第11話 空き地の木
話し合った結果、大クロジシは皮と牙だけ採り残りは置いて行くことにした。
他の肉食獣を呼び寄せることもあるのであまり褒められたことではないが、そもそも二人で運ぶには重すぎる。
シャラモンはまず横倒しになった魔物の四肢の、人間で言えば肘・膝に当たる部分から先を切り落とした。竜斬り丸に刃こぼれなどは無い。
続いて首を落とす。一抱えほどもある太い首を、何度か剣を振るって骨だけでつながっている状態にする。最後は足で踏みつけて頸骨を折り離す。
「なかなか手際が良いな。上手い」
「当たり前だろーが、俺をいくつだと思ってんだ!」
シャラモンは自分の結われた左前髪を軽く引っぱった。
魔物の解体は人里の外に出て稼ぐ者にとって、身に着けていて当然の技能だ。
今回は肉をとらないので、臓物の中身の事などあまり考えずに簡易な解体で済む。
旅慣れていない印象から、なんとなく解体も下手なのではないかとトーマは思っていたが、シャラモンは階梯相応に熟練狩人の解体技能を持っていた。
腹の皮を一文字に切り裂いて、そこから更に切り込みを入れて、後は剥ぐだけの状態にする。いつの間にか雨は上がってしまった。
トーマも腰のナイフをとりだして剥ぐのを手伝う。
半刻ほどで大人四人が並んで寝られるほどの大きさの皮が採れた。
二人とも全身血まみれ、脂まみれである。
上あごの牙も左右両方、力任せにシャラモンが抜き取った。大クロジシの牙は口中で下向きに生えたものが、ぐるりと弧を描いて曲がり、口からはみ出して上に突き出しているのだ。下あごの牙は、巨大な体のわりに発達しないので価値が無い。
「キノコはどうする? 探すのか?」
「どうすっかな…… よく考えたら、どういう場所に生えてるのか俺知らない。あとこれ食品を扱う恰好じゃなくないか?」
「こいつが全部喰いつくしてる気もするな」
首と四肢を失って剥き出しになった巨大な肉の塊を後に、背負う荷物に大きな黒い毛皮を加えて二人は来た道を戻った。早く川で服と体を丸洗いしたかった。
エレスビル村は昨日トーマたちが泊まったペーリ市から、スコンブロ川を70キーメルテほど下った位置にある。少し新しいが似たような、開拓中の人間生存圏だ。
なぜ既にある開拓地をさらに広げるのではなく、離れたところに新たな村を作るのか、理由は色々あるだろうが一番の問題は水源だ。
大きな川の水は農業用水にはできても飲用水にはあまり向かない。上流で魔物の汚物を洗い落とすような不心得者が居るかもしれないし、頻繁に汲みに行くと魔物が飛び出してきて引きずり込まれる恐れがある。
なので湧き出しているところが見えるような、魔物が潜むこともない小さな沢の近くに開拓地は作られることになる。結果、最大人口は湧水量で決まってくる。
世代を重ね、人口が増えれば人間が溢れてくる。だから優良な水源があると、そこに新しい開拓村が作られるのだ。
人口1万人を超えるような大きな都市では、地下水脈や井戸、水精霊魔法も活用して飲み水を確保し、下水の管理も整えられる。そこまでになるには、試行錯誤と長い年月がかかる。
日暮れと同時にエレスビルに到着したトーマとシャラモンは、急いで宿を探した。
血や脂まみれの、肉も削ぎきれていない生皮の持ち込みを嫌がられたのか、一軒目の宿は断られてしまった。
二軒目の宿で話をすると、おかみの親類に鞣しの専門業者がいるという。そこで大クロジシの皮を売ってしまうことにした。売値は大銀貨2枚と小銀貨3枚。
これだけ立派な皮だと大都市ならもっと高く売れるが、鞣さないまま持ち運べば腐る。どうせ鞣し作業には数日かかるのだし、それを待って足止めを食らうわけにもいかないのだ。
おかみは親類に仕事をもってきてくれたのだからと、宿賃を少し負けてくれた。夕食も宿でとる。根菜と鹿肉と蕎麦の実が等量で炊かれた料理は、不思議なうまみがあった。調味料は秘伝とのことで教えてもらえなかった。
翌朝、健康的に日焼けした30代のおかみにハリラック村が廃村になった経緯を聞く。
「こっちにも逃げてきた人が居るんだけどね、一昨年の事だけど。聞いた話じゃ、大物の魔物が出たからって村長さんが退治に行ったんだと、数人引き連れてさ。それで行方不明になっちゃって。次の村長も決まらなくって、怖くて住んでられない。そんな話だったかな? たしか」
いちおうトーマたちが大クロジシを倒した顛末をおかみに話しておいた。
ハリラック跡地にはもう危険はない、などと無責任なことは言わない。分かっていることは少ないのだ。
