第13話 取引
襟・袖付きの皮上着は、ここティズニールでは珍しくない型のものらしい。
トーマの住んでいたデュオニア共和国は人口も多く歴史があって豊かだが、変な伝統を守って新しい文化や技術があまり入ってこない点が問題である。
ゲオルクに仕立て屋を教えてもらったのでトーマはあつらえるつもりだ。
大クロジシの牙も小銀貨4枚でゲオルクに買い取ってもらい、シャラモンの足取りは軽い。両親の家があるという街の東側へ向かう。
「よかったな。一度の交易で『
「いやー、経費が掛かりすぎだわ。倍の量扱わないとちゃんと利益が出ないな。稼ぎが魂起こし2回分ってどういう意味よ?」
「だから、金貨1枚で買った塩スーロが金貨1枚と大銀貨4枚で売れて——」
「俺が受けたときは金貨払ったけど? 大銀2で魂起こし受けれんの? どこでよ! 誰に受けた!?」
「魂起こしは大銀貨2枚」の常識は『書庫の賢者』界隈限定だったことをトーマは思い出した。
商機を見つけた、というような顔で食い下がるシャラモンに「行きずりの謎の老女に大銀貨2枚でしてもらった」という話でごまかした。容姿や居場所の見当などしつこく聞かれたが、とぼける。トーマが普段、その料金で『魂起こしの儀』を施していると知れたら金の生る木扱いされそうである。
シャラモンが実家だと言って入った家は、戸口から直接外壁が見える市街の最外郭にあった。シャラモンが「今帰った」と大声で挨拶をすると、「まあ! まあ!」と小さく叫びながら60歳近くに見える小柄な女性が奥から玄関に飛び出してきた。
「よく帰って来たよシャラモン。魔物に食べられたりしやしないかと、わたしは心配で…… まあーこんなに痩せてどうしたの——」
「痩せたのは走りすぎただけだって。おやじは」
「奥にいるよ、もう冬小麦も蒔き終わったからね」
トーマはシャラモンの母に挨拶をした。奥の居間兼食堂に通され、父親にも自己紹介をする。
シャラモンの父は突然訪れた見ず知らずのトーマにとまどいつつも、「息子がお世話になっています」と返事をした。促され、荷物を下ろして椅子に座らせてもらう。
「トーマはすごい奴だぜ、母ちゃん。やっせっぽちなのにドでかいイノシシを一撃で倒しちまうんだ。そのうえ魔法も使える」
「シャラモン、それより小麦はどうなった?」
父に問われて、シャラモンはチョッキの内ポケットから金を取り出し、食卓の上に並べて置いた。
「見ろよ、小麦20キーラムで大銀貨12枚だ。組合に売るのの5割増しだ。言ったとおりだろ? 『器持ち』の俺なら自分で売りに行ける。今度から税を取られた残りは全部俺に任せてくれ」
シャラモン父は大銀貨を見て
「しかし、組合との付き合いというもんがあってなぁ……」
「付き合いが何だよ! あいつらは足元見てるだけだ!」
「そうじゃない、凶作の時の民間備蓄やらなにやら、困った時に——」
「困った時こそ金が必用だって出発前にも——」
「ちょっと! お客様の前なんだよ! 来年の話は今しなくてもいいでしょう?」
シャラモン母の言葉で父子喧嘩は小規模で収まった。
母が夕食の支度をするというのを聞いたシャラモンは、背負い袋から塩スーロの開き干し6枚を取り出し、老母に渡した。ゲオルクに売った分とは分けておいたらしい。
「小麦とは別の稼ぎで手に入れたんだ。食べたいって言ってただろ?」
「まあーまぁ! こんな高いもの買ってきてくれたのかい? 無理なことをしてないだろうね? でも、うれしいわ……」
魚を胸に抱いて目じりを袖口で押さえる母の姿を見て、シャラモンは結われた左前髪をいじりながら、そっぽを向いて黙った。トーマはいろいろと納得した。
