第9話 金欠
シャラモンは結局、水汲みから帰ってくるとすぐ横になって寝てしまった。そのまま朝まで熟睡である。
疲労とは肉体の組織が徐々に傷つくことである。『魂の器』を持つものは『耐久』高めることで身体の細部までが傷つきにくくなり、疲れにくくなるものだ。
40階梯のトーマほどではないにしろ、『五芒星の力』が肉体派の構成であるシャラモンは『耐久』もある程度高い。それなのにこの有様はどうしたことか。
単純に『マナ操作』が低く力を浪費しているというよりは、長距離・長時間の移動にあまり慣れていないのではないか、とトーマは思う。
トーマの方は一睡もしていないと言える。シャラモンのいびきがうるさかったからではない。
野営をするときの基本的な技術として教わったものだ。
護衛と交替で夜番をしながら野営した時はもう少し気を抜いていたが、それでもいびきをかいて眠りこけるようなことは無かった。
夜番が異常を察して起こそうとしても、熟睡していてはすぐに行動できるものではない。むにゃむにゃ言っているうちに殺されてしまう。
太陽が東の山から顔を出すころになって、シャラモンはむにゃむにゃ言いながら目を覚ますと、くしゃみを一つした。
腹が減ったから何か狩ってくるという。冗談ではない。今から狩りに出て、探して、倒して、運んで帰って、解体して焼いていたら、昼になってしまう。
朝食の麦粥を2人分作ることにした。わずかに残っていたシャラモンの干し肉を徴収する。麦粥に混ぜたが、うす塩のウサギの日干し肉だったので屋台のおやじの岩塩をナイフで削り入れる。
次の街で何か穀物を買い足さなければならない。
「これ、大麦なんだな。小麦だと、こういう
シャラモンが自分の椀から麦粥を掬いながら言った。
確かにトーマが昔食べたことがある小麦の粥はもっとドロッとしていた。小麦は粉にして、薄焼きパンや保存食の固焼きパンにして食べることの方が多い。
「俺の両親は小麦農家でさ。ティズニールの街壁の外側にへばりついてるような、狭い畑でちまちま小麦を作ってんだよ、毎年」
「立派じゃないか。土地なんか持ってない人間は森で獣や魔物を狩ってくるしかない。小麦も大麦も肉よりずっと値が高い」
「それがほんとに狭い畑なんだよ。税で半分もってかれて、残りを売ってなんとか3人食えるだけ。残るもんなんか何もない。13の時、魂起こしを受けたんだけど、どうやって費用を用意したんだか、今でもわかんねぇ」
大人になってから『
シャラモンの両親はなかなか賢く、先を見据えて金を使ったと言える。
「……俺いま暗い話してる? やめた。早く食って出発しようぜ」
残した水で鍋をすすいで、広げた荷物を包み直す。10分ほど歩いた場所の沢で水を汲み直し、いちおう気分の問題として、遺跡内の厠の跡地で用を足し、トーマたちは旅を再開した。
ペーリ市までの道のりは距離としては短くても山道である。
トーマはシャラモンの速さに合わせて歩いた。なんとか日暮れ前にたどり着けたがシャラモンは昨日に引き続き体力を使い果たしている。
幅が狭く流れのはやいスコンブロ川上流の両岸に広がるペーリ市街。そこには2千人ほどの屈強な開拓民が住み、辺りの森を開拓し続けている。
外壁が無いので入街税などは取られなかったが、寝台二つがぎりぎり収まっている2人部屋の宿賃はきっちり大銀貨2枚だった。シャラモンは高いとごねた。
「アルビョンではどこに泊まったんだ?」
「一緒に来た他の3人のうち1人がアルビョンの出だったんだよ。そいつん家」
結局、夕食をおごることで宿に泊まることを納得してもらった。昨夜まともに寝ていないのに、どこかの軒下なんかで寝たくはない。
翌朝宿の主人に市場はあるかと聞いてみると、市場は今商品が少ないというので、宿で蕎麦の実を売ってもらう。一袋大銀貨1枚也。
「なんで滅んだハリラックに寄るんだよ。泊まらないんだからかえって遠回りだろ」
ペーリ市を出て、そのままスコンブロ川沿いに下って行こうとしているのに、シャラモンがしつこくトーマに提案してくる。ハリラックに寄れば次のエレスビル村まで1刻はよけいに時間がかかる。
「だってよ。俺が嘘ついてトーマを道連れにしたんじゃないって事、証明しなきゃダメだろ?」
「疑ってないよ、そんな事は」
ハリラック村が滅んでいるかどうかなんて近隣で聞けばすぐにわかることだ。そんなすぐにばれる嘘をつかれるとは思っていない。
むしろハリラック跡地に何かあって、そこにトーマを連れていく魂胆があるのではないか、そういう疑いを禁じ得ない。
「……ポーキド茸の名産地だったんだよ、ハリラックは」
「なんだそれ」
「デュオニアのほうじゃ食わないのか? うまいキノコなんだよ、歯ごたえが良くて。乾燥させても売れる。干しポーキド1キーラムで小銀貨6枚にはなる」
「そんなものならもう採りつくされてるんじゃないのか?」
「おととしの秋はティズニールでポーキド茸が売られてた。ハリラックが潰れたのはその冬のはじめ。去年は夏が暑すぎたのか全然生えてなかったらしい」
「やっぱり採りに行った奴が居るんじゃないか。今年も採りに行ってるだろ」
「ちょうど時期なんだよ、今が。まだ採られてないかも」
遠回りしようとしまいと今日の目的地が変わるわけではない。シャラモンが今日もまた体力切れになるだけのことだ。疲れが軽い方が、いびきが少なくなったりしないだろうか。それが問題と言えば問題だ。
「いやさ、このままティズニールまでずっと、ちゃんとした宿に泊まるとなると、魚を売る儲けがすっ飛んじゃうと思うんだよな、たぶん」
「……」
ハリラック跡地に向かうには、スコンブロ川を南岸から北岸へ渡らなければならない。
ちょうどいい岩が2個、川面に顔を出している場所を見つけて跳んで渡る。不器用ながらシャラモンも無事、落水せずに渡れた。
野営や、いいかげんな宿屋もどきでは熟睡できないというのはトーマの都合である。本当は商品を抱えているシャラモンだって警戒しなければいけないのだが、金貨90枚分の財産を隠し持っているトーマのほうがやはり問題は深刻だ。
シャラモンは往路で小麦を運んでアルビョンで売ったらしいので、塩スーロの開き干しの儲けが飛んでも利益は残るという。だが、まあ少しの寄り道でシャラモンが満足するならそちらのほうが話は早い。
4年半前に訪れた時はちゃんと道だったものが、今は伸びた草や低木の細い枝で覆われてしまっていた。シャラモンが短剣で切り払いながら進んでいく。途中、雨が降って来たのでシャラモンは背負い袋から薄い皮を引っ張り出し、魚の入った麻袋にかぶせた。小雨だったものがだんだん本降りになってゆく。中天にあるはずの太陽は雨雲で隠れて姿を現さない。
「なんだ、あれ」
少し太めの枝を上に押しのけた姿勢のまま、シャラモンがつぶやいた。トーマがのぞくと、数メルテ向こうに泥と人間の残骸が散らばっていた。
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