第18話 ロウソク
半刻ほどの間、二人で『
「……なんだ? う、うぉえっ、ダルい」
シャラモンが青い顔をして口元を押さえている。トーマは驚いた。余剰マナの欠乏が起きて、『魂の器』本体を消耗し始めているのだ。
魔法使いの先人たちが発見し、経験を積み上げ、磨き上げて来た精霊言語は、たとえ本人が呪文の意味を理解していなくても『魂の器』に響き、マナに精霊との同調を促す。
風の精霊がシャラモンのマナを食ったのだ。全部食われて、しかも魔法は発動していないが、すごい進歩である。
トーマが初めてマナを火精霊に食われたのは、火の小魔法の呪文を習って10日以上唱え続けた後だった。
当時、目覚めて間もなかったトーマと、10年間『魂の器』と共にあったシャラモンなら比較にならないと言えばそうなのだが、まさか半刻でこの域に達するとは。
空腹を知らない者が食欲を意識できないように、マナの欠乏を経験しなければ自分のマナを感じ取ることは難しい。シャラモンはその関門を突破した。
トーマが横になって安静にしているよう言ってシャラモンを寝かせると、一刻ほどで元通り元気になった。
「すごいぞ、もう魔法使いの第一歩を踏み出した」
「ダルくなっただけだぞ。風はどうしたんだ」
「まずは充填されていく自分の余剰マナを感じ取れるように何度も繰り返すんだ。そして余剰マナと『魂の器』を切り分けて捉えるようにする。そしたら今度は呪文を唱えながらマナを食わせると同時に意思を精霊に伝えるよう心に描くんだ」
「無理だろ! やることが多い!」
「できる! お前には天分があるぞ、シャラモン!」
そうして、もう3度ほど倒れては復活するのを繰り返させると、シャラモンは「なんかすこし感じられた気がするよ、うん」と言って出かけてしまった。今日はシャラモンに外泊する予定があるという。雨は昼には止んでいたようだ。
息子が居ないのに他人であるトーマだけシャラモン家の食卓に厄介になるのは気まずい。午後には街に出て、まだ見ていない場所を巡り、商店通り東側の安価な料理店に入り、いろいろ混ざった魔物肉の煮込みと小麦粥で夕食を済ませる。
基本的に血で味付けしてあり、塩はわずかしか使われていない、くさみ消しの木ピプロの実が効きすぎて辛味ばかりの煮込みであった。
トーマはシャラモンの部屋でロウソクを灯してその便利さに感動していた。帰り道の雑貨屋で購入したもので、魔物の脂肪と特殊な植物油を配合して作られているらしい。
携帯用の灯壺は液体の灯り油を持ち歩くのが面倒で使っていなかったが、これならただ荷物に突っ込んでおいて、必要な時に点火するだけだ。いちいち宿で灯り代を支払わなくても室内で夜間作業ができる。
火の小魔法を使って点けたり消したりしていると、誰かが部屋の扉を叩いた。
シャラモンの父であった。
蜂蜜で味付けされた焼き菓子を一口食べてから、トーマは自分で淹れたカーキーの葉のお茶をすすった。茶碗の数は2つ。シャラモン家の食器棚にあったものだ。菓子はシャラモンの父が出してくれた。
「私ら夫婦は、若いころ子宝に恵まれませんでね。まぁこんな世の中ですから、私らみたいな弱いもんは、自分たちが生きていくので精一杯でしたし、それでもいいと思っていたんです」
一階の居間兼食堂の食卓を挟んで、シャラモンの父と丸太を切断して作られた椅子に座っている。シャラモン抜きでしたい話なのだろうか。シャラモンの父の名はエメリックという。シャラモンの母は自分たちの部屋で毛糸づくりの内職をしているようだ。
「そうして、皮の加工やなんか、細かい仕事でちまちま稼いで貯めた金で、狭い畑地を買いましてね。暮らしに少しは余裕ができた頃になって、まぁ30をいくつも超えてから、恥ずかしい話ですが女房が孕みまして」
エメリックは被っている毛糸の帽子からはみ出した前髪をいじっている。シャラモンと同じ茶色い髪には白髪も目立っている。まあまあ歳の離れた親子だと、トーマも思っていた。
