第31話 掘る

 午後、移動しながら探し続け、やっと探していたものをみつけた。粘土地層の剥き出しになった急斜面。ほとんど崖に近い。

 手で掘ってみて土質を確かめる。よく締まっていて水分も少なそうだ。陶器づくりの職人に与えたらきっと喜ぶだろう。

 トーマは斜面に対して横を向き、不自然な態勢で粘土層に両手をつくと呪文を唱え始めた。


地の精霊よゼ ファンゲノモス マナと混じってルエッテン ピンマナ 我が意に従えカアプ ジェカンシア


 直径0.7メルテ、長さ1.5メルテの円柱状の粘土が、斜面に張り付けた両手の下あたりからもりもりと出て来た。足元にぼてぼてと粘土塊が積み上がり、斜面には横穴が残る。

 ≪書庫≫に登録などはされていない、いわば「基本的マナ・精霊力運用法」である。肉体労働で同じ結果を出せるものは魔法とは呼ばれない。


 背負った荷物を下ろし、上着も脱いで荷物の上に置く。

 穴の縁に手を添えて今度は違う呪文を唱える。


地の精霊よゼ ファンゲノモス 導きに従ってミゾリニョヴァーサ 力を現わしボレプタス 硬く引き締まれセコン メトン クリート


 穴全体が下に沈み込むように少しだけ変形し、側面の粘土が固く引き締まる。粘土にわずかに含まれていた水分が絞り出され、僅かに傾斜している穴から流れ出してきた。

 これでちょっとやそっとでは穴は崩落しない。

 井戸造りなどにもよく使われていて、替えのきかない便利な魔法なのだが、なぜかこれも登録名が無い。通称は共通語でそのまま「土固め」である。戦闘に使われない魔法は冷遇されがちという事だろうか。


 精霊魔法とは自然に存在する精霊力の力の方向、その表出を、魔法行使者のマナを消費して操作するものである。詳細な呪文によって精霊に決まった働きを指示する攻撃魔法よりも、意思の通りに動かそうとする「基本的マナ・精霊力運用法」はマナの消費効率が悪い。

 しかもトーマの地精霊の同調適正は下から二番目の『並』しかない。


 余剰マナの蓄積は残り半分ほどになってしまった。水袋から水を飲んで休憩する。いつ魔物に襲われてもいいように、マナを使い切るような事はしない。

 陽はくれかけていてもう半刻もすれば夜になるだろう。急がなければいけないが、焦ってもマナは溜まってくれないのだ。




 穴に潜ってもう一度、深さが倍になるように土を掘りだし、また側面を引き締めて固くする。綿服は所々土で汚れてしまった。このままこの穴で休むと、いくら固めてあるとはいえ朝には泥だらけになってしまう。


 トーマは荷物からラナデセーノの珍品屋で買った品を取り出した。これを見つけたので地中の穴で夜明かしするという発想に至ったのだ。

 トーマが楽々中に入れるほどの、筒状のもの。将軍鎖ヘビの胴体の皮を切り開かずに剥いだものが材料だが、作った人間は何に使うつもりだったのだろうか。

 個体差が大きい将軍鎖ヘビであるが、これほどの太さのものは居ない。鞣すときに太くなるよう伸ばしただろう。残っている鱗もよく見れば隙間が空いている。

 深さ3メルテの横穴に大蛇の魔物の皮を広げて押し込んで、装具に挿したままの短剣を立てて呼吸をする空間を作る。いけそうである。


 ロンピーの実が2つ入った皮袋に1食分のウシ肉の乾焼きと固焼きパンを入れて、水袋と一緒に穴の奥に放り込む。少し離れて用を足す。

 穴に突っ込まれた皮筒の入り口を広げ、奥まで這って行ったら、背負子の荷物を穴をふさぐようにして引っ張り込んだ。小柄なトーマとはいえ穴の中ではさすがに大変な作業で、終わるとほっとした。


 昔から狭いところは好きなのである。真っ暗な穴の中で携帯食をかじりながら、トーマは安心感に包まれていた。

 たとえ狡猾で強力な魔物がトーマの居所を嗅ぎ当てても、襲われるのは荷物が引きずり出されてからである。それなら熟睡しないかぎりは絶対に気付く。足元の荷物から毛皮の外套を引っ張り出すと、包まってトーマは気を休め、朝が来るのを待った。




 途中、一回用を足しに外に出たが、トーマは穴の中で12刻の間すごした。足元の荷物の隙間から朝を告げる小鳥の鳴き声が聞こえてくるまで、何者にも襲われることは無かった。魔境の森での単独の夜明かしに成功したのである。