スコンブロ川の流れを離れて北東へ、シャラモンの実家のあるティズニールまでの約300キーメルテ。魔境の森の中をはしる街道とは言え、平坦な道を往く旅は順調であった。
日中ひたすら距離をかせぎ、街や村で宿泊する。トーマ式の長距離移動法にシャラモンも慣れて来たのか、不器用な駆け足にも多少の改善がみられる。
途中、余裕の出て来たシャラモンが昼の休憩時にウサギでも狩りたいという。トーマも付いて行くと、すぐに大きな野ウサギを投石で仕留めてしまった。
「なんで走るのは不器用なのに石を投げて当たるんだ?」
「足より手の方が器用なのは当たり前だろーが」
「……そういう考え方もあるな」
「それよりトーマ、何もってんのそれ」
トーマは1.2メルテほどのナラ類の木の枯れ枝を拾って、杖のようにして持ち歩いていた。
「腰痛いのか?」
「違う。魔法の媒介にするんだ」
媒介物を持ち歩く方がいざという時に魔法で戦いやすい。多少邪魔になっても現状では利益の方が大きい。そういう判断力が1年間の街暮らしで錆びついていた。大クロジシの件で戦闘の勘が鈍っていることを自覚せざるを得なかった。
日が暮れかかるころ、宿をとるべく門をくぐったブランカプトの街で見つけた料理屋にウサギを渡して、野ウサギの煮込み汁で夕食を済ませた。一食分食費が浮いてシャラモンはごきげんだった。
最後の中継点であるブランカプトを出発して、しばらく。
あと半日の移動で、午後にはティズニールに到着する。
街道脇の木々の葉陰の中にちらりと橙色がのぞいた。
少し遅れて駆けてくるシャラモンに合図をして、森の中に踏み込む。
高さ5メルテほどの木が、森の中でなぜか空き地のようになっている場所の真ん中、色鮮やかな実を十数個生らせている。どんぐりを太らせて大きくしたような形の果実。
ラケーレが作るお茶の原料になる木だ。うしろで息を整えるシャラモンに聞く。
「この木の名前知ってるか?」
「ん? いや知らないぞ。というか初めて見たな、前は気づかなかった」
木をしげしげと眺め、3メルテほどの高さにある実を、跳びあがってシャラモンがもいだ。服でこすり洗って噛り付く。
「ぶぅえっ! 渋いっ!」
「なぁ、少しの間だけ周りを警戒しておいてもらえるか」
「んばぁぁぁ…… わかった…… 口の中がざりざりする」
ラケーレがお茶を作る様子をなんとは無しに見ていたことがある。ただ太陽光にさらして干せばいいというわけではなかったように思う。もう少し複雑な工程を経ていたはずだ。
皮袋の水で口を漱ぐシャラモンを横に、トーマは目を閉じた。
トーマが≪書庫≫を閲覧できるようになったのは20階梯に上がった時だった。これは多くの【賢者】がそうであるらしい。ズレても前後に階梯ひとつだという。
≪書庫≫を開く感覚は自分の「魂」を「内側に開く」感覚だ。『魂の器』の内奥にわずかなマナが吸い込まれる。
途端、頭の中に大量の意味をなさない思考があふれる。自分の意識が川原の小石の一粒になって見つからなくなるような、不安。
目を開き、目の前の橙色の果実に集中する。
≪書庫≫の内容はこれまでの【賢者】保有者が書きこんできた「記憶」だ。
「書き込む」と言っても、本物の書籍のように文章を書きこむのではない。マナを消費して記憶を刻み付けるのだ。20階梯を超えた【賢者】はそれを距離を超えて世界中どこでも閲覧できる。
この内容をもっと体系づけ、正しい場所に有用な情報だけ書き込み、整理しようというのが『書庫の賢者』の大方針である。全賢者がこれに協力しないかぎり、雑多で無用な記憶が≪書庫≫内にあふれかえり、まともに使えなくなる。現状でもこの有様だ。
トーマはまだ試みていないが、階梯が40に上がると閲覧だけでなく書き込みが可能になる。誰が書き込んだ記憶なのか、詳細を探れば知ることができる。今生きている【賢者】であれば、書き込んだ記憶を削除させることも可能だ。
本人でなければ削除は出来ない。
記憶は人間の人格の一部だ。大部分と言ってもいい。
≪書庫≫を開くたびに感じる、記憶がかき回されるような気持ち悪さ。それをトーマが訴えると、≪書庫≫の使用を強いることをラケーレは止めてくれた。
だが、いつまでもこのままでいいとは、トーマも考えていない。
結局、カーキーという木の名前が分かっただけで、トーマは≪書庫≫を閉じてしまった。お茶にする方法はわからない。
シャラモンによるとトーマが固まっていたのは、ほんの数秒だったという。だがトーマにはずっと長く、四半刻ほどに感じられた。
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