第23話 ブタ

 ロレーナに見送られてタフェット市を後にする。時刻はもう日の5刻。

 トーマは150キーメルテ東のターハイムへ急いだ。


 タフェット・ターハイム間にも開拓村や小都市はあるが、主要街道から離れなければ行けない。先にターハイムに行って、アルスランを追い越したのかそうでないのか、判断するのが先だろう。

 ターハイムまでの道のりは高低差の少ない、いわば「平地の森林」だ。

 街道は狭く、見通しも悪い。下草の生えていない土の路面の幅は1メルテもない。

 旅姿の『器持ち』の男女二人組とすれ違う時にはお互いに速度を大きく落とし横向きにならなければならなかった。


 魔境の森というのは標高によって「濃さ」が変わる。

 平地の森をはしる街道沿いでは、周りの木々は切り払われたり蹴り折られたり、ある程度、伐採・整備されている。

 未熟な若木や、樹高の低い低木が多い。なので街道上は空が見えている。


 人の営みが森を切り拓いていると感じられるのだが、2刻半ほど行って低山地帯に入ると状況が変わる。

 本当に高い山の上では気温の関係なのか大きな木は生えないが、半端に標高が高い低山地帯の木々はなぜか急速に巨木化する。街道のすぐ脇の樹木を伐採しても、少し離れた大樹の枝が幾重にも空を覆い、空が隠れて暗くなる。


 森という塊に掘られた横穴に潜っていくような感覚。

 トーマは急に自分が今一人ぼっちである事を意識してしまった。


 しばらく走っていると街道の向こうから10人以上の集団が歩いてくるのが見えた。3人の器持ちが先導している。速度を落としたトーマに、一人が走り寄ると鉄製の兜の下で緊張した表情で話しかけて来た。


「おいどうした、何かに追われてるのか? 魔物か?」

「あ、いや。別に何も居ない。驚かせてすまない」

「なんだよ、ただ急いでただけか」


 後ろを振り返って「なんでもない」と伝えている。先導する3人以外は『魂の器』を持たない常人つねびとのようだ。10歳にもなっていないような男児までいる。護衛を雇って家族ごと移住するのだろうか。


 『器持ち』だけで狩りや旅商をする場合よりも、護衛しながらの旅では警戒が強くなるのは当然だろう。常人の全力疾走よりも速いトーマの移動速度は異様に映ってしまうのかもしれない。


 道の脇に避けて集団を見送った。『器持ち』が3人と思ったのは勘違いで、行列の最後はウシが引く小さい荷車を操る16階梯ほどの若い男だった。下り坂なので荷台に結びつけられた綱を引っ張りながら歩いている。

 魔物である三つ目スイギュウではなく、普通の家畜のウシを見たのは久しぶりだ。ターハイムは畜産が盛んな街であったことをトーマは思い出した。



 高台から見下ろす風景は、住宅が密集している他の街とはだいぶ趣が異なる。

 広い盆地の北側は青々とした湖だ。高い堤防で南側の平地と隔てられている。

 屋根のある建物は平地を三分の一ほどしか占めておらず、しかも人間の住居はそのさらに半分だ。残りは畜舎や、家畜の餌となる牧草や落葉樹の葉の保存庫である。


 ここターハイムには街壁が無い。家畜を目当てに魔物が大挙して襲ってきそうなものだが、そうはなっていない。

 ワッセニーを構成する4つの都市の中で一番無防備なのだが、それが逆に連合中の『器持ち』が集まって狩りに勤しむ結果につながり、周辺の森には魔物がほとんど居なくなっているのだ。

 湖の恩恵で水源は確保され人口は8千人近いが、まるで開拓中の村のような形態の都市なのである。


 はやく情報の聞き込みをしなければ日が暮れてしまう。タフェットでは統治権力の最上位であるロレーナと関わることになったが、今回はやはり【賢者】であることを知られない方針で行きたい。

 ターハイムは連合都市国家の一部であるが評議会という組織が自治権を持っていた。4年前トーマは評議会の要請に従って10人の希望者の『魂起たまおこし』を5日にわたって実施し、全員成功させている。