 現在、トーマのいるのは山脈の切れ目まで半分の距離。のはず。

 外套を羽織ると整えた荷物を背負い、トーマは東に向かって道なき森をふたたび駆けた。




 見つけた小さな沢で水を汲み、昨晩と同じ携帯食を食べる。標高が高くなってきたせいか大きく育った針葉樹の割合が多くなり、低木や草藪が減ってきた。

 歩きやすくなったので速度を上げ、太陽の高さと方角から常に東の方角を確かめつつ、3刻ほど駆け続ける。

 這い登れそうな崖を見つけ、露出した木の根をたよりによじ登ると、視界の向こうに川が見下ろせた。静かに流れる、水量の豊かな川。

 西チャール山を源流に、チャルバット山脈の切れ目を縫ってニストリー草原地帯に流れ込む大河。ニストリー川だ。


 雪解け水の増減のせいで川幅が変わるからであろう、ニストリー川の両岸には樹木の生えていない平地が続いている。ここまでくれば後は楽なもの。

 見通しのいい、他に誰も人間のいない大地でトーマは久しぶりの最高速度を出した。


 巨大な谷間の真ん中で北側と南側にチャルバット山脈の山肌が見える。

 赤や黄色に紅葉した木々の葉で山肌は所々色づいていた。トーマは川の流れの右岸の、砂利交じりの地面を走っている。水量の多い春から夏にかけては川の底なのだろう。


 進むにしたがい左手のニストリーの流れは川幅が広がって、100メルテ近くはあるよう。流れはゆったりとして湖のようにも見える。


 向かう先、はるか。

 灰色の生き物。浅瀬で水面に鼻を突っ込みながら水しぶきを立てている。川ガニでも探しているのだろうか。灰オオグマだ。


 大陸西部には普通の茶色い毛皮のクマと半魔物の赤グマと、体内に魔石を持つれっきとした魔物の灰オオグマがいる。大クロジシと同じで、巨大かつ屈強にはなっても形態がほぼ変化しない魔物だ。40階梯のトーマにとっては少しだけ格上の魔物であるが、護衛二人との3人隊でなら倒したことのある相手だ。


 街道もない魔境の森を横断するのだから、トーマから探さなくとも強力な魔物に行き会うと思っていたのに、なぜかここまで小物にすら出会わなかった。

 ようやく見つけた獲物。高揚を感じながら灰オオグマに向かって駆ける。

 魔物もこちらに気づいた。「ゴヴァァッ」と大声を上げこちらを威嚇する。

 魔物はこういう場面で人間相手に逃げるという選択はしない。成獣であるがまだ若い、おそらくは雄。四つ足で立つ肩の高さがトーマの身長を超えている。後ろ足で立てば背の高さは倍以上だろう。


 あと10秒で接触する。格闘戦を挑む気はない。トーマが全力で蹴りつけたとしても、この魔物は意にも介さないだろう。

 右手に持ったナラの枯れ枝をトーマは見た。シャラモンとティズニールを目指す道中で拾ったもの。

 随分長い間持ち歩いてしまったが、いよいよ活躍の時が来た。複合精霊魔法『火炎旋風フィオムベンティゴ』の媒介にすべくマナを流して、まずは火精霊との同調を促す。


 正面に目を戻したトーマは急制動をかけた。右に直角に曲がって、背中の背負子もナラの枯れ枝も放り出し、30メルテほど離れたスギの大樹に向かって全力で走る。

 大樹の陰にたどり着く寸前、背中で重低音を聞いた。ヤツの着地した音。

 身を隠したトーマは、幾度か失敗しながら左腿の短剣を引き抜くと、右手に持ち替え、荒い呼吸を無理やり呑みこんで、スギの陰から川の方をのぞきこんだ。


 こちらに向かって逃げる灰オオグマを巨大な魔物が追いかけている。40メルテは離れているのに鼓膜を振るわせる、大きな管楽器のような鳴き声。片翼の大きさだけで灰オオグマの全長を凌駕している。


 先ほど一瞬視界の端にとらえた空飛ぶ影の正体。竜だ。

 翼は白黒まだらの羽根で覆われ、鳥の翼に似ているが、先端近くに3本かぎ爪が生えている。竜がそのかぎ爪を一閃すると灰オオグマの背中から肉塊がはじけ飛んだ。

 横ざまに転んだ獲物の胸部を、竜が右脚で踏みつける。根元から半ばまではまだらの羽毛で覆われた脚。黄色い鱗に覆われた足先の部分だけでトーマの体より大きいだろう。形はケヅメドリのそれに似ている。


 腹部から首にかけては黒と黄色が入り混じった鱗でおおわれている。頭部にはとさかのように逆立った、赤く目立つ羽毛。その下にある紅玉色の双眸。

 円錐状の口ふんが上下にパカリと開くと、するどい牙が数十も並んだ邪悪な歯列が現れた。


 獲物は最後の抵抗で自分を押さえつける黄色い足を掻きむしっているが、竜は何の痛痒も感じていないようだ。

 灰オオグマの頭部を横咥えにした竜は、マナの恩恵で強靭なはずのその首を、2度捻ってからもぎ取った。



 この世界の鳥類はケヅメドリのような陸生の鳥と、他にごく一部の例外を除いてほどんどが魔物化しない。そうでなければ壁で囲んでも人の生存圏は守れない。

 その一部の例外が、竜だ。魔物の頂点に君臨する恐怖の象徴だ。

 どんな鳥が変異すればこんなモノになるのか。とにかくトーマの知る限り竜を殺した話など大昔の伝説でしかない。伝説で語られる竜の脅威は大げさで当然と思っていたが、この大きさ、迫力はまさしく伝説の通りだ。


 灰オオグマの死体を噛みちぎり、たった5口ですべて呑み下してしまった。

 竜は満腹になったのか巨大な両翼を広げると一度振り下ろしただけで空中に飛び上がった。やはり風の精霊力を利用しているように見える。


 多くの書物を書き残した100年前の学者賢者ユルゲンの説によれば、空間に存在するマナは標高が高いほど濃くなるという。

 人間の『魂の器』にはあまり差を感じないが、竜が低地の人里に降りてこないのは、マナが薄く空を飛ぶことができないからだという。現在一番有力な仮説だ。

 だが万が一、竜が人を食いに降りてきたなら、中規模の街など壊滅するだろう。


 先端が大きな羽根で飾られた長い尾をゆったり振りながら、ニストリー川を飛び越えて竜は北に飛び去って行く。

 トーマは細かく震える右手に握られた、ちっぽけな鉄片を見た。


「……掘れるかっ! あんなもんっ!」

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