第5話 旅の準備

 鹿の大腿骨でつくられた匙でソニアが炊いた麦粥をかきこみながら、トーマは憤っていた。

 なぜ自分だけが悪いように、底が浅い人間のように思わなければならないのか。

 一晩寝て、起きてみてそういう気分になっていた。

 もともとトーマは詐欺みたいな目にあった被害者なのだ。


 14歳から修業に明け暮れた日々。

 魔法を使うための精霊言語をラケーレに教え込まれ、格闘術を叩きこまれ、社会の規則を覚えさせられる。

 旅に出ては魔物の探し方、殺し方を実地で学び、抜き取った血まみれの魔石を奥歯でかみ砕いて階梯を上げた。師匠と過ごす時間は楽しかったし、強くなっていく自分が嬉しかった。

 修業の仕上げの3年半の旅はいろいろあった。ラケーレが居ないので危険度は跳ね上がる。各地で『魂起たまおこしの』を施した。それでもらえる報酬があるので、魔物の肉や皮の収入と合わせれば2人護衛を雇ってもなんとか旅を続けられた。


 行く先々で何度も他人の醜い一面を目撃したし、自分が欲望に振り回される、獣とそう変わらない生き物だということも知った。

 常人つねびとならば100人居ても勝てないような大物を何匹も打ち倒し、やっと階梯を40にあげたので「キリがいいから」という理由で師匠の下に顔を出したのが1年と少し前であった。




 『魂の器』を他者に与える【賢者】の異能は『魂の器』の状態を看破できる。「魔眼」とも呼ばれ、賢者でない者には別の異能と思われることも多いが、本質的に同じ能力だ。

 『魂の器』の根源が古代宗教で言う魂と同じものであるかはトーマも知らない。ともかく目覚めさせる前の『魂』は、どこまでも小さく、とてつもなく硬い「石」ように感じられる。【賢者】保有者以外には感じたり見えたりすることは無いという。

 対象者の『内』にあるその魂に、自分の『器』を通してマナを注ぎ込み、徐々に揺るがし、ほぐし、溶かし、体全体に行き渡らせ、定着するのを促す。それが『魂起たまおこしの』だ。

 感じ取れるから起こせる。起こしたものは見えるのだ。


 旅を終えてラケーレに面会した時、トーマから40階梯に上がったとは言っていない。

 階梯上昇で増える5つの力、『五芒星の力』は賢者であればその大きさを感じ取ることが出来るが、数値化されているわけでもない。なんとなく「力の合計がこれくらいなら、これくらいの階梯だろう」とわかる程度だ。


 再会の挨拶をするトーマの『魂の器』の状態を見て、初めてラケーレは『書庫の賢者』の義務を告げた。

 すなわち「権力を持っていて<書庫>を混乱させる【賢者】を殺して、師の『七賢』の座を継承しろ」である。


 そういうことは、のんきに階梯を上げる前に言ってほしかった。だから詐欺みたいなものだとトーマは思う。




 その場をごまかして師の屋敷を辞去し、うやむやのままこの下宿で1年間、「魂起こし業」を営んできてしまった。

 それがこのオカテリアでは、そこまで差し迫った需要があるわけではないことを知った。

 いいきっかけである。思えばトーマは14年前『魂の器』を得てからこれまで、こんなに長い間階梯を上げずにいた事などなかった。


「ソニア、旅に出るよ俺」


 『義務』を果たす果たさないはともかく、強くなることを辞めたわけではない。どのみち強さは必要になるのだ。階梯的にも、人間としても。




 決めてからは忙しかった。昨日と同じように午前中に予約の客をさばく。

 新たな客を紹介されても困るので、紹介に気づいたことは書かずに「1年間骨休みして英気が養えたので旅に出ます」と書いた手紙を、郵便屋を使ってラケーレに届けさせる。


 これから冬になるわけだから外套を作らなければならない。3軒隣の革加工品店で紹介された店に走り、金に糸目は付けないぞ、とばかりにいい毛皮を選ぶ。急ぎだからはやく仕立ててくれと前金を多めに払う。


