第22話 朝食

 『書庫の賢者』のメダルは返してもらった。

 ひらひらとした薄手の生地。赤く染められた丈の長い服を着たはロレーナは、階梯40超えの【火の導師】保有者だ。火精霊の同調適正は『優』。

 『優』『良』『並』『可』の4段階で最高である。

 【火の導師】【風の導師】等、『導師系』の『魂の器』は、対応する精霊との意思疎通を強化する異能が付いている。彼女らは一般の魔法使いが使うような呪文を唱えること無しに魔法を行使できる。

 精霊言語の研究などまるで進んでいなかった紀元前の昔から、この系統の『魂の器』を持った者は魔法使いとして、あるいは精霊信仰の巫術師として力を振るっていたと思われる。


 トーマも呪文を口に出さずに魔法を使うことはできる。しかし使い慣れた得意魔法に限るし、音として発音しないだけで、頭の中できちんと一言一句間違いなく呪文をなぞらなければ発動しない。


 ロレーナに味のいい料理屋を聞くと、現在タフェットに他所から来た人間をもてなせる料理屋は一軒しかないという。トーマは庶民的な店でもよかったのだが。


 案内されて入った料理屋『タフェット味自慢』の店舗は石造りの大きな屋敷を改築したものだ。10メルテ四方はあろうかという広々とした室内。中央部分は二階へ吹き抜けになっている。正面奥には大きな階段があり途中の踊り場から左右に分かれて二階の各部屋への廊下につながっている。

 食卓が8つ並んでいるものの、朝食の時間帯は過ぎているからか客はトーマ達だけのようだ。給仕の男がトーマたちの入店に気づいて近寄るが、ロレーナが目配せをすると調理場につながる出入り口に引っ込んだ。


 『タフェット味自慢』の建物はどう考えても、4年前トーマが世話になった市長一家の屋敷であった。


「ルドヴィヒ殿とご家族は、どうなったのでしょう?」

「なにか誤解なさっているようね。ここで血なまぐさい事なんて起きてないわ。ルドヴィヒ一家は今、ラナデセーノで安全に暮らしているもの」


 ラナデセーノは連合都市国家ワッセニーの中心都市だ。ロレーナによると市長一家は、ここタフェットの統治権や屋敷の権利を売り払って新天地で悠々自適の生活を選んだということだ。


 一家そろって小動物のような顔だちをしていたルドヴィヒ一家の面々が思い出される。実際そこまで義理も無いが、一応安心したトーマは出入り口に一番近い食卓についた。向かい側にロレーナも座る。

 ゆったりした服に隠れて体形は分からないが、顔は骨ばっている印象だ。

 四角い輪郭のロレーナの顔は、化粧のせいで年齢が分かりにくい。30代だろうか。20代と言われても嘘とは言いづらい。

 階梯は『五芒星の力』の合計から推計するしかないが、『マナ出力』・『マナ操作』が突出して高く、歪な構成で推計が難しい。40階梯以上なのは間違いないのだが。


「ワッセニー政府は『書庫の賢者』一門と敵対する意思は無いの。今回の不祥事はこちらで厳しく処断させてもらうわ。そして壁周辺は基本的にタフェットの法の及ぶ範囲で、私刑は許されていないというのが原則。だけど事情を鑑みて私の権限で不問にするわ。そういうことで理解してくださる?」


 ロレーナは庶民の女とは違う、教育のある人間の話し方をする。

 街の外にくりだして魔物をぶち殺して稼ぐことが『器持ち』の主な活動であり、女性はあまり『魂起こしの儀』を受けない。受けるのは権力者の身内の娘であることが多いから、ロレーナもその口かもしれない。


「別にかまいません。終わったことです。それより腹が減っているので注文していいですか?」


 ロレーナは指を鳴らして給仕の注意を引くと、「今日一番の料理を」と勝手に注文してしまった。奢りだろうか。そうでなければ怒る。


「それでトーマ殿は、どのような用事でこのタフェットをお訪ねになったのかしら。まさか不良警備兵を咎めるためではないでしょう?」

「ワッセニーに向かう途中です。あーつまり、本領にということですが。ここがワッセニー政府の統治下にはいっているとは思いませんでした」

「統治権が譲られたのは今年の3月のことですもの。知らなくても当然よ」

「10日ほど前にティズニールからワッセニー方面へ、一門の幹部である『七賢』の『怒濤のアルスラン』が向かったというので追って来たのです。ご存じありませんか」

「アルスラン様ならお顔を存じ上げているわ。でもタフェットには寄っていないようね。お忍びの旅なら確実とは言えないけれど、あのお姿ですしね」


 そういってロレーナは形のいい指を唇に当てて軽く笑った。

 トーマは面識が無いが、アルスランは身長2メルテ近く、縦にも横にもでかい大男で、髭モジャの中年であるという。師匠ラケーレから『七賢』の外見などの情報は聞いている。

 旅程によってはタフェットに入らずに東を目指すことも別に不思議ではない。追い越してしまったとは思わないが、ここから先はもっと情報を集めながら進まないとそうなってしまう可能性が高くなる。まっとうな【賢者】なら訪れた人里で『魂起こしの儀』を施すために数日滞在するのは普通だ。


 ここでないなら街道を東に行った先、ワッセニーの玄関口と言われるターハイムの街で滞在したかもしれない。ターハイムに着いたら聞き込みをしなければならない。


 まだ料理が来ないのでトーマは気になったことを聞いてみた。


「しかし何故、あなたほどの使い手がこんな中規模の街の代官になったんです? ここにそんな戦略的価値があるんですか?」


 ロレーナは間違いなく強者である。

 今この場で1対1で戦うなら一瞬でトーマが勝つだろう。魔法行使に偏ったロレーナの構成に対して、トーマの『五芒星の力』は全て均等に近い構成だ。近接戦闘で後れを取るはずはない。

 だが集団戦闘になったとき、4精霊で最も攻撃的な火精霊魔法を大規模かつ効率的に運用できるロレーナはまさに10人力だろう。『器持ち』で10人分である。


「……戦略的価値だなんて、物騒なことは言わないでほしいわね。ワッセニー連合は別に拡大政策をとっているわけではないわ。求めているのは安定だけ。周辺に政治権力が不安定な都市があれば、統治機構の安定化を促すために介入することもある。私の役目はそれだけよ。正式な代官が決まればラナデセーノに戻るわ」


 トーマには難しくてよくわからない。政治にはあまり興味がない。ワッセニーがティズニールに攻め入るような事が、今日明日起きるわけでは無いのならば、とりあえずトーマがこの場で物騒なことをする必要もないだろう。


 給仕の男がトーマの遅い朝食を運んできた。ケヅメドリの脚肉の、何かの乳煮込みだ。上品な香草の香りが食欲をそそる。白い陶器の器に盛られているのも良い。三角形に形を切り整えられた薄焼きパンが5枚付いている。


「えーっと、朝食まだだったんですか?」


 同じ料理がロレーナの前にも置かれている。タフェット臨時代官は若干顔を赤くし、目を伏せている。さっきの注文の言葉では、二人分を注文したように聞こえても仕方ない。

 奢りであることを確認して、空腹のトーマは二人前の料理をたいらげた。

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