第24話 師叔

 大食堂は窓にガラスが使われていて、まるで屋外のように明るい。客は全部で3人しかいない。昼食には少し遅い時間であるし、そもそも激しい肉体労働をする者でなければ昼食をとることは少ない。ここは高級な宿である。

 アルスランは大皿の肉料理といっしょに大きな固焼きパンを食べているようだ。携帯保存食の固焼きパンをなぜ宿の食堂で食べているのだろう。

 トーマは『書庫の賢者』一門内での敬称の使い方を思い出しながらアルスランの前に立った。


「初めてお目にかかります、師叔ししゅくアルスラン」


 師叔とは、師匠と同格に当たる階級の者への敬称だ。師匠より年上なら師伯、年下なら師叔。顔中毛だらけでわかりにくいが、アルスランはラケーレよりは年下で間違いないはず。師叔はよく煮込まれてやわらかそうな茶色の肉塊を匙から皿に戻すと、トーマを見た。


「あんっ? なんだおめぇ? ちょっと待ってろや!」


 『七賢』が1人『怒濤のアルスラン』は瞑った右目のまぶたで虫でもはさみ殺すような顔をしてしばらく固まる。……20秒も固まっている。


「……! なんだおめぇラケーレの弟子か! もうそんななってんのか、驚いたな! 歳はいくつよ!」

「28です。トーマと申します」


 一目でトーマを【賢者】と見抜いて、身元を確かめたのだろう。≪書庫≫にはラケーレが書き込んだトーマの情報がある。

 アルスランの階梯は、ラケーレと変わらないほどで、50を超えているのは間違いない。顔の下半分を覆う髭をモジャモジャ掻きながら、固焼きパンを噛みちぎると、肉の煮込みの汁で飲み下した。


「ラケーレは弟子育てんのがうめぇな! 俺の弟子なんか30歳過ぎてんのに地元でダラダラしやがってまだ20台だよ! 階梯!」

「いえ、私などは書庫の賢者として至らないところばかりでして……」

「あん? そういやぜんぜん書き込んでなかったな。なんでだ? あれか? 気持ちわりぃか? そんなのお前、慣れだよ慣れ!」

「ははは……」


 トーマの階梯が40に達していることも「魔眼」で見抜き、そのうえでトーマが≪書庫≫に何を書き込んでいるかも確認していたらしい。何も書き込んでいないし、それどころかトーマは閲覧すら満足にできていない。


「んで何よ? ここの宰相殺そうってのか? やめとけよー、トーマ。おまえ、相手見なきゃいかん。ラケーレ病気なのか? もう長くないのか?」


 宰相を殺す? 急に物騒なことを言いだした。


「いえ、師匠はお元気でしたが…… ラナデセーノの宰相を? なぜ私が殺すなんて話に?」

「違うんかい? 七賢継承の条件、達成に来たんじゃないわけか」

「あぁ、宰相が賢者なのですか」

「それぐらいわかれよおまえ! トーマ! 本当に書庫使ってないんだな!」


 『七賢』継承の条件の3。権力の座にあり、≪書庫≫に混乱をもたらす【賢者】の、首級を上げる事。

 その条件を満たすために、トーマが宰相を殺しに来たと誤解したわけか。


「ラナデセーノの宰相は≪書庫≫にとって悪い存在なのですか?」

「いいや全然。最近じゃ何も書き込んでねぇし、昔の変な書き込みは消去させたわ」

「じゃあ最初から関係ないじゃないですか」

「それもそうだわな! いや、おまえが丁度40階梯だったからよ! わははは!」


 「まぁ座れ」と丸食卓の反対の席を示された。

 アルスランの話によれば宰相マルセルは、連合都市国家ワッセニーを結成させた張本人であるという。

 ラナデセーノを代々支配していたハインツ王家に20代の若さで接触。数年で信頼を得て側近に登用され、西のターハイムと北西のヌバウルド、北東のノバロフと合わせて4つの勢力を一つにし、連合国建国を宣言させたのが38年前。

 それぞれの勢力をまとめ上げるにはマルセル自身の『魂起たまおこし利権』を大いに活用したという。つまり、権力者の身内に魂起こしを施すことを条件にさまざまな政治的譲歩を引き出して、連合を発展させ続けた。

 トーマが政治音痴だとはいえ、ワッセニー結成に関する表向きの歴史は一通り学んでいる。それでもその存在さえ知らなかったということは、マルセルは陰で動く事が好きな類の人間なのだろう。


