第19話 渡り鳥
トーマはその日、街中を走り回って準備を進めた。粒の小麦と小麦粉と、固焼きパンを一食分ずつ。クロジシの幼体の干し肉があったので半キーラム。乾燥させた紺色苺ひとつかみ。食料品店で買う。
ロウソクを売っていた雑貨屋にもう一度行き、追加で4本買う。1本で銅貨5枚。驚くほどに安い。極端に不味かったりする魔物もいるので、その脂の廃物利用なのだろう。ハチの巣から作られたロウソクもあったが、値段が3倍だ。雑貨屋には頭から被って着る鞣革の雨具もあったのでこれも買う。
オカテリア出発時、完全に買い忘れていた。すぐ雪になるような気がしていたが、まだ秋は続くのだ。
日の4刻になって『ティズニール上質仕立て』が開店していた。二つ尾イタチデカチ皮の上着はもう縫いあがっている。
自分で着るのではなく最初は何故か着せてもらわなければいけないらしい。内側に縫い付けられた紐3本で前合わせを留めると、細身の女主人がトーマの姿を見て言った。
「白のお召し物と合わせたほうが、その、お似合いになるようにおもいます…… または草染の薄緑の綿服なども、すぐご用意できますよ」
「え? いや問題無いです。綿服はもう4揃いも持ってますから。旅に出るのでそんなには持ち歩きません」
「そうですか……」
上着を触ると短い毛足がさらさらとして気持ちいい。懐の内側に物入れが縫い付けられている。サイフなど入れるのに便利そうだ。トーマは後金の大銀貨4枚を払った。
二つ尾イタチデカチの毛皮は明るい黄色をしていて、上着もそのままの色だ。今日のトーマは裏通りで買った青い綿服の上下を着ている。明るい黄色と夏の空のような青という組み合わせの姿で、女主人に見送られトーマは店を出た。
街の北側の工房地区へ移動し、鍛冶工房へ行くと主のチボルは何かを砥石で砥いでいた。筋骨隆々の上半身裸の男がトーマを睨むように見た。
「……まだ昼前だろ」
「急かしたいわけじゃない。ゆっくり仕上げてくれ」
チボルが砥いでいるのはトーマが注文した短剣だろう。長さ半メルテなんて小さい武器は、この工房内には他に見当たらない。
短剣は全体に青みがかっている。柄まで青鉄で出来ているようだ。青鉄は高価な鉄材で、硬く錆びにくい。鍔はついておらずその部分には瘤のようなふくらみがあり、手が刃の方に滑らないようになっているようだ。チボルは刃を窓からさす光に平行に向けて、また砥石にかけている。何度か繰り返して研ぎ上がりを確かめると、側に置いていた獣皮で丁寧に短剣をぬぐった。
「完成だ。装具はそこにある。後金と装具代で金貨1枚と大銀貨7枚だ」
受け取った短剣はだいぶ重いような気がする。1.5キーラム近くあるのではないか。長さはシャラモンの短剣と同じほどだが刃が分厚い。刃というか、断面図にすれば菱形になるだろう。
「……不満か?」
「いや、注文通りだ。剣先は鋭いし、突くのに問題は無い、んだよな? 正直に言えば武器を使うのは専門じゃなくて」
「そいつでちゃんと突けば竜のケツでも掘れる。さっさと金を払って持っていけ」
鞘と一体になった装具に短剣を納める。灰色の長髪の間にのぞく口から下品な言葉を吐いたチボルに金を払って、トーマは鍛冶工房を後にした。
ティズニールの街の南門。出街手続きを終えても門に詰まった丸太の障害物はまだ取り除かれていなかった。返還した滞在許可証を受け取って、小銀貨1枚を返してくれた当直の役人が、警備兵の人数を集めに走ってくれている。
早朝の冷たい空気の中にトーマとシャラモンは立っていた。
荷物を積んで網で固定し、ごわついた六つ足オオカミの毛皮で巻いてある
高い街壁の上までまだ太陽は昇っていないが、別れの朝は晴天である。
