第27話 回想のトーマ3

 階梯に見合わない低い格の魔石から成長素を摂れる異能もある。

 ≪下限緩和≫という異能は、例えば20階梯までしか成長素を得られない魔石を、25階梯まで利用できるようになる。意識して使うのとは違う常時発動の異能だ。


 有用だが5階梯程度の話だし、利用可能と言っても得られる成長素は魔石の格が低ければ低いほどどんどん少なくなる。≪下限緩和≫でぎりぎりの弱い魔物の魔石だけ摂って階梯を上げるには、15個は食わなければならない。

 見合う格の魔石なら普通は5個前後である。


 背の高い赤毛女、いや少女と呼ぶべきか。トーマと同じだけの『五芒星の力』を持っている。ならば階梯もトーマと同じ30超えのはずだ。二つ尾イタチデカチの魔石の格とは階梯が10ほどは見合わない。にもかかわらず一個の魔石で十分な量の成長素を少女の『魂の器』は溜めこんだ。


 女は魔物の血が混じった唾をぷっと吐いた。魔石は成長素になって消え失せても、付着していた血液などは口中に残る。袖が無く丈の長い皮服の懐から巾着袋を取り出すと、中を探っている。


「あー、えーっと、君」

「アタシの名はラウラだよ。よろしく」

「俺はトーマという。俺は【賢者】で、……つまり君の『魂の器』の情報が見えるんだ。わかるか?」

「わかるわかる。知ってるからつけて来た。アタシの『器』ってやっぱ変?」


 ラウラから小銀貨5枚を受け取ったルキノが「なんだ? 何が?」と聞いてくるが無視する。


「異常だ。見たことが無い『魂の器』…… 異能も、≪下限緩和≫と感じが違う……? とにかく30階梯を超えているのに、なぜ今の魔石で成長できるんだ」

「アタシはまだ21階梯だと思うよ、たぶんだけど」

「は? 嘘だろう?」


 階梯が上がれば『五芒星の力』が上がる。既知のどんな『魂の器』でもその合計は階梯に比例するはずだ。構成が異様に歪なら推計を見誤ることはあるが、ラウラのそれは均等型である。


「いや階梯が上がるのは感覚でわかるじゃん。魔石を食った感じの、もっと激しいやつ。それで数えてるからわかるよ。たぶん21。アタシが普通と違うってことがよく分かったよ。ありがと」

「待ってくれ。ちょっと待ってくれ」


 トーマは決断した。ラウラの『魂の器』に意識を集中する。

 トーマ自身の魂を内側に開くように、≪書庫≫を発動した。ラウラの異常極まる『魂の器』も≪書庫≫になら情報があるかもしれない。『魂の器』に関する情報は一門では最も重要で、最優先に記録されるべきものと定められている。




 混とんとした書庫の内容。

 無数の微小生物が泳ぎ回る水に潜ったような、頭蓋骨の中に何かを目いっぱい詰め込まれたような、それがかき回されるような、耐えがたい感覚。

 ラウラを「魔眼」でじっと見つめ続ける。

 雑多な記憶のごった煮の中から『魂の器』の種別についての知識を掬いあげようと、トーマは今まで潜ったこともない深みまで、書庫を探っていく。


「ねぇ、なんか気持ち悪いんだけど」

「本当だ。トーマ、顔が白ガエルみたいになってるぞ」


 白ガエルって何だ。聞いたことが無い。余計なことを言うなバカルキノ。

 集中が乱れ、カエルに関するさまざまな記憶を皮切りに、無意味な記憶の洪水がトーマの意識に流れ込んできた。

 ≪書庫≫の閉鎖に失敗し、トーマの意識は闇中に落ち込んでいった。




 テオドリックの膝枕の上でトーマは意識を取り戻した。気絶していたのは数分間だけだという。ラナデセーノに帰らなければならない。日が暮れれば締め出されてしまう。

 ラウラも含め4人、獣道も無い森を南に向かって走る。背中に大ぶりの斧を背負って、木の根の上を飛び跳ねていくラウラの運動能力はやはり高い。


 テオドリックも経験から知る一般的な『器持ち』の挙動との差異に、怪訝な顔をしている。

 年齢から言えば21階梯でもかなり高いほうなのに、実際の力は30超えに相当するのだ。違和感があって当然だ。



 ラナデセーノ北門に帰り着いた。日暮れまではまだ余裕がある。審査待ちの列にすこし並んでから、役人に大きい銅貨のような「一時滞在許可証」を4人そろって見せる。特に何か言われることもなく、ラナデセーノ街中に戻ることを許された。



