第32話 コーバーの街

 チャルバット山脈の切れ目を抜けて、東に向かってニストリー川沿いに山地を駆け下る。地形の変化に伴って川の流れは速くなってきた。

 源流近くよりも流れが速くなる川というのも珍しいが、ニストリー川は草原地帯を流域としてこの先千キーメルテ流れ続けるので、ここはまだまだ上流域に含まれる。


 木の無い河岸は途中から狭くなり、やがてなくなり、大きな岩や切り立った谷間が多くなる。

 移動しづらい地形になったが、下りであるからまだマシである。岩から岩に、崖から崖に、ニストリー川に流れ込む小さな支流も飛び越えながら数刻移動し続けて、遥か彼方、夕焼けの中にようやくコーバーの街を見出した。

 安堵を感じるとともに、二度とチャルバット山脈には近づかないとトーマは心に誓った。


 コーバーの街はニストリー川からひいた水路によって成り立つ人口3千人規模の街である。上から見れば歪な直角三角形に見えるであろう。南と東にはまっすぐな街壁があって南東で直角に交わっている。水害と水棲魔物の対策のための堤防に沿って建てられた斜めの壁。三角形の斜辺にあたる少し外側に膨らんだ壁が西の端と北の端を結んでいる。

 ワッセニーの南側の山脈を抜けて、そこから南周りにニストリー草原地帯まで伸びる街道が側を通っているので、交易の中継点にもなっているはずだ。


 閉門ぎりぎりの時刻だったが、なんとかコーバーの街の入街審査を通り抜けることができた。

 門衛の男に宿はあるかと聞くと、今はいくらでも空いているという。東西交易が活発な時期はもう過ぎてしまっているらしい。今から東方に向かう者は向こうで冬を越すことになる。

 ならば食事の美味しい宿はどこかと聞くと、東門広場に面している料理屋兼宿屋の『チャーパフェルリ』という店を勧められた。


 南門から東門広場までは500メルテほどの距離しかない。トーマはかるく駆け足で東門広場に到着した。空を見上げればもう夜のとばりがおりているが、大通りには獣脂を使った灯火の瓶を玄関先に灯している店もあるので、街は真っ暗というわけでは無い。

 看板は暗くて読めないが、閉められた内窓から灯火の明かりと旨そうな肉料理のにおいが漏れ出ている。大きな木造二階建ての建物が『チャーパフェルリ』と思われた。


 二枚扉の右側を引き開けて中に入ると、長卓で仕切られた調理場の中で40代半ばと見える男が振り返ってトーマを見た。

 店には数組の客が居て、それぞれ食卓で食事をしている。


「今晩泊まりたいんだが、部屋は空いているか?」

「空いてるよ。一泊朝食付きで小銀貨4枚と銅貨10枚だ。……ところでお客さん、その背中に見えてるでかいのは、何だね?」



 灰オオグマが竜に捕食される様を見届けたトーマは、放り出した荷物とナラの枯れ枝を回収するために現場に近づいて、哀れな犠牲者の血でまだら模様の河岸に、あるものを見つけた。

 長さが1メルテはあろうかという竜の羽根だ。トーマの指ほどもある太くて硬い芯。根元に灰色のわた毛が生えていて全体は白く、先のほうが黒。

 誰も竜へ攻撃した者などいないのだから、自然と翼から抜け落ちたのだろう。トーマは拾って荷物の隙間に突っ込んでおいたのだ。


 『チャーパフェルリ』の店主は黒染めの綿服の上に白茶色の皮胴衣を着て、同じ素材のつばのある帽子をかぶっている。洒落者の店主にトーマはまず夕食を注文した。この旅を始めて以来最大の空腹を感じていた。

