て、イヴァンがアンドレイに先導するように言った。索敵は【耳利き】のアンドレイの仕事なので当然だ。


 耳まで隠れる長さの栗色の髪を、横刃槍を持っていない左手でかき上げながら、今度はイヴァンがトーマに話しかけて来た。


「トーマ。階梯はさっき教えたし、オレとアンドレイの『魂の器』も言ったっとおりだ。ユリーのは…… まぁ許してもらうとして、トーマのことも出来れば教えてもらえないか」


 少し考えたが、ここで隠す意味は無い。臨時とは言え多量の金貨を運んでいる仲間なのに、信用のおけない人物と思われると困る。


「俺は、知らないかもしれないが、『書庫の賢者』に所属する【賢者】だ。階梯は40ちょうど。魔法も格闘技も使う」

「賢者!」


 驚いて声を上げたのはユリーだ。桃色にも見える赤みがかった薄い色の金髪で、髪型はイヴァンに似ている。れっきとした男だが声が高く澄んでいて若々しい。実際、年齢はトーマより若い気がする。


「じゃあ、ボクが【巾着切り】だってのも分かってたんだね。隠して損しちゃった。でも、もっと高い階梯だと思ってたよ、竜から逃げ切ったっていうから」

「逃げ切ったんじゃなく、竜が帰るまで隠れていただけだ」

「そうだっけ。今からもう少し速度を上げたいって思うんだけど、その荷物で大丈夫? ボクすこし持とうか?」


 トーマは大丈夫だと告げた。アンドレイはトーマの告白に「驚いたよ」と感想を漏らし、イヴァンも「魂起たまおこし以来、賢者に会うのはこれで二度目だ」と、ジロジロ見ている。


 【賢者】は『器持ち』の中で数千人に一人と言われる。

 『魂起こし』を施す役割があるので、大きな街なら探して見つからないほど珍しいわけでは無い。だが旅の道中で行き会うことはまれだろう。「賢者です」と看板を掲げて歩いている訳でもない。




 ニストリー草原地帯を東西に横断する道。4人は速度を上げてを駆け抜けていく。多少の起伏があったり、道が避けて通る丘もあるが、まさにずっと草原である。ちらほらと小さな木も生えているが枝ぶりも弱々しく、森に成長することはなさそうだ。これほど走りやすい土地も無い。前を行くイヴァンにトーマは訊いた。


「ひょっとして、今日中にニストリー川を、渡るのか?」

「渡りはしないが、渡し舟のある、プラムーシまでは行く。きついか?」

「いや、俺は問題ない」


 移動速度は一刻で30キーメルテ弱。32階梯、魔法型のユリーにとっての限界であろう。トーマにとっても普段の長距離移動時の速度に近いが限界はもう少し上だ。

 誰にぶつかる恐れも無い、見通しのいい平地なので緊張感も無い。

 耳の横を通り抜けるぴゅうぴゅうという風の音を聞きながらトーマは気持ちよく走り続けた。

 平原なので500メルテ手前から見えていたが、向こうから5人組の商隊と思われる集団がやってくる。全員大きな荷物を背負っている。アンドレイは警戒させないように手を上げつつ、そのままの速度ですれ違った。




 4刻半ほど走った。つまり130キーメルテ以上移動したことになる。相変わらず景色が変わらない。ときおり雲間に顔を出す太陽の位置からすると真昼を少し過ぎたころだろうか。

 ニストリー川の分流であろう、常人つねびとでも飛び越えられそうな小さな川が北から南に流れる場所に、廃虚のような場所があった。

 石を積んでできた原始的な住居の基礎のようなものが100メルテほどの範囲に点在している。その数はせいぜい10かそこらで、村未満。集落と呼ぶべきだろうか。外周を廻る石壁の残骸も草丈くらいの高さしかなく、遠くからは見て分からなかった。

 アンドレイがその膝くらいの高さの石積みに腰かけた。


「ここで半刻休憩だ」


 さっきすれ違った5人組が野営したらしい、焚火の後が廃虚の中心にある。そこは直径10メルテくらいだろうか、黒っぽい土の地面が露出していた。森が近くに無いのに薪などは持参したのだろうか。

 額に汗を浮かべたユリーは乾燥黒スモモを腰の袋から取り出し齧っている。

 トーマは疑問に感じていることを聞いてみた。


「なんでここには森ができないんだ? こんなに広い範囲を伐採し続けてるわけはないよな?」


 街周辺に牧草地を作るときは、木がいつの間にか生えてくるたびに伐採し、決まった範囲を草はらとして維持している。ニストリー草原地帯は、到底人間の力で維持できるような広さではない。


「木が無いから、木が増えないんでしょ? そんなに不思議?」

「オレは学が無いからわからん」


 イヴァンは仰向けになって寝転がった。

 アンドレイは細長い金属製の水入れの水を飲み干すと、空になったそれを腰の袋に戻した。


「聞いた話だが、この草原地帯はニストリー川が何千年もかけて運んだ土で覆われているんだそうな。それに今でも川の水は分流や地下水の形で土地にしみこんでる。その水の成分のせいで、草しか育たないんじゃないかと年寄りは言っている」

「何千年か……。大氾濫以前だから、マナに関係する現象ではないのかな。何かの毒だろうか」

「えー、大丈夫なの? コーバーって農業もしてるよね? 魚の養殖も」

「コーバーの住人が病気になったり寿命が短いって話は聞かない。プラムーシでも同じだ。人体に害はないのだろう」


 原因は謎ということか。

 ニストリー川本流の河口付近、渡し舟が使えるプラムーシの街までこの草原は続くという。この世にはまだまだ分からないこともあるものだ。


 中身の半分になった水入れのオオトカゲの皮袋を背負子しょいこの左側にきつく結びつけると、トーマは立ち上がって荷物を背負った。

 アンドレイは『浄水』の水魔法を使いながら、三人分の水入れに分流の水を汲んだ。トーマの皮袋にも入れようかと言われたが、半分残っているからと遠慮した。どうしてもさっきの話が気になってしまう。


 では出発と、走りだそうとして、トーマは足を止めた。視界の右端になにかが映った。

 距離は300メルテほどだろうか、南の方角にある丘の方に振り向いて目を凝らすが、何も見えない。


「どしたの? トーマ」

「いや、何か背の高い生き物が居たように見えて」

「……いないじゃん。なんか近づいてきたらアンドレイが気づくから大丈夫だよ」


 竜だったらどうしよう! と、はしゃぎながらユリーは街道を東に駆け出した。

 身長も体格も顔だちも、トーマよりは男らしいのだが、ユリーは言動が子供っぽい。

 首をかしげてトーマは3人の後を追った。

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