第7話 魔法

「……だから、塩スーロの開き干しは1枚で22だって言ってんでしょ。たくさん買ってもまからないよっ!」

「去年は19だったって聞いたぞっ! こんないっぱい売ってるじゃないか、品薄じゃないんだろ?」

「塩が去年より割高なんだよ、今年の夏は雨が多かったから。海水をお日様で乾かすのがうまくいかないだろ? 最初から火にかけて煮詰めたらしいよ。それじゃ薪代がかさむだろ? だから今年は22なの。わかったかい?」

「薪代が高いとなんで魚も高くなるんだよ!」

「もういいよっ! 商売の邪魔だからあっちへおいき!」

「なんだとっ!」


 怒気をあらわにしたのをみて、トーマは実力行使で男を取り押さえようかと一瞬身構えた。

 男が『器持ち』だったからだ。『力』『耐久』『速さ』が高い。階梯はおそらく25前後。素手で常人つねびとを即死させ得る。



「……くそっ! わかった。 ……じゃあこれで買えるだけ売ってくれ」


 痩せた犬を思わせる短気そうな顔つきに似合わず、一呼吸で怒りを抑えた男は襟元から巾着袋を引っ張り出した。袋の中からつまみ出し、店主の女に渡したのは金貨であった。


「……えーっと……」


 金貨1枚は大金だ。『魂起こしの儀』5回分である。大銀貨で10枚、小銀貨なら50枚。銅貨で千枚だ。


「42……43……44…… 45と少しか。いいわ、46枚売ってあげるよ。たくさんだけどいいんだね?」


 男は丈夫そうな背負い袋から麻の大きな袋を取り出す。店主が次々と紐から外す堅干しの魚を、受け取ったそばから広げた袋に入れていった。

 ぱんぱんになった麻袋を、男はしゃがんで背負い袋にくくりつけている。

 前掛けについた物入れに紐を仕舞いながら、店主がトーマに向き直った。


「お待たせしましたね。なんでしょう」

「塩スーロの開き干しを10枚ください」


 店主に大銀貨2枚と小銀貨1枚を渡す。

 店の少し奥に入り、魚を貫いている紐を壁からほどいている店主を横目に、背負子しょいこから食べ物を包むための綿布の袋を取り出す。そうしている間に、若い男は立ち去っていた。




 トーマは前回の旅で、アルビョンに10日滞在した。

 『魂起たまおこしの』を施して報酬を稼ぐため、ある程度は望んだ滞在だったが、10日という日数は強引に引き留められた結果だ。

 今回は誰にも賢者であることを知らせないまま、1泊だけ。


 現在特に金銭を必要としていないのもあるが、面倒くさいというのが正直なところだった。護衛を連れていないから前回より、もめる可能性が高い。場合によっては血を見るかもしれない。

 しようがないのだと自分に言い聞かせて、トーマはアルビョンを後にした。




 東に向かって街道を行く。一歩で2メルテの高速歩きだ。平原に近い地形は100キーメルテ近く続いているはずだ。木が少ないのは潮風の影響なのだろうか。

 見通しが良いからすぐに気づいてしまったが、男がトーマの後を付いてきていた。

 先ほど開き干しを46枚買ったあの若い男だ。

 男は駆け足だったがトーマの速度の方が少しだけ上だ。階梯の差の問題というより、増強された『力』の使い方が下手くそなようである。


 『魂の器』の恩恵で、階梯が上がるごとに増強される5つの力。

 『五芒星の力』とは、『力』『耐久』『マナ出力』『マナ操作』『速さ』である。

 『力』は文字通り筋肉の出力を大きくする。

 『耐久』は体を強靭にする。トーマほどになれば下手な刃物は通さない。


 マナは不可知の力の総称であって、その本質は1つであっても、1つの物質や1つの性質としてあるのではない。何のことか、いまいちトーマはわかっていないがラケーレはそう言っていた。

 「魔力」と呼ばれることもあるが、精霊に捧げて魔法を使うだけでなく、一部の異能の行使でも使うのだから『マナ出力』が正しい。これが小さいとマナの充填量が少ないし、充填速度も遅くなる。


 『速さ』は感覚的な速さだ。トーマなら常人が放ってきた矢くらい、簡単につかみ取れる。


 そして魔法を使わない者の多くが軽視している項目が『マナ操作』である。軽視しているというか、知らない者もいるだろう。

 これが低いと魔法や異能を使う際、巧みに操れないし、マナを浪費してしまう。

 それだけではなく、『力』で強化された筋力の加減すらうまくできないのだ。魂起こし前は意識せずとも当たり前だった、「ちょうどいい力の入れ具合」がわからなくなる。

 『マナ操作』を上昇させるには、普段から意識して緻密に魔法・異能を使うのが効率が良い。だが魔法を使えず、マナを消費する異能も持っていない場合、「技術的で精密な運動」を日々心掛けるしかない。


 しかし階梯上昇時、『マナ操作』を多く上げてしまえば他が少なくなってしまう。だから『マナ操作』を知っていてもあえて無視している肉体派も多い。


 店でトーマが「魔眼」で見たとき。開き干しの若い男は『マナ出力』がまるで育っていなかったし、『マナ操作』も階梯のわりに低かった。だからうまく走れないのではないか。




 3刻ほど移動して、トーマはそろそろ休憩しようかと考えていた。朝食をたっぷり食べたので昼に何か食べるつもりはない。野営する予定の遺跡までもう半分以上は来ている。


 まず異臭に気づいた。向かう先。風上から、夏場の人間の汗臭さをさらに煮詰めたようなにおいがする。

 100メルテよりは近く、豆粒ほどにしか見えないが数匹、いや10匹近い群れがいる。

 経験からわかる。つのザルだ。


 タタンッと跳ねて背中の荷物ごと横向きになり後ろを振り返る。

 男の姿が見える。立ち止まれば2分で追いつかれる距離。警戒する必要あるか? と一瞬思うが無駄な考えだ。いつでも最善手を選ぶべき。

 角ザルの群れに向かって加速する。数秒で半分の距離に詰めて荷物をおろす。魔物共もトーマに気づいたようだ。

 「キヒャッ! キヒャッ!」と不愉快な声をあげながら駆けてくる。額に短い角が一本生えた毛のないサルだ。大きい個体、と言ってもトーマより一回り小柄だが、その何匹かは木の枝を引きずったり振り回したりしていた。

 トーマは地面に手を付き、自分のマナを流しながら地の精霊と同調させた。


請うエルク 地の精ファンゲノモス 我がマナを代償にシィフディチ ジェマナ 力を現しボレプタス たわんでコーディオ ン  跳ねろタンボーイェ 大爆地アイナシーフォウ


 トーマの目の前の地面が盛り上がり、波となって加速しつつ地面を走る。10メルテの距離に迫っていた角ザルの群れの中心を、大量の土砂が爆音とともに吹き飛ばした。


 呆然とした、くさい灰色の連中。『大爆地アイナシーフォウ』に巻き込まれなかった数匹は我に返るとキーキー叫びながら逃げていく。中心にいた大きい個体の中にも致命傷を受けた角ザルはいないようで、トーマが近づくと起き上がってよろよろと逃げ出した。

 もう一度振り返ると、男の姿は見えなかった。

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