第30話 山脈

 『旅館・城南ラナデセーノ』の大食堂の大きなガラス窓にはくすんだ夕焼けが写っている。秋の太陽は日の11刻を待たずにもう沈みかけている。


 師叔アルスランに4年前の出来事をかいつまんで話した。

 謎の『魂の器』をもつ赤毛の少女ラウラについての内容は、詳しく。聞き終わるとアルスランは鼻から大きなため息をふきだした。


「希少種、だな。それも【賢者】よりずっと珍しいやつだ。ことによれば世の中の有り様を大きく変えちまう可能性を秘めてる」

「そこまでですか」

「そこまでだ。その娘にとっちゃ本来自分に見合う格の魔物が、みーんな小物同然ってことだろ? 階梯、上げ放題じゃねえか! そのうえそいつが遺伝する? 『魂の器』の常識が根底から覆っちまうぞ」


 そうかもしれない。ラウラに兄弟姉妹は居るのだろうか。居るとしたら父親から『魂の器』を継いでいるのか。

 謎の『魂の器』が生まれた子ども全員に伝えられるものなら、数百年後にはラウラの一族が世界を征服しているかもしれない。


「ラケーレはそのラウラって娘の話、知ってんだろうな?」

「えーっと……」

「やっぱ言ってねぇな⁉ 言ってたらラケーレが書庫に書き込んでねぇはずねぇもんなっ! なんで言ってねぇ! 恥ずかしいお年頃か!」


 そういうわけでは無いのだが、ラウラと別れた後も3年間続いた修行の旅は、正直あまり順調ではなかったし、衝撃的なことが他にも色々起きた。

 オカテリアに帰ってみたら『書庫の賢者』の義務の話をされて、結果、師匠と少し疎遠になってしまった。

 ラウラのことを、思い出して話す機会が巡ってこなかったという感じである。


「はぁ…… 本当なら顔を知ってるトーマが書き込まなきゃならんのだが、4年も前だと、記憶ってのは曖昧になっちまうからな。娘のほうも、その年頃だと顔だちが変わってるだろうし……」

「一門総出で探すようなことになるのでしょうか?」

「んー……? 待てよ? むしろ秘密にしたほうがいいのかもしれん。≪書庫≫に書き込んじまったら、一門以外の【賢者】も読めるってことだろ? 誰が悪用するか分からんぞ」

「それはまずい」


 どんな種類の『器』が目覚めるか、偶然によって決まると思われる『魂起たまおこしの』と違い、自分の子どもに確実に強力な『魂の器』を伝えることができる力。

 それを持つラウラを、権力を持つ【賢者】が利用する。おぞましい想像がトーマの胸を締め付けた。


 アルスランと話し合い、ラウラのことは≪書庫≫に書き込まないことになった。

 ≪書庫≫への書き込みは結構コツがいるらしく、どっちみち今のトーマではうまくできそうにないわけだが。

 信用のおける一門の者にのみ容姿などの特徴を伝えて、目立たないように探すしかない。そういう結論に至ってこの日は解散となった。


 トーマは大食堂で改めて夕食をとり、『城南ラナデセーノ』に部屋をとって休んだ。


 三階の客室は寝台に獣毛が詰まった分厚い敷布団があり、質のいい羊毛で織られた毛布も備え付けられている。枕もとの台にはお茶の入った陶器瓶が置かれ、真っ白な陶器の杯が横に並んでいる。


 客室の大きめの窓にガラスは使われていなかったが、内窓には透かし織りの布が張られていて、朝になれば十分に明かりを取り込めそうである。さすがに一泊で大銀貨3枚とるだけのことはある。


 翌朝、玄関広間に下りると、アルスランに『魂起こし』の協力を打診された。


「昨日トーマを案内した役人から、話がもれちまったらしくてな。基本的にマルセルは一般人の『魂起こし』に不干渉の立場で、『書庫の賢者』のすることに口は出さねえんだが、希望者の斡旋を、オレが政庁に頼んじまってるもんだから……」