 待つ時間も無く、煮込んでいた鍋からすぐ提供された棒状の魔物肉の葉包み煮をフォークで口に運びながら、トーマは竜に出会った顛末を長卓の向こうの店主に話した。


「はぁー…… そんなでっかい竜がここから半日の場所に……? とんでもねぇ話だな、そりゃ」

「いや、半日っていっても、下りだったし速度も出たから、100キーメルテは離れてるんじゃないかな……」


 少しうかつだったかもしれない。この街を不安に陥れたいわけでは無い。

 恐怖から解き放たれた高揚で、トーマは若干うわついていた。気づけば10人ほどいる食事客も全員がトーマの話を興味深そうに聞いている。


「本当なの、竜だなんて」

「出会ったら生きて帰れないって聞いたぞ」

「でも見ろよあの羽根。作りものじゃなさそうだぜ」


 騒ぎになってしまった。だが竜を恐れてこの街を離れようとか、そう考える者がいたとしても、トーマの責任ではないのではないか。

 別に嘘をついたわけではなく、実際に竜は居るのだから。


「なんじゃぁ、お前ら。チャール山の大竜のこと、知らんでコーバーに住んどったのかぁ?」


 店の一番奥の卓についていた老人がそう言った。70歳近くに見える。客の半分は『器持ち』だったが、薄くなった総白髪を後頭部で結い上げている老人の階梯は、この場の誰より高く50を越えている。『魂の器』の種類は【怪力】。マナを消費し一時的に筋力を強化できる。

 店主が心配そうな顔で老人に聞いた。


「ゾランじいさん、何か知ってるのかい」

「知っとるとも。わしが駆け出しだった頃から、裂け目には近づくな、近づけばチャール山から大竜が飛んでくるぞと、言い伝えられとったよ」

「このお客さんを追っかけて、この街に飛んでくるようなことは……」

「無い無い。昔は血の気の多いのがコーバーから何人も、竜狩りに出かけて行ったもんだ。逃げ帰って来たのを竜が追っかけてきたことなんぞ無い。そもそも竜は山から下りて来ん」


 老人の右の目じりから右顎にかけて深い傷跡が走っている。痩せていて肌にはツヤも無いが、雰囲気は歴戦の猛者だ。実は本人も竜狩りに参加した経験があるのではなかろうか。


 ゾランじいさんの話に安心したのか、食事客たちはトーマが持っている竜の羽根を近くで見ようとか、触らせてくれと寄って来た。トーマは快く羽根を渡してやった。別に何かに使う当てもない。珍品屋に売ればそこそこの値で売れそうではあるが。




 『チャーパフェルリ』の二階に泊まったトーマだが高揚はおさまらず、あまり眠れなかった。粘土地層の穴での夜明かしから、二晩連続の睡眠不足で旅を続行するのもいただけない。トーマはもう一泊する旨を店主に伝えると、街を散策してみることにした。


 市場は規模が小さかったが、今年収穫された新小麦の固焼きパンなど、携帯食の買い足しもすぐにできた。

 綿布や糸を売っている露店も目立つ。


 雨の少ない南方の疎林地帯では平地があってもで穀物を作ることが難しく、綿花を栽培しているという。ワッセニーから南周りの交易路が合流するコーバーはそちらの商品も多いようだ。


 竜の羽根を買い取ってくれそうな奇特な店は見つからない。ラナデセーノのような大都市とは違う。

 浅黒い肌をした『器持ち』の女が朝の寒さの中、毛布を頭から被って露店を開いている。緋色の毛織の敷物の上には武器や陶製の食器などの他に、貴重な植物紙でできた一組の札が売られていた。

 数枚の紙を糊か何かで貼り合わせてあり、裏面は黒く染められ、表には数字を現わしているのだろう、様々な記号が描かれた40枚組の札。占いに使うのだろうか。


 大銀貨7枚と高いので買わなかったが、やはり東方が近い街だと見たことの無い物が見つかるものだ。

 前回の旅で訪れた最東記録を超えて、トーマは久しぶりに未知への旅の面白さを感じていた。

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