 街の中央を西から東に貫いてラナデセーノまで続く街道。アルスランの情報を聞きこむために街道沿いの飲食店にトーマは入ることにした。


 他の町でブタを家畜とすることはあまり見られない。

 森ばかり多くて牧草地を確保するのが難しい現代において、雑食のブタは有用な養殖肉になりうる。

 しかしブタは野生化すると容易にクロジシや牙角きばづのジシなどの魔物に変化するので、ターハイム以外では人里に入れることを忌避する感情が強いようだ。


 『イレアーナのブタ肉料理店』の女主人はトーマと同年代と見える。久しぶりのブタ料理を注文する。根菜とあばら肉の平鍋蒸し焼き。薄焼きパンがついて銅貨15枚。


 店内は長卓で仕切られている。調理場は平たい石が敷き詰められ、客席がある他の部分は土がむき出しだ。食卓も二つ用意されているがトーマは長卓に席をとった。

 小太りの女主人は娘であろう小さな子にまとわりつかれながら、棒状の取っ手が付いた鉄平鍋をカマドの火にかけている。


「ひとつ聞いていいだろうか。ここ最近、10日以内に髪も髭もモジャモジャの2メルテ近い大男を見なかったかな。器持ちで、もしかすると賢者と名乗って魂起こしをして回ったかもしれないんだけど」

「んー? 2メルテの大男? 見てないと思うけど、名前はわからないの?」


 女主人はカマドの薪をいじって火力を調整しながら答えた。


「名前はアルスラン。『怒濤のアルスラン』って呼ばれてたかもしれない」

「なんだか御大層な名だね。あたしは知らないなぁ。人探しなら評議会の人を捕まえて聞いた方が分かると思うよ」


 下唇を突き出しているトーマを女主人の娘がじっと見ている。6、7歳だろうか。


「お嬢さんは何か知らない? 大きい髭モジャおじさんのこと」

「……あんねー、オイゲンのにーちゃんがねー、おっきいヒゲのおじさんに強くしてもらったって、ゆってた。これからもっと強くなるから、もう子供とはあそばないって、ゆってたの」


 そういって母親のおしりの裏に隠れてしまった。女主人は「あらそうなの?」などと娘の頭をなでている。


「すいません、オイゲンというのは……」

「えーっとね、デルモアさんとこの長男坊だよ。西区で一番大きいウシ飼いの家、行けばわかるよ」


 一軒目の聞き込みで手がかりをつかんでしまった。トーマは出来上がった平鍋蒸し焼きを急いで食べて小銀貨一枚払うと、釣りを受け取らずにデルモア牧場に走り、確かに長男が魂起こしを受けたという話を聞いた。

 アルスランはターハイムで数日にわたって魂起こしをしていたらしい。


 トーマは今日、この街に泊まって昨晩の不十分な休息を取り戻すつもりである。

 アルスランが滞在していたと聞いた宿に向かう。なんのことはない4年前トーマも泊まった所であった。警備の良い宿は限られるから当たり前ではあるが。

 白い口ひげを生やした宿屋の主人によると、アルスランも一人旅であり、8日前にやってきて5泊して去ったという。ラナデセーノに向かう道中であるらしいとも。


 3日前にラナデセーノに向かって、そこでも『魂起こしの儀』をしているなら、今もいる可能性が高い。トーマは翌朝の携帯食を特別料金で注文して、陽が沈むと同時に清潔な部屋、清潔な寝具で睡眠をとった。




 早朝からラナデセーノに向かって疾走する。夕食が早かったので起きたら腹が減っていた。小銀貨2枚で用意してもらっていた携帯食は結局、宿の食堂で食べてしまった。

 ワッセニー本領内ということもあって街道は人通りが多い。3組の旅商いの者らとすれ違い、一組を追い抜いた。皆トーマの異様な速度に驚いていたが気にするのはやめた。途中、蟲の魔物であるニクソギバチの群れに出くわしたが風の大魔法『大蛇旋風バミューウェンティゴ』でいいかげんに吹き散らした。どうせ魔石はトーマの階梯に合う格ではない。




 太陽が中天に位置する正午。ラナデセーノ正面門に到着。入街審査に数人が並んでいる。

 街壁、というより城壁と言った方がいいだろう、ラナデセーノの威容は正にこれこそが城塞都市という感じである。壁の高さは10メルテ越え、今は開いているが城門の大きさも2階建て住宅くらいある。


 トーマは入街審査の役人に『書庫の賢者』のメダルを見せた。どうせこの街でアルスランに会うならば、身分は隠せないのだ。

 しばらく待って、駆け付けた上役の役人に居場所を聞くと、アルスランは今、滞在する『旅館・城南ラナデセーノ』に居るはずだという。

 案内してもらうと総石造り、3階建ての貴族の邸宅のような宿屋である。トーマはここには泊まったことが無い。受付に事情を話して大食堂に向かう。

 そこには真っ黒な毛皮を羽織った真っ黒なモジャモジャ髪の大きなうしろ姿があった。

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