第38話 廃墟

 タルガットが人差し指を動かして合図をすると、手下のうち2人が部屋の奥、衝立の向こう側から鉄でできた大きな箱を持ってきた。

 足元に置かれた箱からタルガットが無染色の皮袋を次々に取り出し、丸卓の上に置く。積み上がった13個の皮袋を、体をのばしてアンドレイの目の前に押し出した。


「ひとつ2キーラムでス」

「ちょっと足りないだろ」

「端数はアトにしましょう」


 アンドレイとイヴァンが地厚い大きな綿布を広げた。皮袋の重さを確かめ、中身を布の上に出して見分している。皮袋の中身は大きさも形も様々な金のかけらだ。彫刻のように模様の浮き出た物もある。

 卓の反対側ではタルガットの手下がこちらの金貨を毛織物に並べて枚数の確認をしていた。


 異邦の金貨の価値を確認する二人の後ろで、トーマとユリーは立ったまま警戒をつづけた。




 20分ほどで確認は終わった。

 上に敷きつめられたきんごと綿布を巻きとって、革ひもで縛る。イヴァンの手で26キーラムもの金が箱型の背負い鞄にしまわれた。

 タルガットが懐から小さな羊の像を取り出してこちらに見せてきた。これも金でできているようだ。


「タりない分はこれでイカガ? ちょっとコチラの損ですが、友好のアカシでス」


 取引は無事に成立した。トーマとユリーも席について、出された豆茶を飲みながら雑談を交わした。『器持ち』に毒などは効きづらいが、豆茶に口を付けたのはユリーとトーマだけであった。


 洞穴を出るときアンドレイに言われたとおりに、トーマの荷物の外側には竜の羽根が目立つように結わえてある。雑談の中でアンドレイはトーマのことを「竜と邂逅した戦士」と褒めたたえた。こちらの戦力を大きく見せてタルガットを牽制しているのかもしれない。

 6人のタルガットの手下は西側の共通語が分からないようだが、「竜」という単語には反応していた。




「それではミナサン、今度は春、雪が消えタラお会いしましょウネ」


 タルガットに見送られて4人は屋敷を出た。刻は日の6刻の中ほど。ちょうど真昼だ。緊張と高揚を隠せない表情でアンドレイが3人を振り返る。


「それじゃあ、少し良い食い物でも買って、急いで岩山まで戻るぞ」

「ねー、本当にここで泊まっちゃダメなの? 一晩くらいよくない?」

「駄目だ。タルガットのおっさんも油断ならないが、俺たちがたんまり持ってるって事が誰に伝わってるか分からない。岩山なら人も少ないし、俺の耳で警戒できる。人間だらけの街中が一番不安だ」


 夕食を買いに行こうと中央通りに向かうアンドレイに、ズボンを買い替えることを提案すると、それもそうだと衣料店に先に寄ることになった。

 安い綿服のズボンなら、あつらえなくても既製品の新品が売っている。通行人に訊いて『アラル・アウィーリ』という店に向かうと、男性用女性用の綿服の他にタルガットの手下が着ていたような東方風の服もたくさん売られていた。

 トーマ以外の3人が新品のズボンを選んでいる間に、トーマも荷物の中の替えの綿服に着替えさせてもらった。


 店を出てトーマが周囲を見回すと、道の反対側に立つ黒髪の少年が目に入った。十代後半で、トーマより少し背が高い。こっちを見ていたと思うのだが目線が合うことは無く、歩き出した少年は中央通りを西に去ってしまった。


 約10階梯の【賢者】保有者だった。向こうも「魔眼」でトーマに気づいたはずだが、驚きや親しみを見せることは無かった。旅装ではなく街の住人と変わらない服装をしていた。

