第17話 風纏

 トーマとシャラモンはヴィドラの丘の草はらに座って『御狩り』終了を待っている。マールギットの階梯は見ていないうちに32に上がっていた。今も新しい魔石を砕いてさらに成長素を溜めている。

 森からまた獲物を担いだ参加者の一隊が丘の上に登ってくる。太さが一抱えもある白い一本の肉の棒を3人がかりで担いで持ってきた。

 トーマの計算ではその獲物、毒糸イモムシの魔石を摂ればマールギットはもう一階梯上がるはずだ。

 衛士が毒糸イモムシのたるんだ肉をかきわけながら腹部を切り開き、腕を突っ込み魔石を抜き出す。清められた魔石を受け取ったマールギットが例のごとく空に掲げた魔石を両手で握り砕いた。


「んっ…… う、ぐぅ……」

「マールギット様!」


 成長素が『魂の器』に充ち、一回り力強くなり階梯が上がった瞬間、マールギットは両手を見つめながら苦しみだした。衛士長が駆け寄り、横たわろうとする領主夫人を支えた。


「おいたわしや! マールギット様!」

「大事、ありません、ヴィクトール…… ぐっ! これも、試練なのです……」


 バカバカしい。何が試練なものか。

 マールギットの症状はデュオニアでは贅沢病と呼ばれているものだ。自分で戦いもせず、買った魔石で急速に階梯を上げすぎると、痛みや倦怠感を伴いしばらくまともに動けなくなる。『魂の器』を持った金持ちがわずらう病気である。

 原因についてはよく分からない。


 だが、階梯が上がるまでの経験に応じて『五芒星の力』の上昇傾向が変わるという事実はある。それは『魂の器』を持つ者の戦い方に適した力が与えられているようにも見える。

 なにも経験していない、力を必要としたことが無い者が階梯を上げれば、『五芒星の力』に身体が付いて行かなくなることは考えられる。例の新興宗教ならば神罰と言うのだろうが。


 症状がひどいものだと一月も寝たきりになることがあるという。

 マールギットの不健康な体形は、もしかしたら「無意味な階梯上昇」の影響なのではと、トーマは思う。

 マールギットの父親は【賢者】保有者だったはずだが、そういうことは教えなかったのであろうか。

 ≪書庫≫が有効に利用され、賢者が皆で『魂の器』についての知識を高め、それを啓蒙すればこういう無知による被害も減るだろうに。

 ≪書庫≫を満足に使えない自分が言うことではないかと、トーマは苦笑せざるを得なかった。




 偶然というかなんというか、毒糸イモムシを献上した3人組が参加者で最後の帰還者であった。

 日の10刻の半ば、終了の宣言が衛士長によってなされ、『御狩り』は終わった。参加者も衛士も輿の上で横たわる領主夫人も、全員無事に街へ帰り着いた。

 シャラモンの獲った竜尾カワウソの死体は北門で待ち構えていた魔物卸商に、小銀貨8枚半で買い取られた。防水性の高い皮がそこそこ評価が高いらしい。




 その晩、夜半過ぎから降り出した雨は朝になっても降り続いていた。

 シャラモンとその両親と一緒に、家にあった食料で夕食を済ます。冷たい秋雨の中、雨具を着てまで外でやりたいことがあるわけもない。二階に上がったトーマはシャラモンに問うた。


「魔法を使ってみる気はないか」

「え? 俺魔法使えんの?」

「使える。風の精霊はお前のマナをお気に入りだ」

「風かー……」


 風魔法は単純な攻撃力に劣る。極めれば敵の呼吸を妨害するような、えげつないこともできるようになるが、シャラモンにそこまで要求する気はない。他の精霊との同調適正は『不可』なので複合精霊魔法も使えない。


