第11話 リンイェンという女④
彼女は、胸の前で持っていたコーヒーカップを天井高く放り投げた。思わずカップを目で追う。
空中に投げ出されたカップは、照明に照らされながら落下し、テーブルに叩きつけられた。陶器のカップは目の前で粉々に割れ、見るも無惨な姿に変わってしまった。
「よく見ていて。これが私のスキルよ」
彼女は割れたコーヒーカップに手を当てると、柔らかな光を放ち、その光がカップだったものを包み込んだ。すると、カップの破片が自ら動き出し落下地点に集まっていく。破片は立体パズルのように次々と組み立てられ、あっという間に元のコーヒーカップの姿を取り戻した。もちろん継ぎ目も残らずに元の姿である。
「すごいですね。回復スキルみたいなものでしょうか」
「うーん、ちょっと違うかしら」
「じゃあ、修復スキルとか……?」
「まあ、今の動きだけ見たらその言葉がしっくり来るでしょうね」
修復なら言葉どおりのスキルだと思うが……。彼女の言葉が腑に落ちない。
「それなら、今から私がすることを見て、あなたはこのスキルを何て呼ぶかしら?」
彼女はソファーから立ち上がると、彼女の事務机に近づいた。彼女は机の端を掴むと、唐突に机を横倒しにした。
大きな音と共に、上にあった仕事道具は床に散乱し、机の引き出しも引きずり落ちていった。
「な、何を……」
突然の彼女の行動に言葉が出ない俺を後目に、彼女は書棚と本を複数冊掴むと次々に床へ投げ落とした。
そしてプライベートルームから先程持ってきたコーヒーポットを掴むと、その中身を床に落ちた本や倒れた机にぶちまけた。
あまりに突飛な行動で、黙って見ていることしかできなかった。
彼女は両手をぱんぱんっと叩きながら、ひと仕事終えたような満足そうな顔をしている。まるでストレスを解消しきったような顔だ。
「お待たせしたわ。ここからが私のスキルよ」
そう言うと、彼女は目を瞑り両手を床に向けた。彼女の全身が光に包まれていく。
3ヶ月程度の俺でも、この世界でスキルを使う人間は数え切れないほど見ている。だが、ここまで強い光を発していたスキル保持者がいただろうか。少なくとも、俺が見てきた中ではいない。それほどに強力なスキルが発動されることだけは確信できた。
彼女が放つ強い光に、惨憺たる床や書籍が包まれていく。すると先程のコーヒーカップと同様に、散らかった文具、本、倒れた事務机は勝手に動き出し、まるで魔法のように元の場所へと戻っていく。
本は書棚に分類ごとに整理された状態に、事務用品も机の元あった場所へと戻っていった。驚くべきは床や本に撒かれたコーヒーが、その水分だけが空中を浮遊してコーヒーポットの中へと収まったことだ。
光が消えると、彼女は目を開いた。
めちゃくちゃだった彼女の周辺は、何事も無かったかのように元の状態を取り戻していた。
「どう? これも修復と呼べる?」
「……修復のレベルを超えていると思います。当てずっぽうですけど、時間を巻き戻すスキルとかですか?」
「残念だけどハズレね。私はこのスキルを『正常化』と捉えているわ。つまり、私がその状態を異常だと思えばそれを元に戻すことができるということよ」
言われてもいまいちピンと来ない。それだと言語で表現さえできれば何でもできる。まさにチートスキルである。
「抽象的すぎないですか? 例えば、相手が存在すること自体が異常と捉えれば、その存在を消滅させられることになりますよね?」
「そうね。そういう使い方もできるわね」
恐ろしいことをさらっと言う。
「でも、現状そこまではできないわ。私の意識レベルで異常だと捉えられないと効果はないもの。口で言ったとか、頭で考えたとかのレベルじゃ足りないわ」
さすがにそこまではできないか。だが、十分に強力なスキルである。
「要は解釈の問題よ、これがスキルの成長のヒント。転写という言葉にとらわれないで。あなたのスキルでできることはたくさんある。でも、それは自分自身で気づかなきゃいけないわ。後は実践することで身につけるしかない」
解釈か。確かに自分のスキルを多面的に見ればできることは増えるかもしれない。
「わかりました、ありがとうございます。ちょっと意識しながらやってみます」
彼女がにこっと笑いながら、事務机にもたれかかる。
「私からの話は以上よ。今日は来てくれてありがとう、会えて嬉しかったわ。またクエストの準備で会いましょう」
扉が開き、外で兵士が待っていた。話が終わるタイミングを見計らっていたようだ。
お辞儀をして、その場を去る。城の外まで出ると、馬車が用意されていた。帰りも送ってもらえて大変助かる。
帰りの道すがら、馬車の中で思案に耽る。
考えるのはリンイェンと、まだ見ぬ転移者カノアのことだ。彼女らのことをもっと知りたかった。現実世界の暮らしや転移時の具体的な状況、転移後の経過……聞きたいことは尽きない。3人で話す機会はこれからあるのだろうか。
リンイェンは目的があると言ったが、そのことは教えてくれなかった。もしかしたら、この世界のことと関係があるのかもしれない。
彼女の人となりは見えてきたが、100%信じ切ることはまだできない。それでも、同郷の人間と会えたことの安堵感は計り知れないものがあった。
話をしただけだが、疑心暗鬼の中、話をしたのでひどく疲れてしまった。馬車の揺れも心地よく、眠気が襲ってくる。
フィレリさんには何と説明すればいいだろうか。転移仲間と会えましたと言っても、伝わらないだろう。クエストを依頼されたと言うしかないが、随分と身の丈に合っていないクエストである。信じろという方が難しい。
今日がオフの日でよかった。この疲労では酒場の手伝いも難しいだろう。フィレリさんには謝って、今日は大人しく部屋で寝ていよう。
今日は自分にとって、間違いなく転機の日だった。様々な疑問や不安が頭を駆け巡りながら、俺は心地よい眠気に誘われるまま、馬車の中で眠りについた。
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