第21話 拘留

 トーマの短剣は刃幅が指二本分、身の厚さは親指の太さほどもある。貫かれた手の甲はとても痛々しい。左手で短剣を掴もうとしては刃のきらめきに躊躇って、激しいうめき声をたてる盗人。

 タフェットの街門の夜番の男は、トーマとあまり変わらない貧弱な体格だ。

 トーマは突き刺した時と同様に一息に短剣を引き抜いた。


「——ッグゥ!!」

「行っていいぞ。次は殺す」


 冷酷に聞こえるように意識してトーマが言い渡すと、男はどこからか取り出した布を傷ついた手に巻き付けながら、背を丸めて門扉横の見張り所の方によたよた歩いて行く。


 門扉を開けて出てきたはずはないし、おそらく見張り所の窓から降りて来たのだろう。

 階梯は15前後と低く、跳びあがれるほどの身体能力は無いと思うのだが、帰れるのだろうか?

 トーマは短剣の汚れをぬぐう布などを持っていないことに気づいて、少し慌てた。買ったばかりなのに錆びさせるのは嫌だ。


 狙われるのは初めてのことではない。屈強な護衛二人を連れた旅でも、野営中に5人組の賊に襲われ返り討ちにしたことが一度ある。街道を荒らしまわる大盗賊団から逃げ切ったことも一度。

 師匠ラケーレと修業の旅をしていた期間に襲われた経験は無い。小柄で右腕の無い女性と、同様に小柄な少年の二人組だったのに不思議なものである。


 トーマのいちおうの本拠地であるデュオニア共和国は、所属する各都市の内側だけでなく、その間に広がる土地も領土と定め、法の支配が及ぶと主張している。そんな国はトーマの知る限りデュオニアだけだし、例外である。


 この世界では通常、壁の外側に法は無い。外側は魔物が跋扈する魔境なのだから当然のことだ。

 まっとうに生きる者ですら自分の身は自分で守るしかなく、まして盗人などには何の権利もない。常人相手ならともかく『器持ち』相手に手加減も必要なかった。

 夜番の男は窓から垂れ下がっている綱を、両手両足で上って見張り所に帰ろうとしているようだ。さぞ痛いことだろう。


 手加減無用とはいえ何か窃盗の証拠があるわけでもない。せいぜい見張り所で夜番のはずの男が壁の外側に出ていたという状況証拠があるだけだ。殺せば面倒になる。これくらいの制裁が妥当だろう。

 15メルテほど離れたところで野営する3人組の内、一人は起きていたらしく、立ってこっちを見ているようだが暗くてよくわからない。

 トーマは今度は横にならず、荷物の隣、血痕の残る地面の反対側で壁に寄りかかり、座ったまま朝を待つことにした。




 壁の外側に法は無いし、過重な制裁を加えた覚えもない。

 そう思っていたのにトーマは現在、事情聴取を受けていた。

 タフェットの警備兵詰め所の地下一階。天井に空いた格子窓から、か弱い朝の光が差し込む狭い地下室だ。


 トーマは背もたれ付きのとても頑丈そうな椅子に腰かけ、警備隊長を名乗る屈強な戦士と相対している。20キーラムはありそうな木製の椅子の肘置きには、縄がこすれて出来たような跡がついており、そういう使われ方もするのだろうことが想像できる。

 警備隊長は鎧は付けず、麻の肌着に毛皮の胴衣を着て、腰に曲刀を佩いている。腕組みをして隊長が座っているのは粗末な丸太椅子だ。


「つまり貴様は、荷物を盗まれかけた被害者であると?」

「そうです。でも私は訴え出るつもりは無いですよ。逆に私は訴えられているんですか?」


 今朝早く、東の空が明るくなってきた頃になって旅の3人組が門に向かって騒ぎ始めた。

 どうやら不寝番をしていた一人が夜番の男の怪しい動きをどうやってか察知していたらしい。焚火の火に照らされたトーマと盗人の間の出来事をすべて目撃していたようなのだ。

 音をたてずに行動していた盗人の動きを察知するとは、不寝番としては優秀な男のようだ。朝になって目を覚ました仲間と相談したうえで行動を起こしたらしい。当事者であるトーマに相談もなく。