 北門から中央公園広場へつながる大通りを歩いて行く。

 二つ尾イタチデカチの毛皮はどこに持っていくのか、ルキノとテオドリックが話し合っていると、ラウラが知り合いの皮鞣し職人がいるからと、そこに持ち込む事を提案した。北西の工房地区にあるという。

 西に曲がって工房地区を目指す道中、トーマがラウラにどこに泊まっているのか、出身や、誰に『魂起たまおこし』を受けたのかなどを訊く。ラウラは「いやらしい。スケベ」「乙女の秘密」といって取り合わなかった。




 市街地の北西の端、街壁のそばまで来てしまった。路地を歩いている者を見かけない。だいぶさびれた場所だ。

 ぼろぼろでほとんど廃屋に近い建物の陰から、6人の男たちが出てきて路地をふさぐようにトーマたちの前に並んだ。矢場いやつは二人。


 派手な緑色の外套に身を包んだ男。階梯30台後半。風精霊同調適正が『良』。『マナ出力』『マナ操作』も大きい。


 左右両腰に細長い剣を佩いた痩せた長身の男。鉄製の手甲と脛当てを装備している。『マナ操作』と『速さ』がこの場の誰より高い。高度な武術の使い手に見られる特徴。階梯30台半ば。


 そしてもう一人。

 朱色に染められた毛皮の外套を羽織っている。長めの栗色の髪を後ろになでつけた、歳のわりに引き締まった体つきの中年男。『魂の器』・【賢者】の保有者だ。


「いい夕方ですね。トーマさんと、護衛のお二人。私はディミトリエ。ここラナデセーノで『魂起こしの儀』を生業にしている人間です」


 ディミトリエと名乗った男の階梯はおそらく40近い。わずかに魔法行使に偏った構成。土精霊と風精霊が『並』で、あとは『不可』。

 同調適正はともかく、階梯だけ見ればトーマ一人で抑えられる相手ではない。

 その他の三人だって戦力になる階梯だ。


 丸めてある二つ尾イタチデカチの毛皮を足元に落とし、ルキノが口を開いた。


「何の用だ」

「いえね、この三日間トーマさんたちが開いた、『魂起こし屋』の影響で、私が被った損害。それについて、話し合いをしたい。そう思いまして」

「……あー、ラナデセーノ政庁の役人には、自由に営業してかまわないという確認をとっていますよ」

「政庁の役人ですか? 政治や法の話はしていませんよ。義理の問題。言い換えるなら、庶民の正義の問題です」


 庶民には到底手の出ないような太い金細工の首飾りを着けた男のにやけ面は、公の場での裁きを求めるようなつもりが無いことを物語っている。


「……俺はもう、この街で魂起こしをしなくてもいい。今日だって客が来すぎて困ってた。もう露店は開かない。それでいいだろう」

「そういうわけにはいかないんですよ。大銀貨2枚で魂起こしをする人間がいる、その噂は広がってしまっている。トーマさんにはこれから、私の下で一緒に働いてもらいたいと思います。金貨1枚。相手の資産によってはそれ以上。私の要求する料金こそが適正価格だと、この街の住民が理解するまで、ね」

「それはできない。明日俺たちは街を出る」

「できませんか。『書庫の賢者』での決まりなんですかね? 大銀貨2枚というのは。私はね、トーマさん。『書庫の賢者』の皆さんが不当な安売りを続ける限り、相容れないと考えているんですよ、永遠に」


 まさか、トーマ個人ではなく『書庫の賢者』全体と争うつもりなのか?


 緑の外套の風魔法使いが呪文の詠唱を始めた。

 双剣使いの男が一瞬屈みこみ、伸びあがるようにして細長い剣を左右同時に抜き放った。

 テオドリックが前方に飛び出しつつ、右上から振り下ろすように双剣使いに突きかかる。穂先の付け根を剣で打ち払い後退した双剣使いが、すぐさま反撃の構えを見せる。

 ルキノが短い刈り上げ頭の男の大剣の横薙ぎをかいくぐり、体当たり食らわせて吹っ飛ばした。階梯がたぶん20に届いていない大剣使いは、路地の建物の外壁にめりこんでしまった。

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