「魔法を使うようになれば、力や体の頑丈さは少し伸びにくくなるかもしれない。だが、このままそっちばかり上げていくと、体の動かしづらさは改善されない」

「そんな深刻な感じの話なのか?」

「シャラモンに武術を教えている師匠はいるのか?」


 剣術や体術を正式に学び、体を精密に動かすことを習慣づければ『マナ操作』も順調に上がり、完全な前衛型、魔法抜きの肉体派の戦士として戦っていけるだろう。


「いいや、俺はずっと独学だぜ。剣の振り方は練兵場の衛士や警備兵を見て真似した」

「衛士や警備兵になるつもりは?」

「どうかなー、階梯がもっと上がればわかんないけど。『能無し』って言われてるからなー」

「じゃあやっぱり魔法を使うことを勧める。今から使って見せるから、呪文を覚えてくれ」


 トーマの精霊同調適正は火精霊が『良』、土精霊と風精霊が『並』、水精霊が『不可』である。つまり風精霊魔法は普通に使える。トーマは自分のマナを体の表面に纏わせた。風の精霊に同調させつつ、呪文を唱える。


風の精霊よゼ ファンシルフェ マナを食らってヨルトー ピンマナ 我が意に従いカアプアジェカンシア  吹かせルパスカ  風纏プラセイジ


 トーマの綿服がわずかにはためいた。微風が体の表面をめぐって、右手人差し指がさす上方に吹き出す。ゆっくり前方を指すと、速足のときの向かい風程度の風がシャラモンの顔に吹きつけた。


「……え? これだけ?」

「これを常に自分の進行方向の逆に吹かせれば、においで魔物や獣に気づかれづらい。風上からでも鼻のいい獲物に近づくことが可能になる」

「おぉ、けっこう凄いな」

「だろ?」


 もう一度、一節一節。シャラモンに覚えさせながら呪文を唱える。シャラモンは繰り返し唱えながら、単語の意味さえわからずに暗記している。短い呪文であるが数カ所、発音の難しい部分をトーマが指導する。


「……よしっ! 覚えたぞ。えーっと。ゼ、ファンシルフェ、ヨルトー ——」


 シャラモンが呪文を唱えても、特に何も起こらなかった。


「どっか違う?」

「呪文は合ってた。心構えというか、考え方が違う。精霊に耳があるわけじゃない。呪文は自分に対して唱えるんだ。自分の『魂の器』に響かせて、『魂の器』を通じてマナを精霊に捧げるんだ」

「……」

「どうした」

「マナっていうのがよくわかん。体を強くしたり、頭の回転を速くしてくれてるのが、マナなんだよな? 同じものか?」


 意外にも核心を突いた疑問を投げて来た。

 過去。マナによって魔物が生じ、人類は危機に陥った。

 そして現在、人類に生き延びる術を与えてくれている『魂の器』も、マナで構成されているという。成長素だってマナの1つの形態だ。

 根本的な理解は難しい不可知の力がマナであり、トーマも「使い方」が分かっているだけなのだ。


「同じものともいえる。なんていうか、余ってる部分があるんだよ。『余剰マナ』って言い方もある。『器』持ちなら常に生成していて、溜まってるんだ。体に」

「……まぁ、もういっぺんやってみるよ」

「『風纏』は初心者が使うのに適していて、『マナ操作』……つまりマナの恩恵をを使いこなす力がつきやすくなる。いい魔法だから、呪文を忘れずにゆっくり練習してくれ」


 シャラモンは目を閉じ、呟くように呪文を唱えている。「ん?」と首をかしげて、また最初から唱え直す。寝台の上で足を組んで膝に両手を置き、意識を集中して、今度はゆっくり唱えている。


 見守っているのも何やらこそばゆいので、一度用を足しにかわやに行ってから、戻ってトーマも『風纏プラセイジ』を使う。

 床に胡坐をかいて、両手を握り合わせて足の上に置き、目をつむる。

 風速を落としマナの消費量を抑え、充填速度と釣り合わせる。意識の通りに風向きを操作する。


 『マナ操作』を鍛えるにはいい訓練なのだが、トーマは13ヶ月階梯を上げていない。

 その間ずっと『魂起たまおこしの』でマナを絞り出す生活をしており、普通に考えて次に階梯が上がる際は、『マナ出力』ばかり大上昇することがほぼ確定しているのだった。

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