「授かるわけもないと思っていた、遅い子供で、一人っ子ですし。なんというか甘やかして育ててしまって、トーマさんにはご迷惑をおかけしていると思います」
「いえいえ、私も息子さんにはいろいろと教えていただいています」
『御狩り』開催を教えてもらったし、シャラモンの愛剣・竜斬り丸を参考に鍛治師チボルに短剣を注文している。まあ、それくらいだが。
「トーマさんにひとつ、お聞きしてもいいでしょうか」
「なんでしょう?」
「……シャラモンは、トーマさんから見て、『器持ち』としてどうなのでしょう。この先、危ういことになったり、しないでしょうか」
「あー……」
魔物が
しかし、師匠ラケーレに【賢者】として厳しく、そして過保護に育てられたトーマと他の者を一緒に考えるのは不公平な気もする。
トーマが今まで付き合ってきた『魂の器』保有者と比べて、シャラモンが特別「蛮勇を誇る愚か者」というわけでもない。親からすれば心配なのはわかるが、命がけで戦う『器持ち』の生き方とはそんなものだ。
「わかってはいるのです。私らの考える安全が、『器持ち』の戦士の皆さんにとってのそれと、意味が違うことは。なにより息子に
後悔しているということではないのだろう。
シャラモンの両親も、街壁の外に出て農作業をしているし、どっちみちこの世界で生きる限り、魔物の脅威から完全に自由になれる者はいない。
『魂の器』保有者なら、腕を磨いて数多の魔物を倒し、階梯を上げて高い地位を得ることが出来れば、むしろ誰より安全に生きられる気もする。トーマには正解が思いつかなかった。
「宿代をケチらずに、単独行動をしないように気を付ければ、今よりも安全に活躍できると思います。息子さん……シャラモンは、なかなか真面目で向上心もあり、性根の良い善人です。もっと強くなる資格のある人間です。きっとご両親を悲しませるようなことは、しないと思います」
トーマの言葉を聞いて、エメリックは日焼けした顔に嬉しそうなしわを刻んだ。
カーキーの葉のお茶を一口飲み、「いいお茶ですね」とつぶやいて開けっ放しの窓から東の空を見た。そこに下弦の月が昇るのは、夜半を過ぎた頃だろう。
トーマは翌朝早く目が覚めたので、裏庭に出て格闘術の鍛錬をした。昨日寝る前に気づいたが腹の肉がなにやらゆるみ始めている。別に暴飲暴食をしたわけでも、運動していないわけでもないのに。
一刻ほど汗を流し、朝食をいただいているとシャラモンが帰って来た。
「トーマ、大銀貨2枚で魂起こししてくれるヤツのこと、わかったぞ」
淡水魚の塩焼きに噛り付いた姿勢のままトーマは凍り付いた。
「俺たちがティズニールに帰ってくる少し前に、『書庫の七賢のアルスラン』ってのがここで『魂起こしの儀』をしてたらしい。そのアルスランの仲間の『賢者』っていう奴らは大銀貨2枚でやってるんだってよ。ゲオルクさんによると」
トーマが賢者とばれたわけではなかった。まぁ別に今更ばれたところでどうということもないのだが。それよりも気になることがある。
トーマはラケーレ以外の『七賢』に会ったことは一度しか無い。
修業の旅に連れていかれた先の都市国家アクイタ。そこで出会った一人の老人に、当時16歳だったトーマは一言挨拶を交わしただけだ。他の七賢の誰かが弟子を連れてオカテリアを訪れることもあったらしいが、すれ違いで会えていない。
「もうちょっと詳しくわからないか? ゲオルクさんに聞けばいいのかな」
「ゲオルクさんも噂で聞いただけみたいだったぞ。ここを出たのが10日前で、東の方に行くつもりらしい、と。それだけ」
ここから東というと連合都市国家ワッセニーまで大きな都市というのは無い。トーマのとりあえずの目的地もワッセニーであり、追いかければ行き会う可能性もある。この街で注文していた物も予定通りなら今日出来上がる。
運命がトーマを旅立たせようとしていた。
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