「つうわけで、あの陰険ジジイのこたぁ、俺がこうしてたまに釘刺しに来てっから心配いらねぇよ」

「そうですか。いや、だから私は別に宰相に用事があるわけではないんです」

「んじゃあ、何しに来たんだ?」

「修業の旅の道中です。ティズニールで師叔がワッセニー方面にいらっしゃると聞いて、お顔を拝見したく追ってまいりました」

「修業ねぇ……」


 アルスランは固焼きパンを手で砕いて料理の残った大皿に入れると、持ち上げて中身をかき込んだ。


「必要でしょう? ≪書庫≫を乱す【賢者】、ということは書き込みが可能な40階梯以上ということですし。今の私では勝てるかどうかわかりません」

「はっ! 権力におぼれて肥え太ったブタ賢者どもなんぞ! 自分じゃまともに魔物も狩れないような連中だぞ! 階梯がいくらだろうが俺たち『書庫の賢者』の敵じゃない!」

「……しかし、権力を持った相手なら、1対1の状況になるのも難しいのでは……」

「トーマ。おまえそもそも継承の掟第三条に乗り気じゃないな?」


 だてに七賢の座にはいないという事か。さすがの慧眼である。

 下手なことを言って一門を批判し、師匠ラケーレの顔をつぶすのはいただけない。だが、その話を聞きたくてアルスランを追って来たトーマである。


「なぜ、そうお考えに……?」

「そりゃお前、マルセルに用事じゃないのに東側に来てっからよ。西側にだって40階梯に見合う魔物はいくらも居る。情報が多い分探しやすいとさえ言える。ついでにクソ賢者どもを探すのも、人の少ないこっちよりよほど簡単だぜ。今殺しても良さそうなのが5人は思いつく」


 デュオニア共和国の北西。トーマの生まれ故郷の都市長も【賢者】保有者だった。書庫に書き込みできる階梯だったか知らないが、トーマの【賢者】への目覚めによる混乱の際、住民に政権転覆を計られるくらいには愚物だったのだろう。


 賢者権威主義とでも言おうか、賢者が政治権力を握っている都市国家は多い。

 そういう権力の座にある賢者との対面を無意識に避けていると言われると、そんな気もした。


「気持ちはわかるぜ? まぁ古臭ぇ掟だ。すこし意味は違うが、見せしめみたいなもんだしな」

「見せしめ、ですか」

「そーだ。『書庫の賢者』幹部として、敵対する者には実力行使を厭わないって、姿勢を見せつけなきゃいかんわけだ。見せしめ? というか示威行為? だな」

「……」


 野蛮な話だ。力を見せつけなければ話し合いが成立しない人間も、確かに存在するが。

 アルスランは大きな両手を胸の前でパチンッと打ち鳴らした。


「考えこむ必要はねえよ! やるべき時は向こうからやってくるもんだ! 俺んときだってそうだったぜ? 大陸の西のはじっこの街で、王座にふんぞり返ってる糞ジジイが居てよ。女を犯した記憶を何人分も書庫に書き散らしやがって、ドタマにきたから行って攫ってボコボコにした。くだらねぇ書き込みを消させたら、覚えとけとかぬかしやがるから、殺した。別に七賢になりたくてそうしたんじゃねぇ。トーマにもそのうちそんな時がくるかもしれねぇし、来なかったらならなきゃいいじゃねぇか! 七賢なんぞ!」


 【賢者】というのは『魂の器』の名称に過ぎない。

 「賢い者」という本来の意味通りの人間に、それが目覚めるわけでは無い。


 アルスランは今日既に3人魂起こしを施しており、この日の予定はもうないらしい。トーマも軽い食事を注文し、そのまま2刻の間雑談した。

 シャラモンの話やラケーレの話。オカテリアでの無料魂起こし希望者の話。

 タフェット臨時代官ロレーナとの面識はあるのか、と聞いたら約20年前に魂起こしをしたのはアルスラン自身だという。


 4年前の旅でオカテリア東の海沿いの街、アルビョンで引き留められ、宿の部屋に代官の娘が忍び込んできた話をすると、「俺はそんないい目にあったことはねぇ!」と、アルスランは憤慨した。




「はーん? んじゃぁトーマは4年前もワッセニーに来ていたわけだ。こっちで何かいい思い出はあるか?」


 トーマは言葉に詰まった。悪い思い出とは言わないが、不思議な、変な思い出ならある。


 4年前、旅の序盤。ここ、ラナデセーノで起きた事であった。

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