朝食はまだとっていないものの、昨夕シャラモン一家と食べた八重角アオジカの平鍋焼きの残りが、薄焼きパンで二重に包れて懐に入っている。
昨日の夜、旅立つことを伝えるとシャラモンは「そっか」と一言いって寝た。
シャラモンはこれから、ティズニール周辺で狩りに励むという。獣も魔物も冬越えのために食料を食い貯めなければいけない時期だ。壁の中の人間の気配にひきつけられ、水堀を越えて侵入してくる魔物も増えるとか。
冬が訪れれば森の木々も多くが葉を落とし、真っ白な雪の中で動き回る魔物は発見しやすくなる。そうなれば今度は人間側が盛んに森に侵入する番だ。
「『
「あぁ、当てはある」
「あとあれだ、小麦の季節じゃなくてもロウソクを運んで売れば儲かるかもしれない。他の国はともかくデュオニアでは見たことが無い。保証はできないが」
「ロウソクがか? わかった覚えておく」
「商いの旅でも宿はケチらず、単独行動は——」
「それはおやじから聞いたって」
シャラモンは苦笑して結われた左前髪をいじった。痩せた犬のような顔だが笑うと年相応の表情になる。
「これをお母上に渡してくれ」
トーマは左手に持っていた綿布の袋を渡した。中には塩スーロの開き干しが9枚と、残った大麦と蕎麦の実が入っている。
「いいのか? 結構な額だぞ、売ったら」
「宿代だと思えば高くないだろ?」
「まぁ、まともな宿ならこれくらいはするな」
「そうだ。これからはあんまり宿代をケチるなよ」
今度は二人で笑いあった。
数人の若い警備兵が役人に連れられて駆けてくる。あくびをしている者もいる。面倒をかけて申し訳ない気もするが、どうせ一日一回は障害物の出し入れをするのだから、早いか遅いかの違いではある。
200キーラムはあるという障害物が一つずつ取り除かれるのを待っていると、他の『器持ち』も幾人か集まって来た。早朝から狩りに出る者達らしい。巨大な弓や柄まで鉄製の長い槍を携えている。
「そういや、なんで短剣を使うことにしたんだ? トーマの力ならもっとでかい武器使えるだろ? 俺は昔買ったのを買い替えてないだけだけど」
「力があっても重すぎる武器を持ってると走りにくくなるからな。どんな魔物相手でも逃げられる足があるから、俺は単独行動できるんだ。真似はするなよ」
「わかってるって」
「……」
最後の障害物が門から取り除かれた。警備兵たちは南門の担当の一人を残して去った。他の門の障害物を除きに行ったり、壁の上での哨戒など、やることはたくさんあるのだろう。
20羽ほどの鳥の群れが、上空を楔形の列をなして南に飛んでいった。
「シャラモン、隠していたことがある。俺は『書庫の賢者』の一員だ。会えるかわからないが『七賢のアルスラン』を追ってみたい。急いで出発するのはそういうわけだ」
「あぁ。昨日の朝そいつの話をしたとき、なんかそんな気はしたよ。トーマは強いし、いろいろ知ってるし、ふつうの『器持ち』じゃないのは感じてた」
「すまない」
「いいって。ぺらぺら他人に話すことじゃないってのはわかるし。……まぁ金に困らなそうなのは妬ましいが……」
3人で隊を作った男達が門をくぐって行く。
トーマもせっかく早朝に出発するのだし、今日中にワッセニーまでの道のりの半分は進みたい。本気を出して移動するトーマなら可能である。
「行くよ。縁があったらまた会おう」
「おう、次に会う時は風を操る魔法戦士になってるから、楽しみにしておけよ!」
門を出てしばらくは畑地だ。平坦な土地なので、森に入るまで視線を遮るものは無い。姿が見えなくなるまでシャラモンは見送っている気がしたので、トーマは急いで森の中に駆け込んだ。
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