 翌日も予約の客1人と、飛び込みの「行儀のいい」客に『魂起こしの儀』を施す。トーマが魂起こしをするようになってから一度も【賢者】を当てたことは無い。やはり希少なのだなと、実感を新たにする。


 午後。旅に必須の背負子しょいこを探しに行く。以前に使っていた物は売っていしまっていた。かさばる物を置いておけるほど下宿の部屋は広くないのだ。カシでできた頑丈な造りの背負子が見つかったので、買う。大銀貨1枚也。




 そんな感じで数日間、旅の準備に明け暮れた。新しい予約はソニアが断っているので客は減っていく。

 途中「行儀の悪いの」が3人で押しかけてきて、例のごとく無料で『魂起こしの儀』を強請って来た。「頼むから帰ってくれ。金を貯めたら師匠の所に行ってくれ」と、丁寧に話して理解してもらった。

 話を聞かせるのは力ずくだったが、武器を抜かせなかったのだから成長したものだと、トーマは自分を褒めてやりたかった。




 準備期間の最終日。最後の予約の客に『魂起こしの儀』を施す。トーマと同年代の色っぽい肉付きの女であった。『魂の器』持ちのダンナが階梯を上げすぎて最近うまくいかないらしい。何が、とは聞かなかった。

 仕事を終えたトーマは両替商の店に走った。何故か知らないが預金の引きおとしは午前中しかできない。大通りを北に向かい突き当りの議事堂広場を東へ、ラケーレの屋敷のある高級宅地は西側である。

 お役所通りの一角にある両替商『シクリッザ金融』の玄関で目を光らせる大男は20階梯前後だ。あまり高いとは言えない。警備体制は大丈夫なのだろうか。


 1年間貯めて来たトーマの預金は金貨で90枚もあった。住む場所以外はそれなりに贅沢をした気でいたが、稼いだ額の半分弱しか使っていない計算だ。向かう先の地方によっては金貨の価値が低いこともあるので、40枚分を宝石にしてもらう。

 いろいろな宝石を見せてもらう中で、白い不透明な結晶体を見て大事なことを思い出した。




「頼む、おやじさん。明日には出発なんだ。仕入れ値の何倍でもいい、言い値で払うから」

「困るんだよ。いつ入って来るかわからない品なんだ。切れたら商売あがったりになる」

「血みどろの肉ばかり食べたくないんだ! 旅先でもたまには塩焼きが食べたいよ」

「岩塩くらい市場で買えよ!」


 2年は遊んで暮らせる財産を懐でじゃらじゃらさせながら、いつもの網焼き肉の屋台にかけつけた。別にかけつけなくてもよかったのだが、トーマはこの数日で走るのが癖になっていた。


 塩分摂取は生きるために絶対に必要だ。動物の血には塩分が含まれるので、塩が無ければ肉に血を塗って味付けするのは一般的なことだ。塩分と水分を同時に摂るために、直接血を飲むことにさえトーマは慣れていた。

 だがうまいものを食べたいと思えばやはり肉は塩焼きにしたい。


 市場でも塩は買える。こぶし大の岩塩が大銀貨1枚半程度の値段だ。海塩も売っているが同じ重さで岩塩よりも高い。トーマはどちらも使ったことがあるが、屋台のおやじの塩は何かが違うとにらんでいた。やはり簡単に手に入らない塩のようだ。


「小便を使うのはどうだ? 少なくとも血の味はしねえぞ?」


 ナメクジを口に入れられた犬のような顔をしたトーマをわらいながら、禿げのおやじはしゃがんで屋台の裏に隠れた。ごそごそと何か探している。おやじは屋台の横をまわってトーマに近づくと、小石くらいの大きさの黄色みがかった岩塩を3個、トーマの右手に握らせた。


「これだけだが餞別だ。タダでもってっていいぞ。そのかわり生きて帰ってまた買いに来いよ、賢者さん」


 屋台のおやじが急に心意気を見せたので、トーマは礼を言うのが少し遅れてしまった。

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