第20話 閉門

 トーマはティズニールから南に続く街道を徐々に速度を上げつつ駆け抜けていく。

 『魂の器』で強化された肉体をもってすれば、現在のトーマは1秒で4歩、1歩で数メルテずつの移動が可能である。だがそこまで速くは走らない。

 最高速度で走り続けるのは2刻が限界だろう。休憩が多くなる分一日当たりの移動距離はかえって減る。

 それに危険でもある。木の陰や岩の陰から人間が飛び出して来たら避けらずに衝突してしまう。相手が高階梯の『器持ち』ならばお互いに無事とは限らないし、もし常人つねびとだったら殺してしまうだろう。

 緊急時の制動や回避が可能な速度。そして呼吸が乱れず、疲れが蓄積しない限界を探りながら、トーマは結局一秒3歩、一歩で3メルテほどの駆け足を続けることにした。これで日が沈むまでに250キーメルテは移動できるはずだ。


 森に入って一刻ほど、分かれ道が見えて来た。来たときは右の道から来たが、左に行けばワッセニー方面に続く街道に合流できるはずである。大陸西部の大まかな地図はトーマの頭の中に入っている。≪書庫≫を使えない分、そういった覚えていた方がいい情報は努力して暗記している。


 魔境の森を構成する木々の種類についても、オカテリア議事堂の大図書館で研究書を読んだことがある。奇特な博物学者が記し、寄贈したものだ。

 どんぐりを生らせるナラや、カエデのような落葉樹。クスノキやカシのような常緑樹。マツやスギのような針葉樹。ブドウなどを生らせるツル樹木というのもあった。それら様々な木々が魔境の森では全部の種類が生えている。

 研究書に併記された内容によると、マナ大氾濫以前の世界で、樹木は決まった環境に似たような数種類の物しか育たなかったらしい。そう読み取れる古代の文献が今も残っているという。

 それが本当であれば魔境の森の木々は、マナの影響をうけて生態が変化した「半魔物」ということになる。森を一旦切り開いても、数年放置すると高さ10メルテ台の木が生い茂る森に戻ってしまうのも、ひょっとしたらそのせいかもしれない。




 さらに一刻ほど走って、ワッセニーへ向かって東南東にへ延びる主要街道に合流できた。合流点は周りの樹木が切り払われて、家数軒分ほどの広さの空き地が出来ている。旅人たちが作った休憩の場なのだろう。

 トーマも空き地外郭の若木を一本引っこ抜き、へし折って転がしておいた。誰かがそのうち薪にでもするだろう。

 義務を果たしたので合流点の脇の草はらで朝食を食べることにする。

 シャラモンの母が焼いた八重角やえづのアオジカ肉の平鍋焼きは、塩の他にわずかに蜂蜜が使われている。薄切りにされた肉の隙間に深い味わいの肉汁が閉じ込められていてとてもうまい。


(アルスランに行き会うことができなければ、どうするか……)


 皮袋から水を飲みつつ、「別にどうすることもないか」と、トーマは独りごちた。そもそもの旅の目的とは関係がない。


 師匠ラケーレから『七賢』を継承するための、二つ目の条件のことは頭にあった。師以外の七賢から推薦を貰わなければいけないのに、トーマはそもそも一人しか会ったことが無い。

 12年前、デュオニアより西に8日ほど行ったところにある都市国家アクイタで挨拶をした七賢・『灼岩のビセンテ』は高齢であり、現時点で存命か分からない。

 だがそんなことは些末事である。むしろトーマは3つ目の条件についての意見を、ラケーレ以外の『七賢』から聞いてみたかった。

 そのために急いでティズニールを出立したわけだが、会えなければ会えないでしかたない。経験を重ね、魔物を狩って強くなるための旅を続けるだけである。




 予定していた中継点の街、タフェット市に到着したのは日が沈んでからになってしまった。途中雨に降られ、雨具を着るために休憩。

 休憩時間とかそんなことよりも、雨に濡れた地面の上では予定通りの速度で移動することが不可能だった。

 前に訪れたとき、タフェット市は人口三千数百人程度の規模で、市長一家が統率する小さい都市国家、ないし国家もどきであった。4年前よりも街を囲む石壁は高く、街門の扉は重厚になっている。


