第12話 畑

 トーマは前回の旅でティズニールを訪れていない。今朝出発したブランカプトの街から直接、東のワッセニー方面に向かっていた。

 だんだんと道幅が広くなり、3人くらい横並びで歩けそうになった街道を進む。

 魔境の森を抜け出ると、広大な平地が目に飛び込んできた。


 視界の端から端まで一直線。地平線の代わりに灰色の石壁が空と大地を分けている。高さは2階建ての家に等しく、直径約1キーメルテの円状に広がる市街を、ぐるりと囲っているらしい。

 森から街壁までの間にある土地は、ほぼすべて農地として活用されているようだ。300メルテほどの幅で街を囲っている農地の、さらに外周を水堀が廻っている。農業用水路と防御設備を兼ねているのだろうか。

 丈夫そうに造られた木橋を渡って、幅5メルテほどの水堀を越える。

 小麦畑なのだろう、今年の収穫が終わって土が露出しているのが目につく。

 種をまいている人間がちらほらと居る。冬を越して来年収穫する冬小麦の作付けだ。


「街の周り全部が畑なのか?」

「北側は牧草地になってる。西側は練兵場があるし、街を広げる計画もあるらしくて、畑は半分くらいかな」


 トーマが居たオカテリア周辺でも小麦や大麦は作られていた。だが街道の両脇を無計画に切り拓いて、柵で囲うこともなく種を蒔き、水やりは雨任せ。獣が荒らしに来るのは当たり前という、いいかげんなものであった。

 途中の街でもティズニールと似たような構造の畑地はあったが、ここほど大規模なものは無かった。立派なものだ、などと話しながら道なりに歩いていると、街壁が半円状にくりぬかれたような街の門にたどり着いた。

 壁の上には見張り番が巡回している。そこからトーマたちの事が伝わったのだろうか、皮鎧を着た背の高い壮年の男と、役人風の服を着た老人の二人連れが向こうからのんびり歩いて来た。


「ティズニールの住民かね?」

「そうだぜ」


 老人に問われ、シャラモンが襟元から巾着袋を引っ張り出し、中のものを探っている。身分証を出すのだろう。


「そちらは?」

「旅行者だ。デュオニアのオカテリアから来た。とりあえずワッセニーまでいくつもりだ。今晩滞在したい」


 入街税を取る街に入るたび、繰り返しているやり取りなので慣れたものだ。

 別に身分証明が無ければ街に入れないわけではない。住民であれば入街税が取られないというだけだ。財布に『書庫の賢者』であることを示す銀のメダルがあるが、出したら即、街の指導者のところへ「ご招待」されるだろう。


「宿の当てはあるかね。街壁内で『野宿』は禁止されておるのよ」

「家に泊めるつもりだからそんなことはさせねぇよ」


 文字の刻まれた小さな真鍮板を、緑色の服をゆったり羽織った老人に示しながらシャラモンが言った。老人は首を伸ばしてシャラモンの身分証を確かめると、頷いてもう一度トーマを見た。


「滞在許可を出すには小銀貨2枚相当の支払いが要るんだ。許可証を持っていれば、一晩と言わずしばらく居てもいいよ」


 財布から小銀貨2枚を取り出し老人に支払うと、身分証と似たような真鍮板を渡された。「一時滞在許可 10・12」と書いてある。数字は今日の日付だ。街を出るときに返却すると小銀貨は1枚返してもらえるらしい。

 黙って見ていた皮鎧の男は『魂の器』保有者だった。着ている防具を頑丈にする異能を持っていて、階梯は30台半ばであった。




「まずは魚を売りに行くぜ!」


 まずは両親に顔を見せなくていいのかと、トーマは思ったがシャラモンはうきうきと先行していく。

 石造りの家々の間に、みっちりと木造の家屋がはまり込んでいる。ティズニールの街は外側に貧しい者が多く、中央に近づくと金持ちと権力者が住むという。まあどこも同じだ。人口規模は1万人を超えているのは間違いないだろう。


 南から北へ向かって続いている通りの突き当りに、大きなレンガ造りの建物が見えて来た。四角い見た目で3階建てくらいの高さ。見張り番だろうか、屋上に弓を背負った人間が見える。

