第4話 下宿

 建物にくらべて不釣り合いなほど頑丈な扉。分厚い板を並べて鉄鋲で固定した造りだ。

 扉を開けてそまつな木造二階建ての敷居をまたぐと、中にいた人物にトーマは帰宅を告げる。


「今帰りました」


 トーマの下宿しているこの家の主はソニアという名の未亡人である。

 『器持ち』であるためか、70代半ばの年齢にして足腰は丈夫なようである。いや、正確には腰も膝も曲がっているのでおそらく大丈夫ではないのだが、普通の老人にくらべて3倍は力があるので、それで補っているのだろう。

 居間兼食堂の真ん中に置かれた食卓の上でソニアは大きな茹で卵の殻を剥いていた。ケヅメドリの卵だろう。大柄なソニアは好物のこの茹で卵を1食で2個食べる。


「暴れたのかい」

「今日はどこも壊してないよ」


 料金を払いたがらない魂起こし希望者たちとの揉め事の結果、この家や隣近所の店の修繕費・賠償費をトーマは何度も支払ってきた。合計金額はもうそろそろ金貨10枚に届きそうである。


「上手く叩きのめしたらいいって話じゃないんだよ。お客を追い返してちゃ、商売にならないだろうに」


 居間兼食堂の隅の土間にある調理場。大きな水がめの横に戸棚がある。

 戸棚に食べかけの赤熊肉をしまい終えたトーマは、ソニアの言葉に口をひん曲げた。


「商売どころじゃないでしょうが、俺は剣で斬りかかられたんだよ? だいいち奴らは客じゃない。金を払う気はないって言うんだから」

「すかんぴんには見えなかったけどね。いい上着を着ていたし」

「あいつらに俺が帰るのを外で待つよう言ったのか?」

「文句あるのかい」

「……いや、別に」


 ソニアがいい上着と言ったのは、子攫こさらいイヌごときの毛皮のことではないだろう。おそらく金髪の着ていた方だ。

 トーマが左肩にかけているような「肩革」ではなく、ちゃんと縫われて袖が付いた黒革の上着だった。

 トーマは前からああいう型の上着の方が機能的だと思っていた。

 先ほどの運動で緩んでいた腰帯を締め直す。


 剣も良い物だったし、少なくとも金髪の方はそこまで金に困っていなかったのかもしれない。

 正直に言えば、斬りかからせたのはわざとだったような気もする。不愉快な対話をさっさと終わらせたいと思っていた。


「でも金を持ってても払う気が無いんじゃ、やっぱり客じゃないだろ?」

「払う気が無い客を払う気にさせるのが、商売ってもんだよ。あんた商人の家の出身のくせにそういうところが甘いんだ」

「……」


 売春宿の経営者も、分類次第では商人かもしれない。

 トーマもラケーレと出会う前から金勘定くらいはできていた。だが払う気が無い客を払う気にさせる方法などは少しも知らない。実家でそういう客は、やっぱり叩きのめしていた気がする。

 ゆで卵を1つ食べ終えたソニアが、食卓の反対側の椅子を示して座れと言う。太い丸太を削って作られた椅子に素直に座る。


「今日午前と昼に来た客はラケーレ様の紹介だよ」

「え?」

「たぶんそうだよ。聞いてみたら、なんだか言葉を濁してたけど。前から、行儀のいい客はだいたいラケーレ様の紹介だったように思うね」



 師匠の家に向かう前、2人の客に2階の自室で『魂起たまおこしの』を施している。1人目は立派な金属鎧を着けた戦士で、2人目はオカテリアに住む、役人の親を持つ賢そうな顔をした少年だった。


 戦士が得た『魂の器』は一門で【風の導師】と呼んでいるものだった。少年が得た『魂の器』は武器にマナを流して強化する類型。逆の方が良かった気もするが、制御できるものでもない。


「……忙しいからこっちに仕事を回してたってことか?」

「それならラケーレ様もそうおっしゃるだろ? さっきみたいな連中とあんたがうまくやれないから、心配なさってるんだよ」


 うまくやるとはどういうことか。師匠にはあんなバカどもとうまく取引する技術でもあるというのか。


「あんたが今まで蹴倒したり殴り倒したりした奴らの中にもさ、あとでラケーレ様に魂起こししていただいた奴がけっこう居るらしいよ。ちゃんと払うもの払え、悪いことすんなって道理を言い聞かせてさ。まともな客の相手でお忙しいなら、わざわざそんな事をなさらないと思うよ」




 上弦の月の光が内窓の布を通して自室をぼんやりと明るくしていた。寝台に敷いたつ足オオカミの毛皮の上で、トーマは今日知った衝撃の事実について考える。


 毎日『魂起こしの儀』に励んでいれば、この街や、人類全体や、ラケーレの役にも立っていると考えていた。だが、どうやらかえって迷惑をかけていたらしい。


 もちろん魂起こしをすることは人類復興にとって意味がある。だが場所がオカテリアである必要はない。この街で魂起こしをする【賢者】はラケーレ1人でも十分なのかもしれない。

 人格に問題のある者に『魂の器』を与えてはならないという決まりはある。

 後ろから刃物で斬りかかって来るような奴は、さすがに駄目だろう。だがつるつる頭の方はどうか。

 今まで追い返した連中の中にも、半分くらいは話せば道理をわきまえる奴が居たかもしれない。いや、居たのだ。トーマが切り捨てた者をラケーレはすくいあげていた。


 敷いた毛皮と、上にかけている羊の毛布の間で寝がえりをうった。

 魔物がよく襲うので羊は街壁の中でしか飼えない。その毛を使った毛布は高級品である。魔物の毛皮は特別手をかけて加工しないかぎり、水分で痛むので寝具としては消耗品だ。毛布の方が軽いので寝心地も良い。『魂起こしの儀』の報酬を貯めて買ったものだ。


 理屈ではトーマが居ないほうがラケーレはもうかることになる。魂起こし希望者が多すぎようるなら料金を上げたらいい。同じ仕事で儲けが増える。

 だが大銀貨2枚という料金は昔からずっと変わっていないはずだ。トーマの実父がラケーレに払ったのも同じ大銀貨2枚だった。


 ラケーレはきっと金額にこだわっていない。もっと純粋に「本当に力を必要とする者」を選んで『魂の器』を与えているのだろう。

 世間知らずで無教養なバカであろうが、魔物と戦って生活していこうという者こそ、自分たち【賢者】を必要としている。それは確かだ。


(何が需要と供給だよ……)


 トーマの右目の下瞼が一瞬痙攣した。自己嫌悪を感じると起きる癖。28歳になっても治っていなかった。

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