 マルセルとは、このラナデセーノの宰相である。宰相直々に希望者を斡旋しているのではなく、部下の役人がアルスランに協力しているという形なのだそうだ。

 一日3人のはずの希望者が、今日は5人お願いしたいと連絡が来たのだという。もちろん報酬はくれるというし、トーマは快く2人分の魂起こしを引き受けた。


 午後は入浴施設に行ったり、必要なものを買い足したり、中央公園広場で開かれている滑稽な芝居を観たりしながら、数日ラナデセーノに滞在する。合計で7人に『魂起こし』を施し、トーマは久しぶりに賢者の役割を果たした。


 アルスランに口を利いてもらって、政庁に付属する図書館を利用させてもらう。

 地理を頭に入れなければならない。

 連合都市国家ワッセニーがあるボセノイア地方は西側をのぞいて三方が山脈に囲まれている。


 ワッセニーよりも東方に行くには一度ターハイムに戻り、そこから南へ下って山脈の切れ目を南進し、東西方向に広がる低地疎林帯域に出て東へ向かうのが一般的なようだ。

 しかしラナデセーノからちょうど真東に百数十キーメルテ行けばこちらにも山脈の切れ目がある。宿の廊下の突き当りの東窓からも、そのチャルバット山脈の稜線が途切れているのが見える。街道は伸びていないようだが、そちらを通ってニストリー草原地帯に出れば、5日は旅程を短縮できそうだ。


 ワッセニー滞在予定の最終日、宿の大食堂でアルスランと夕食をとる。鶏の丸焼きをむさぼる師叔ししゅくにこれからどうするのか聞いてみた。


「冬になる前に西に戻る。オレもそろそろ弟子のケツを叩かなきゃならんわ。一人で20まで階梯上げた、見どころのあるやつだから弟子にしたんだが、『ご家族のことはお任せください』とかなんとか言って街から動こうとしやがらん。自分で他の【賢者】を当てようと『魂起こし』に励んでみたが、そうそう上手くいかんわな」

「師叔でも【賢者】を起こしたことはないんですか?」

「昔一人当てたぞ。弟子にはならんかった。南方部族の首長の身内だったな」


 デュオニア共和国の北西はるか、城塞都市ビレドゥにアルスランの妻と4人の子どもが住んでいて、弟子のリュシーという女性はアルスラン家に入り浸って半分同居状態だそうだ。何もかも意外である。


 夜の間降り続いた雨は朝には小降りになっていた。標高が少し高いラナデセーノの早朝はもう冬を感じさせる気温だ。

 宿に特別に準備してもらった朝食をいただき、西門でアルスランの出発を見送ってから、東門に走ってトーマもラナデセーノを後にする。




 街道もない森の中を半日走っていると、だんだんと山岳森林の「濃い森」の様相を呈してきた。大樹の陰で日当たりが悪いはずなのに、広葉樹の低木や茎の太い草藪が増えてくる。

 昼頃、トーマはロンピーの木を見つけた。背の低い木に数十個もの赤黒い実が生っている。食べごろに熟した実を採って二つに割ってみると、赤紫のつぶつぶが皮の内側にびっしり詰まっている。齧るとつぶつぶが口の中ではじけて、果汁がほんのりと甘かった。さらに2つもぎ取ってラナデセーノで買い足した皮袋に入れ、背負子の荷物の、水袋の反対側に結わえた。


 地図上では山脈の裂け目まで百数十キーメルテ。そこを越えるのにさらに数十キーメルテなので、これまでなら一日の移動可能距離の範囲内だ。

 だがやはり、街道の上を移動するのとはわけがちがう。多くの人間が何度も試行錯誤を繰り返し、そこが一番効率よく移動できると確定している場所に街道はできる。


 大物狩り目的の『器持ち』が、たまに入り込むだけの道なき山岳森林は、樹木に阻まれ、崖や谷など地形に阻まれ、東を目指して直進などできはしない。

 筋力も体の丈夫さも常人つねびとの3倍はあるトーマだが、陽のあるうちに進めるのは地図上で70から90キーメルテ程度だろう。

 トーマもそれくらいのことは分かっていた。修業中、大物狩りのために森の深くまで侵入するのは日常的な事だった。

 今晩は魔境の森で、一人で野営になる。

 常識的には自殺行為であるが、トーマにはちゃんと計画があった。

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