第14話 風呂

 3日後の昼までには短剣を完成させるとチボルは言った。鞘と装具についても相談すると、革屋で作っておいてもらえるということだ。その分は後払いでいいらしい。


 トーマは工房地区から、西の商店通りのゲオルクに教えられた仕立て屋に向かった。しかし『ティズニール上質仕立て』と看板を掲げた店はまだ営業していなかった。

 太陽は東の空にあり、まだ日の3刻の間だろう。トーマは時間つぶしに西地区をうろついてみることにした。


 裏通りで古着屋を見つけ、下着と綿服の状態の良い物を二揃い買った。綿服は青の染料で染めてあり、なかなか見た目が良い。シラミの卵などが付いている恐れがあるので、着るのは石鹸で洗ってからだ。

 靴店にも入る。トーマの今の靴はもう限界が来ている。革が削れて薄くなり、けばだった繊維が露出していて水がしみ込んでくる。


 十分に高い『耐久』を持っているトーマの足の裏は、死んだ動物の皮なんかよりはるかに強靭だ。本音を言えば靴など履かないほうが快適なのだが、まあ身だしなみである。みんな履いているので仕方ない。

 わざわざあつらえる気も起きなかったので適当なものを奥から出してもらって履き替えた。

 『ティズニール上質仕立て』に戻ると営業中の木札が出ている。レンガと漆喰を組み合わせた壁と、塗料の塗られた材木で建てられた店舗はなんとなく華やかである。

 材料の分からない美しい布服を着た細身の女主人が、入店したトーマを出迎えた。


「どのようなものをお仕立てしましょうか」

「襟と袖の付いた皮の上着が欲しいんだけど、何日くらいで仕上がります?」


 条件次第で変わるというので、詳細を話し合う。詳細と言っても流行の型だの取り寄せの希少革だのにトーマは興味が無かったので「毛足の短い毛皮で丈夫に作ってくれ」とだけ伝えた。トーマは脱毛処理をされた鞣し革のぺたぺたした手触りが好きではいので、着るものは毛皮を選ぶ。

 何の毛皮を使うのか選ばなければならない。見本の切れ端を見せられ、提携する革屋に在庫があるというので二つ尾イタチデカチのものに決めた。仕上がりは短剣と同じ3日後になる。寸法を測りながら「本当は仮縫いなど何度か繰り返させていただいた方が、見目好く仕上るのですが……」と言われたが、急ぎで頼んだ。

 衣類関連だけで金貨2枚半使ってしまったがこの日のトーマはさらに散財することになる。


 雑貨屋へ行き石鹸を一つ買い、肉屋に行ってシシ肉の燻製1キーラムを買い、パン屋で薄焼きパンを10枚買う。毛糸でくくられたり、木の皮で包まれた荷物を両手にぶらさげて、シャラモンの家にいそいで帰る。


 街中を何本か流れる水路。それを利用した洗い場で、買った古着と汚れた衣類を石鹸で洗う。戻ってシャラモン母にことわって狭い裏庭に干す。

 干し終わるともう太陽は中天を過ぎ、日の7刻の終り近い。シャラモンはどこかに出かけているらしい。

 今日は用事があって他所に泊まると告げて、洗い物が乾いたら取り込んでもらうよう頼む。「皆さんで召し上がってください」と買った食料を渡す。遠慮されたが押し付ける。

 そうしてトーマは再び西へ走った。午前中うろついていたとき、西門近くの警備兵宿舎の裏通りの奥に、入浴施設を見つけていたのだ。オカテリア以来、10日ぶりの入浴である。トーマはとてもさっぱりし、すっきりした。



 

 翌日もまた晴れたいい天気であった。朝寝をし、朝食を摂ってから入浴施設を後にした。髭もきれいに剃り、黒褐色の髪も切り整えて艶々とさせたトーマは、のんびりと東の端にあるシャラモンの家まで歩いた。


