第10話 リンイェンという女③

 衝撃的な言葉に理解が追いつかない。


 しかし、脳が即座に、過去に自分が読んできた作品のパターンを分析する。よく考えれば、異世界もので自分以外にも転生者や転移者がいるのは珍しくない。

 俺がいるこの異世界も、そのパターンに当てはまっただけだ。まだ謎も多いが、驚くようなことではない。


「そうですか。正直驚きました、自分以外で転移した人を初めて見たんで。」 

「そう。でも、あまり驚いているようにも見えないけど」


 そう言うが、内心では本当に驚いている。ただ、この女性が敵か味方か分からない状況では平静を保たなければならない。


「もう一つ確認したいの。あなたと私が元いた世界が共通かどうかについてよ。私がいた世界の時事をいくつか出すから確認させてもらえる?」

「分かりました。覚えてる範囲内ですけど」


 彼女が出した時事は、全て現実世界で生きていれば耳にするようなものばかりだった。完全に同一かどうかは分からないが、我々がほぼ同じ世界から転移したことは明白だった。


「ありがとう。やっぱりこの世界に転移しているのは、私達がいた世界の人間みたいね」


 確実ではないが、今の言いぶりからすると転移者は他に複数人いる可能性があると推察した。だが、そのことは胸の中に留めておく。


「リンイェンさんは、名前からすると中国出身ですか?」

「そうよ。北京で会社を経営してたわ。転移したのは約3年前。オフの時に、海岸沿いを歩いていたら、急にこの世界に転移してたの。ヨハネスさんは……ドイツ出身かしら?」

「あ、違います。日本出身です。ヨハネスはこの世界での名前で、本名は山田夜羽音です」


 彼女は薄目でこっちを見ている。どうにも解せないとでも言いたげな表情だ。


「どうしてわざわざ違う名前を? 世界観に合わせたつもりとか?」

「いや、間違って伝わったのがそのまま定着したような感じです」


 彼女は、ふぅん、と言いながらコーヒーカップに口を付けた。あまり興味はないようだ。


「日本人ならこの『異世界への転移』っていう出来事も、すんなり受け入れられたんじゃない? そういう作品が日本にはたくさんあるでしょう?」

「まあ、そうですね。受け入れられたかって聞かれると……他の人よりは受け止めやすかったと思います。ところで中国にも異世界転生ものってあるんですか?」

「あるわよ。私はあまり読まないけど」


 話が横道にそれた。久しぶりに現実世界の人と会えたことで雑談が弾んでしまった。

 最初の印象と違い、彼女は思ったより自分のことを話してくれる。完全に信用できるわけではないが、彼女に対する緊張感が若干ほぐれた。

 そして、今更ながら気づく。

 彼女との会話は日本語で行われている。異世界転生もののご都合と言えばそれまでだが、一応確認しておかなければならない。


「そういえば、リンイェンさんは日本語が話せるんですか?」

「話せないわ。ちなみにあなたの言葉は中国語で聞こえてる」


 そういう世界観か。転移者の最も親しみやすい言語に設定されるというか、要は言語の壁を問題にしないということである。


「……やっぱり驚かないのね。言語については、あなたの考えてるとおりよ。この世界はそういうふうに設定されているの」


 彼女の見抜いたとおりである。一番の疑問は、なぜそれを彼女が知っているかだ。この世界に3年いる彼女に対しては、聞きたいことが山ほどある。もちろん彼女自身のこともだ。政務担当官になった経緯や彼女のスキルのことなども知っておきたい。


「やっぱり、国の中枢にいるとこの世界のこととかも分かるんですか?」

「中枢にいるからってわけではないけど、この世界のことはよく理解しているわ。転移した理由もね」

 

 さらっと言ったが、とんでもないことを言わなかったか?

 転移した理由まで把握しているということは、あの転移時の茨の神のことも知っているのか?

