第33話 草

 小さな街なので散策すると言っても時間はかからない。時刻はまだ日の4刻。

 トーマは宿に戻ってすることもないので、自分で汚れ物の洗濯をすることにした。以前買った石鹸がまだ残っている。

 宿に頼めば洗濯屋にまわしてもらう事もできるが、だいたい小銀貨2枚はかかる。


 宿の西に面した裏庭には井戸があり、宿泊客は自由に使っていいと言われていた。剃刀と水かがみで髭を剃る宿泊客の旅人と、市中の話などしながら洗濯をする。

 借りたたらいに水を張り、浸けた汚れ物をもみしだきながら汚れのひどい部分に石鹸をこすりつけていく。いい加減なところで何度か水を替えてすすいだ。


 泊まっている部屋の南向きの窓には、外側に落下防止のためにつけられた柵がある。トーマはそこに下着や綿服や手ぬぐい布をひっかけて干した。

 寝台の上で横になる。寝不足で頭がぼうっとしていた。

 秋空の澄んだ空気のせいか昨晩は冷え込んだ。寝台の敷き布団の上につ足オオカミの毛皮を敷いてトーマは寝ていた。ごわごわになってからも荷物の雨避けに使い続け、陽光にさらされ続けて毛がだいぶ抜けだしている。

 そろそろ捨てようか、替わりを買ってくるべきだったと考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 夕方になって目を覚まし、洗濯物を取り込んで寝台の上に放り出しておく。晩秋の太陽に半日干した洗濯物はまだ少し湿っていたが、夜までには完全に乾くだろう。


 一階におりる。料理屋でもあるこの店の客は半分は宿泊客ではない。他所で泊まっている旅人や、街の住人らしき者もいる。

 長卓の席について、つばつき帽子の店主に今日の料理を聞くと、水路で養殖しているマスの揚げ物だという。市中の水路にそんな養殖場は見当たらなかった。街壁の外側の水路で養殖しているということか。

 魔物を呼び寄せないのかと聞いてみると、魚食を好む魔物が夜中にやってきては、養殖場の経営者であるゾランじいさんの臨時収入になっているらしい。


 鶏卵液とたっぷりの小麦粉をつけて、表面がカリカリになるまで獣脂で揚げられたマスの半身。香草塩を自分の好みでかけて食べる。

 旅に出る前は血で味付けされた魔物肉の焼いたものなんて食べるつもりでいたが、野営が少ないからか美味しい物ばかり食べている気がする。

 『器持ち』の男三人が奥の席から立ちあがるとトーマの座る長卓の席までやってきた。武装はしていない。


「あんた、トーマさんだよな? 西の山脈でたった一人、竜に出くわして生き延びたっていう」


 話しかけてきたのはトーマより年かさのあごひげを生やした男だ。階梯は40手前といったところ。【耳利き】という名で知られる『魂の器』。常時発動型の異能で小さな音や普通の人間に聞こえない音を聴きとれる。


「俺はアンドレイという。少し話を聞かせてくれないか」


 アンドレイの連れの二人はイヴァンとユリーと名乗った。竜に出くわした顛末をかいつまんで話すと、アンドレイはトーマの旅の目的を訊いてきた。


「目的か。西に居るよりも東の方が、階梯に見合った魔物を狩りやすいと思っただけなんだが、いきなりあんなものに出くわして自分でも運が無いというしかない」


 イヴァンとユリーは声をたてて軽く笑った。アンドレイも微笑んでいる。


「修業の旅なら無理には誘えないか。一緒にライマーンの街まで商いの旅をしないか、誘おうと思ったんだが」

「何を売り買いするんだ?」

「それは…… 仲間になってくれないと話せない。すまない」


 なんなのだろう。アンドレイも他の二人も悪い人間には見えないのだが、実はあくどい商いに手を染めているのだろうか。


 ライマーンはニストリー草原地帯を東に600キーメルテほど行ったところにある新しい街だ。

 ニストリー川の本流を越えて、南に広がる大湖海の海沿いをさらに東に進み、共通言語がまともに通用する大陸西側と、東方と言われる地域を隔てる大河『アクラ川』。その河口に20年ほど前に出来上がったのが商業都市ライマーンだ。トーマはラナデセーノ政庁図書館で調べてあった。