 夜間であるから当然であるが、固く閉じられたその門扉の両脇には円柱状の塔のようになっている部分がある。中が見張り所になっているのだろう、小さな窓が5メルテほどの高さに開いている。灯火のぼんやりとした光をさえぎって誰かが顔を出した。


「そこのあんた、何かこの街に用事かね」


 中年の男の声で話しかけられた。正体不明の人間が夜に訪れれば、警戒されるのは当然である。丁寧な態度でトーマは応じた。


「いや、タフェットで宿泊させてもらえたらと思ったんだが、もう間に合わないかな?」

「まぁ、無理だね。緊急事態じゃなきゃ、門は開けられない決まりだよ」


 まあしかたがない。監視力が大きく低下している夜間、どんな意図を持っているかわからない部外者を受け入れないのは多くの街でそうである。

 『魂の器』を持った悪人が相手の場合、この程度の街壁や門扉は防御として十分とは言えない。しかし内と外を分ける境界として機能することで、住民は安心して眠ることができるのだ。


「壁の近くで野営することは可能かな?」

「ここから見える範囲だったら構わないよ。なにか要る物があれば買って来させるが」

「大丈夫だ、ありがとう」


 タフェットの街は壁から数十メルテほどしか森を切り払っていない。トーマは手早く薪になりそうな枯れ木をとってくると、門扉近くの壁沿いで簡単に野営の準備をした。


 この街は北と南にしか門が無く、トーマが今いるのは南門だ。門から西に10メルテほどの壁際に野営することにした。農地として利用されたりはしていないようで、草も生えていない踏み固められた地面である。

 枯れ木を短くへし折って積み上げ、火の小魔法で着火して焚火とする。

 わざわざ鉄鍋を出して煮炊きをする気にはならなかった。朝には街に入って朝食など摂ることができる。


 青鉄の杯にカーキーの茶葉をいれて、水を注いで直接火の側に置く。これを飲まないで肉や穀物ばかり摂っていると本当に病気になると、ラケーレには言われている。

 トーマは干し肉と固焼きパンを口に入れて噛み砕き、淹れたお茶で流し込んだ。うまくもない一食分の食料を一杯のお茶で流し込んで、皮袋の水もたっぷり飲む。

 まだ新しい外套を屋外で敷く気にならなかったので、ごわついたつ足オオカミの毛皮の上に腕枕で横になった。


 そうしていると、トーマの他にも閉門に間に合わなかった旅人らしい3人組がやってきて見張り所の夜番の男と何か話している。「金なら払う」「あきらめろ」など言い合っている。夕刻あたりに街道でトーマはその3人組を追い抜いていた。


 開門させることを諦めたらしく、結局彼らもトーマからは少し離れた場所で野営の準備を始めた。火魔法を使う者はいないのだろう、細く裂いた木の皮に火打石で着火しようとしている。

 3人とも『器持ち』だがトーマの脅威になりそうな階梯ではない。無視してトーマは目を閉じ、休息の態勢に入った。




 夜も更けて、おそらく夜半近く。何者かが歩み寄る音が聞こえる。獣でも魔物でもない。人間の足運びである。羊の毛布の下で短剣の留め紐をほどく。装着したままの短剣はこれでいつでも抜ける。

 魔法を使うような気配は感じない。足音は2メルテほど離れた場所のトーマの荷物に近づいて行く。背負子に積まれたままの荷物は街壁に立てかけられている。

 トーマは火精霊魔法で消えかけている焚火の炎を燃え上がらせた。荷物に手を突っ込んでいる男の姿が赤々とうかび上がる。飛び出したトーマは右脚で蹴りつけて壁にたたきつけると、男が地面に突いた右手を短剣で縫い留めた。


「ンギャアッ!」


 やはり盗人は門脇の見張り所にいた夜番の男であった。この季節の月はまだ東の地平線の向こうに隠れて顔を出していない。星明りだけで動き回るのは夜番の男の異能、≪夜目≫がなければ難しいだろう。

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