 敷地の外周は白茶色の漆喰の高い塀が廻らされている。


「あそこは5年前までこの街の領主の『魂の導き手』アドリアン様が住んでたんだぜ。俺も魂起こしはあそこでアドリアン様にやってもらった」



 【賢者】という呼び方の由来は偉大なる原初の二賢者の片割れ、マチルダ・ジョイノアがはるか昔に名乗った自称だ。しかし現在、大陸に住む全ての人間がトーマやラケーレの持つ種類の『魂の器』を【賢者】と呼んでいるわけではない。

 もちろん『書庫の賢者』一門内では統一されているが、共通語を話す地域でも、この『魂の器』を違う言葉で認識していることがある。『魂の導き手』とはティズニールでの呼び方なのだろう。


「5年前と言うと、今はもういないのか?」

「なんか戦死しちゃったらしい。ずっと北のなんとかって国と揉めたんだってよ。バカらしいよな、殺したり殺されたりする相手なら森に腐るほどいるってのに」


 今はアドリアンの娘婿がこの街の領主だという。【賢者】が権力を握っても『魂の器』は遺伝するものではないから、継続性が無い。娘婿に権力を継承できたのならいいほうだ。

 歴史上、【賢者】が共同体を「国」とよべるほど発展させても、寿命と共に分裂、崩壊して滅んだというような事は大陸中で起きている。


 中央から西に、商店通りを少し歩くと、周りよりもすこし立派な石造りの建物に着いた。大きな二枚扉の上には『ゲオルク交易』と看板がある。シャラモンは扉を引き開けると中の人間と何か話している。

 トーマを振り返って、手招きした。


「入ろうぜ、ここで魚を買い取ってくれる」


 事務机の上でなにやら書き物をしている中年女。その隣に奇麗な葉を大きく繁らせた、植物の鉢植えが何個も並んでいる。

 他にも木箱や麻袋が隅に積まれていたり、ごちゃごちゃと物がある大きな部屋を通り抜ける。

 半開きになっていた奥の扉を開けると、壁際の机に向かっていた男が椅子から立ち上がって振り返った。目つきが悪い40がらみの男だ。


「おう、なんだ」

「あー、シャラモンです。アルビョンの海魚の塩干しをその、仕入れてきました」

「覚えてるよ、その話したの20日ぐらい前だったろ。他の3人は?」

「デュオニアで塩を売るそうです。帰って来るのは先になる、んじゃないかな?」

「そうか、じゃ見せてみろ」


 シャラモンが麻袋ごと、はるばる運んできた商品を渡した。男は机の上に1枚1枚取り出して見分している。トーマに顔を寄せてシャラモンが囁いた。


「あの人がこの街で一番の輸入品卸のゲオルクさんだ。縁を持っといて損はしないぜ。ここより高く買ってくれる店は、この辺にはたぶん無い」

「俺は商売で買ったわけじゃないんだよ。たった9枚だし」


 トーマの背中の荷物にも塩スーロの開き干しが入っている。交易で金を稼ぐ気は、今のところなかった。ゲオルクが数え終わったようだ。


「少し悪くなってるのがあるな。雨にでも降られたか? まぁそれも含めて40枚で大銀貨14。これでよければ引き取ろう」

「あ、はい! それでお願いします!」


 交渉などは無いらしい。シャラモンは46枚買っていたはずだが、6枚はどうしたのだろう。ともかく40枚で大銀貨14枚なら、遺跡で野営した時シャラモンが言っていた額に近いし、約束通りなのだろう。


「で、そちらさんは、俺にどんな用事があるんだ? さっきからずいぶん注目してくれているが?」


 鋭い目つきで見返したゲオルクに問われて、トーマは少したじろいだ。確かに少し前から注目していた。シャラモンがトーマの方を見る。


「いや、その上着はこの街で仕立てられるのかなと、聞きたかったんだ」


 ゲオルクはちゃんと縫製され、袖と襟の付いた皮の上着を着こなしていた。

 トーマの「肩革」は旅の間、濡れたり乾いたり、汚れたり洗ったりで、ごわごわのかぴかぴであった。

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