 順調にいけば、トーマなら最短二日の行程でたどり着ける。もちろんアンドレイたち三人に合わせるならばそういうわけにはいかないだろうが。


「今の所、狩りたい魔物の当てがあるわけではないし、そんなに遠くじゃないなら付き合わないでもない。だがなんで今、俺を誘うんだ? この街までは3人で来たんじゃないのか?」

「うーん…… なんというか商品の性質上も手練てだれは多いほどいいんだ。この商いを始めてまだ半年。本来ならもっと仲間を集めるべきで、来年の春には正式に増やすつもりだ。だが今は臨時でいいから戦力が欲しい。草原につ足オオカミの凶悪な群れが出るらしいんだ」

「六つ足かぁ……」


 六つ足オオカミは本来トーマの階梯に見合う魔石を持っていない。

 だが特殊な性質として、大きな群れでは主導権を握る数匹が通常より強力に変異することがあり、その変異体の魔石ならトーマでも成長素が摂れる。


「おっと、変な期待はしないでくれよ? 俺たちは六つ足オオカミと戦いたいわけじゃない。俺の『魂の器』は他人よりずっと耳が良くなる。群れが近づけばすぐ聴き当てて、ユリーの魔法でにおいを消す。戦わずに済むようにする方針なんだ」


 明日の朝、日の2刻の初めには東門を出発するという。途中参加でも分け前は儲けの一割五分渡すから気が向いたら来てくれと、アンドレイ達は自分の宿に帰って行った。




 翌朝トーマはカザマキヒョウの毛皮をはおり、旅装を整えて東門広場に立っていた。右手には未だ活躍の無いナラの枯れ枝を握っている。杖にしているわけでは無いのだがいろいろあって、1.2メルテあった枝は1メルテになってしまっている。


「トーマさん、来てくれたのか」


 やってきたアンドレイの上半身は前面だけが金属板で覆われている。胸甲と呼ばれる種類の鎧だ。背中に大きな丸盾、腰に長い曲刀を佩いて頭にハチガネを巻いている。距離が短いからか旅の荷物は少ない。腰帯と一体化しているような横長の形の皮袋を後ろ腰にまわしている。


「何の商いなのか、どうしても気になってね。あと俺のことはトーマでいい。あんたのほうが年上だ」

「そうか、じゃあ門を出たら話そうじゃないか」


 4人で出街手続きを済ませる。

 イヴァンは分厚いトカゲ系の魔物の皮でできた、袖付き外套のような上着を鎧代わりに来ている。三人の中で一番恵まれた体格をしており、階梯は34だという。トーマが今まで見たことのない類の『魂の器』だったが、イヴァン自身の話では【羽足】のようだ。どういうものか聞いたことがある。自然に心肺が強化されて疲れ知らずになる『魂の器』らしい。

 荷物の少ないアンドレイと違って、背中に箱のような形の大きな革製の入れ物を背負っている。ただの皮袋や背負い袋とは違う、分厚い革を複数枚重ね、正確に縫製した「鞄」という高価な道具だったはず。

 武装は横向きに刃の付いた、長さ1.5メルテの総鉄製の横刃槍を使うようだ。


 ユリーは32階梯。鹿の毛皮で出来た袖付き外套に、アンドレイと同じような腰の荷物だけ。武器も持っていない。

 【巾着切り】という、いささか不名誉な名で知られる『魂の器』。体のどこからでもマナで形作られた刃を出すことができる。

 刃は切れ味鋭いが、とても短いために武器にすることは難しい。それ故に人の懐を切り裂いて財貨を奪う、スリ行為の役にしかたたないと揶揄されているのだ。

 だがユリーの『五芒星の力』の構成は『マナ出力』だけ他より高い。精霊同調適正は火と風が『良』。適性の有利を生かして、魔法使いとして戦っていることが分かる。


 東門から外に出ると、地平線の向こうまで草はらが広がっている。

 主に生えているのは、すらりとまっすぐな葉がトーマの膝の高さくらいまで伸びた草だ。家畜の餌にするのに適した牧草の一種に似ている。


 草はらに延びる幅1メルテほどの街道は東に向かって一直線だ。

 日の出から少し経っているからか、東門の外にはトーマたち4人の他には誰も見当たらなかった。先行するイヴァンとユリーの後を歩きながらアンドレイがトーマに話しかけた。


「じゃあ俺たちの扱っている商品のことを教えよう。俺たちが売るのはかねだ。金貨そのものを商品にしている」

「ん?」


 金は何かを買った時に支払うものであって、売るものではない。

 アンドレイが何を言っているのかトーマには分からなかった。

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