「トーマ! お前他所で泊まるなら行き先くらい言っておけ!」


 戸口の前で待ち構えていたシャラモンが問い詰める。なんだというのか。


「マールギット様…… あー、アドリアン様の娘で、今の領主の嫁さんな。そのマールギットが『御狩り』を開くんだよ! ていうかもう開いてるかも、今!」

「御狩りって何?」

「魔物狩りだよ、大勢ですんの。『器』持ちは参加するだけで大銀貨1枚もらえるんだぞ、トーマも参加するだろ?」


 2階の部屋に上がって準備をし、先に受付を済ませておくといったシャラモンを追いかけて北門へ走る。門前広場には誰もいない。

 南門もそうであったが、この街の門には門扉が無い。夜間は扉の代わりに太い丸太を組み合わせた障害物を門に詰め込むらしい。内側からであれば簡単に開いてしまう門扉より、むしろ厳重な防備と言えた。

 今は何も詰まっていないただの壁の穴である北門を通って、トーマは外に出た。青々とした草原が広がって、それを街道が左右に分断している。少し上り坂になっている先でシャラモンが立っているので駆け寄った。


「うわ…… それ着て来たのか……」


 身分の高い者に会うかもしれないという事で、トーマはごわごわの肩革を脱いでカザマキヒョウの外套を羽織っていた。左手には水入れのオオトカゲの皮袋、右手には魔法媒介物のナラの枯れ枝を握っている。

 白に灰色の輪模様がちりばめられた毛皮の外套。膝下までもこもこで覆われたトーマの姿を見て、「まあ、いいか」と続けたシャラモンと街道を走りだす。

 すこし行くと高さ2メルテほどの堤防があり、向こう側に川が流れていた。その堤防の上を川沿いに北西に向かって駆ける。シャラモンは旅の間伸ばしっぱなしであった無精ひげを剃っていたが、よく見れば装備も違う。少しだけ重装備である。


「受け付けはどうなった? 参加できたのか?」

「半刻くらい走ると、ヴィドラの丘って、森を拓いてるとこがあって、そこに集合すれば、参加費、もらえるらしい」

「もう一度聞くけど、『御狩り』ってなんだ? 何のためにする」

「戦争の訓練とか、小麦の刈り入れが、終わったお祝いとか、あるんだろうけど、1番は、マールギット様の、階梯上げだろ」


 マールギットは『魂の器』保有者ということか。だいたい分かったのでトーマは問うのを止めた。あまり走りながら話させるとシャラモンが舌を噛みそうだ。


 魔境の森を走り続ける。この辺りは狩場として頻繁に利用されているらしく、並の街道より踏み固められて、幅も広く移動しやすい。

 そろそろ半刻という頃になって、前方に武器を持った男たちの群れが見えてくる。トーマたちは速度を落として最後尾に合流した。見えているだけで30人は居る。全員『魂の器』保有者。半端な魔物は泡を食って逃げ出しているだろう。


「ひぃ、間に合った。もう、すぐ着くぜ」

「こんなに大勢で何を狩るんだ? すごい大物か?」

「いや、隊ごとに分かれてそれぞれ狩るんだよ。この辺にそんな矢場いのは出ない」

「参加した経験あるんだな?」

「去年と一昨年参加した。ガキの頃は親に禁止されたし、あんまり階梯低いのが参加しても白い目で見られるからな」




 ヴィドラの丘に到着した。木が一本もない。もう小さな村くらいなら作れそうな広さがある。集まった男たちは総勢60人を超えているのではないだろうか。

 鎧を着た赤銅色の髪の男が、参加者の前に進み出る。胸部とすねと、肘から先が、彫刻された白鉄板になっている。革と金属の複合鎧である。


「戦士たちよ狩人たちよ! よく集まってくれた! 『御狩り』の開始にあたって、マールギット様より御言葉がある!」


「……あー、戦士たちよ狩人たちよ。今日はわたくしの狩りに力を尽くしてくれること、うれしく思う。意気軒高に、わたくしに見合った猛き魔物のその命の石をわたくしに献じてみせよ。褒美は取らてやるからに。……あー、では始めよ」


 4人の屈強な男が運ぶ豪奢な輿こしに乗ったまま、大いに太った中年女が『御狩り』開始の宣言をした。

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