2階のシャラモンの部屋にしばらく泊まらせてもらう事になった。
夕食はなかなか豪勢なものだ。シャラモンがもう一度西の商店通りに走り、買ってきた
貴重な羊のチーズで風味づけされた、たっぷりの小麦粥。森で採れる季節の果物もあった。そして塩スーロの開き干しで作られた汁物。
トーマの知らない香草と草の実が使われていて魚臭さも感じられず、塩味が絶妙に整えられていた。
柔らかく戻されたスーロの肉を噛みながら、5日前自分の作ったスーロ入り大麦粥とどうしてこんなに違うのかと、トーマは思った。
遠火で焼かれたそのままのスーロの開きも1枚食卓に乗っていたが、それは塩気がきつすぎた。
それでもシャラモンの母は嬉しそうにつまんでいた。
(穀物を多く摂ると疲れが取れやすい気がするな……)
木の皮で編まれた格子の内窓をすかして、街壁の上から昇る朝日をトーマは浴びていた。
背負子の荷物にかぶせていた
部屋の主のいびきも気にならず、たっぷり睡眠をとっての爽やかな目覚め。1階のシャラモンの両親はもう内職の毛糸づくりを始めているらしい。
息子は当然まだ惰眠を貪っている。
昨日の残りの燻製肉と菜っ葉をはさんだ薄焼きパンを、シャラモン母が用意しておいてくれたので、ありがたくいただく。
何日か滞在するにしても、今日中にやっておいた方がいいことがある。部屋に置いた荷物から金貨をいくらか抜き出し、トーマは商店通りに向かった。
まず鍛冶屋である。
魔物をくい止めてくれる戦闘力の高い味方が居ない時でも体術と魔法で何とかなるという考えは、甘かった。選択肢はあった方がいい。
通りを歩く人間の『魂の器』をしばらく観察すると、30階梯を超えた警備兵らしき男を見つける。一般的な型の長剣を腰に差した男に、街一番の鍛冶屋はどこか聞くと、快く教えてくれた。
鍛冶師の工房は石造りではあったが、太くて長い立派な煙突以外、普通の一般家屋と変わらないように見えた。街の北側の、鍛冶屋や革加工工房が多く集まっている地区である。
朝も早いが
「チボルさんの工房で合ってる?」
男はうなずいた。赤熱した鉄塊をごつい鍛冶ばさみで炉に戻す。
「あなたがチボルさん本人だね? 武器が欲しいんだが。半メルテくらいの短剣で、刺せればいいから、できるだけ頑丈なものを」
工房の隅には槍の穂先や斧の他に、長剣も何本か立てかけられていたが、どれも大きい。『器持ち』が使うなら、腕力が
チボルは立ち上がって立てかけられた武器の方へ行くと、その中から一番大きな剣を選んで持ってきた。火の粉よけの革の前掛けからのぞく筋肉は隆々と盛り上がっている。
「……突いてみろ」
渡された大剣は全長1メルテを超えている。幅も厚みもあり重さは8か9キーラムはある。目の前でチボルが、くいっくいっと無手で片手突きの手本を見せてくれているのが滑稽である。
剣を持った右腕の肘を引いて構え、全力の速さで突いて見せる。さすがに重い。やせっぽちのトーマは重心の乱れでたたらを踏んでしまった。
返した剣を受け取ったチボルは元の場所に戻しながら言った。
「……お前の力で扱っても折れない物を打つなら、金貨2枚はもらうぞ」
「それでいい。前金は半額でいいかい?」
頷いたチボルに金貨1枚を渡した。
長髪で顔が隠れてほとんど見えないチボルは年齢がわからない。階梯が40以上の『魂の器』持ちだ。今まで一度も見たことのない種類で、謎の異能が付いている。鍛冶に関係のある異能なのだろうか。
≪書庫≫を開けば判明する可能性が高かったが、トーマはやめておいた。
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