 トーマの味方をして夜番の男の犯罪を訴えてくれている3人組に「まぁいいんじゃないのかな、もうあれだし」などと曖昧なことを言ってトーマはあたふたしていた。

 そうしているうちに門扉が開いて、現れた警備隊長とその側近数名に、地下室へ「任意でご案内」されてしまったわけである。


「怪我をした当人、トッツェリオという下っ端の警備兵だが。ヤツの話によれば、用事があると言われて下に降りて、話を聞こうとしたら急に襲い掛かられた、ということになっている」

「それをして私に何の得があるんです」

「得が無くても他人を傷つける輩はいる」

「何の罪もないのに傷つけられたのなら、被害を受けてすぐに騒ぎ立てるはずでは?」

「それは窃盗被害を主張する貴様についてもいえる事だろう。トッツェリオは殺すと脅されて訴えられなかったと主張している」


 窃盗被害を騒ぎ立てたのはトーマではない。トーマはそれなりの制裁を科して穏便に済まそうとしていたのだ。

 トーマの荷物はこの地下室にそのまま置いてある。武装解除も求められていないので、逮捕されているということではない。

 しかし薄暗い地下室の唯一の出入り口はこれまた屈強な警備兵が立ちふさがっている。なんとも雲行きがよろしくない。


 ここはもう使えるものは何でも使って、さっさとこのつまらない事態を終わらせるべきだった。

 トーマは上着の懐から厚手の鞣革でできたサイフを取り出すと、巻いてある紐をほどいて中をさぐる。警備隊長が額に血管を浮き出させているが、賄賂を渡そうというのではない。


「私は実はこういう者でして。書庫の賢者・七賢『雷光のラケーレ』の弟子に当たります。ご存じないかもしれませんが市長のルドヴィヒ殿ならご存じかと。4年前にもここタフェットを訪れて『魂起たまおこしの』を何人かに施させていただきました」


 トーマの提出した銀製のメダルは人差し指と親指で作った輪の大きさに近い。大銀貨とほぼ同じ大きさだ。

 その表には精巧な彫刻で女性の肖像が彫られている。原初の二賢者の片割れであるマチルダ・ジョイノアの横顔だ。あくまで想像図らしいが。

 裏面には『これを持つものを書庫の賢者の一門と認める』と共通文字で彫ってある。『書庫の賢者』は別にジョイノアに深い所縁があるわけではないが、共通文字で記してあるものには彼女の肖像が一緒に描かれることが多い。

 文字が読めない者が見ても、「共通文字で何かが書かれている」事だけは伝わるので便利なのだ。

 現在大陸西部で使われる共通語と共通文字は、マチルダ・ジョイノアが生涯をかけて各都市国家を巡り歩き、広めたものが起源といわれている。そのため、言葉と文字を合わせて賢者言語と称することもある。

 話すのは当たり前でも読み書きができる者は少ない。

 中規模の街の警備隊長が、はたして読めるかどうか不安であったが、反応は著しかった。銅色の髪をかき上げて一瞬考えこむような表情をした後、「少し待て」と言いおいて地下室を出て行ってしまった。




 空腹を抱えたまま待つ。昨日は10刻の間走り続けて、そのうえ碌なものを食べずに夜を明かしたのだ。出入り口に立ちふさがる屈強な警備兵をどう無力化するか、考えだした頃。なにやら魔法使い然とした女が地下室に入って来た。


 連合都市国家ワッセニー政府所属、タフェット臨時代官のロレーナと名乗ったその女によって、トーマは無事に釈放されたのであった。

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