 こういう場合身元を確かめたほうが良かったりするのだろうか。独り立ちには早い未熟な【賢者】保有者に会うのは初めてのことなので、トーマには判断が付かなかった。




 4人は岩山の洞穴宿泊所に戻ると、ライマーンで購入した果物や「乳脂と蜂蜜入りの焼き菓子」「牛シカ腿肉の塩漬け燻製とブドウの葉の薄焼きパン巻き」を食べた。

 鉄鍋で湯を沸かし、トーマの買った豆茶も淹れて飲む。3人は木椀を新たに買ったので回し飲みはしない。


 翌日、食事のせいか元気が戻ったユリーも張り切って帰路を駆け抜ける。吊り橋を渡り森を抜け、再び大湖海を臨む位置までたどり着いたのが9刻の始め辺り。

 道中何組かの旅商隊や狩猟隊と行き会ったが、盗賊のような怪しげな者は無し。というより戦力的にトーマ達4人を脅かす程の者が居なかったのでどうでもよかった。


 プラムーシの東門に到着したのは10刻の始め。まだ夕刻。ニストリーを渡す船があるかもしれないので東岸市街を川辺まで走り抜ける。10人乗りの船に4人の客が乗っており、舟が出る直前、ぎりぎりに間に合った。




「今日はあの老人ではないんだな」

「一日中じゃ疲れちゃうんじゃない? 前も午後はこの人だったような」


 渡し舟の船頭は女性であった。やせ細った中年の【水の導師】保有者。階梯は40以上なのは確か。顕現精霊は目の飛びだした平べったい魚の形であらわわれていた。


 三日ぶりに訪れたアンドレイ達の行きつけの宿、『クラシブ・ウスタウラ』に今回も泊まることができた。ワッセニー以東の地域では共通語の語彙ではない言葉が多く残っている。特に名詞はトーマの知らないものが多い。

 トーマは鶏肉と豆と古漬け菜っ葉の煮込みを食べながら、アンドレイに聞いてみる。


「プラムーシでは安心して泊まれるのか? 人が多いのはライマーンと変わらないと思うんだが」


 アンドレイは少し考えて、真面目な顔で答えた。


「俺たちの事情を知ってる奴が、ここまで追いかけて来るとは思わない。だがそれだけじゃなく、そもそもあのライマーンの街はどうも好きになれない。なんとなくなんだが、やっぱり自然に人が集まってできたのとは違う、人工的な街だからかもしれないな」




 翌朝は雨だった。

 雨が続くからと言ってずっとプラムーシに滞在するわけにもいかないが、できれば移動は晴れの日にしたい。そうでなければ一日で300キーメルテ近い距離を走るのは難しい。様子を見ることにして一日骨休みと決めた。雨は結局夜まで断続的に降って、止んだ。




「寒い!」


 ユリーが鹿皮の袖付き外套の前合わせを掻きよせて文句を言った。秋雨で季節が進んだらしい。11月1日、早朝のプラムーシ西門外は吐く息が白くなるほど冷え込んでいる。「走ればすぐ暖かくなる」とイヴァンがユリーの背中を叩いた。


「今日一日もってくれればいいんだが」


 曇った空を見上げてアンドレイが呟いた。


 数日前のニストリー草原地帯は一面の緑が美しかったが、今は心なしか枯草の色が混じりだしている気がする。空模様は相変わらず曇ったままだが、今の所雨は降っていない。街道の土の路面は少し湿っているものの、ドロドロというほどでは無く、このままなら日のあるうちにコーバーの街に着くことは不可能ではない。


 昼過ぎに集落の廃虚までたどり着いた。太陽は一向に顔を出さず、時刻は確かではないが。6刻間ほどで150から160キーメルテ走り続けたことになる。

 両手をひざに突いて息を整えるユリーはへとへとに見える。


「冬の間にもう少し階梯を上げないとな。春になったらもう一回りでかく商いをするんだ」


 そう言ってユリーの肩に手を置こうとしたアンドレイが、動きを止めた。

 「どうした?」と話しかけるイヴァンを「シッ」っと制し、左右にゆっくり首を振って何か聞いているようだ。南の方向にするどく振り返る。


「逃げるぞ!」

「えー? なにー?」


 気の抜けた声を出すユリーを追い立てるように、元来た道を東に駆け出すアンドレイ。トーマが南の方角300メルテにある丘を眺めると、8体の背の高い生き物が丘の上からこちらに駆け下りてきている。


 いや、背の高い生き物ではない。ウマだ。

 ウマの上に人間が乗ってこちらへ迫って来ていた。

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