 いずれにしても、彼女は有益な情報を多く持っている。質問は慎重に選んで、情報を引き出さなければならない。

 言い淀んでいる俺を見た彼女は、その様子がおかしいのか、にんまりと笑った。


「……知りたい?」


 なんとも意地の悪い質問である。知りたいに決まっている。そのサディスティックな表情からも、彼女の性格が伺える。


「知りたいです。俺は、この世界のことを全然分かってない」


 今は素直に答えるしかない。はったりをかましてもすぐにバレるのがオチである。

 彼女は目を細めてにっこりと笑った。まるで、その言葉を待ち望んでいたかのようだった。


「それじゃあ、私のお願いを聞いてくれる?」


 来た。

 ここからが交渉の時間である。圧倒的に不利な立場だが、情報を得るためにできることはしなければならない。


「どんなお願いですか?」

「その前に、あなたのスキルって『転写』よね? イメージをそのまま写し出すようなものかしら?」

「そうです。でも、絵とか文字を写すだけなんでこの世界ではあまり役に立ちません。特に戦闘においては」


 彼女は驚いた表情を見せる。そんな顔をされるとは予想外だった。


「そんなことないわ、素晴らしいスキルよ。それに、あなたのスキルはまだかなりの伸び代がある」


 褒めすぎである。だが、表情からお世辞とも思えない。彼女は本心からこの転写スキルを評価しているようだった。


「私のお願いの一つは、あなたのその転写スキルの圧倒的な成長よ。私の目的のためには、あなたが必要なの」

「成長ですか……。今も見たものをそのまま写すくらいはできますけど」

「もっと伸ばせるわ。その成長のためにも、あるクエストを受けて欲しいの。それが私のお願いよ」


 成長と言われてもピンと来ない。実体化でもさせろというのか。だがそれは、最早スキルの変更である。それにクエストの内容も気になる。


「どんなクエストなんですか?」

「近いうちに、マグニフィセントドラゴンというモンスターがこの国を襲うわ。その討伐をお願いしたいの」

「すいません、無理です。お断りします」


 俺に死んで欲しいとしか思えない内容だ。ドラゴンがこの世界でどんなものか知らないが、どうやったってこの転写スキルでは、相手にすらならないことは誰にだって分かる。


「ごめんなさい、言葉が足らなかったわ。クエストは国が全面的に支援する。それからクエストでは前線をある冒険者が担うから、あなたは彼のサポート役として一緒に戦ってほしいの」


 内容としてはマシになったが、それでも前線に立てというのだから十分に死ねるクエスト内容である。


「その冒険者って何者なんですか?」


 彼女の口元が薄く笑みを浮かべる。どうやら、相手に話したい内容の時に笑うのが、彼女の癖らしい。


「彼と会うことは、あなたにとってもかなり有益なはずよ」


 もったいぶらずにさっさと答えてほしい。そんな気持ちを表情で伝える。


「彼の名前はカノア。この世界で2番目の転移者よ。そして、戦闘において彼の右に出る者はいないわ。だから安心して受注して」


 転移者が複数人いるとは思っていたが、ここで出てくるとは。確かに、俺がクエストで彼と会えるのであれば、多分にメリットがある。


「ちなみにあなたは3番目の転移者。私の把握している限り他に転移者はいないわ。私達3人がこの世界で唯一の転移者よ」


 俺が聞きたかったことを彼女は即座に話してくれた。

 今ここが、選択の時である。

 クエストを断り酒場に戻って彼女達と関わらずに今までどおり暮らすか、命を賭けてクエストを受注してこの世界と自分に起きたことの原因を知るか……。

 

 想像してみる。

 今ここで分かった謎や疑問に対して蓋をして、これまでどおり酒場で働けるか。

 答えは自分でも分かっている。恐らく無理である。

 HSPで刺激に弱い俺だが、刺激が嫌いなわけではない。むしろ気になったことはやってみたくなる質なのだ。

 この感情を隠して、忘れて生きることは恐らくできない。必ずどこかで後悔する自分の姿が、容易に想像できた。


「国が支援するって話ですけど、命の保証はないですよね?」

「戦闘ですもの、絶対はないわ。でも、これだけは言わせて」


 彼女はコーヒーカップをテーブルに置き、前かがみになって俺の目をじっと見つめた。


「この世界にたった3人しかいない現実世界の人間を、簡単に死なせるつもりは毛頭ないわ」


 彼女の黒色の瞳を見つめる。そこには、先程までの怪しさは感じられなかった。


「わかりました、お受けします。ただ、俺は俺の命を最優先にさせてもらうことは承知しておいてください」


 彼女は姿勢を元に戻した。心なしか、安心したような表情に見える。


「構わないわ。引き受けてくれただけでも、とっても感謝してる。今後のことだけど……」

「俺からも一つだけいいですか?」


 話を遮られ、彼女はきょとんとした顔に変わる。


「いいけど、なにかしら?」

「クエストを受けるにあたって、俺からもお願いがあります。リンイェンさんのスキルを教えてください」


 俺のスキルだけ相手にお見通しではフェアじゃない。疑っているわけではないが、信頼関係を作るためにも、彼女の能力を知っておきたかった。


「ああ、私のスキルね。もちろん、いいわよ」


 思ったよりあっさりと了解が得られて呆気にとられる。もうちょっと、踏み込んだことを聞いてもよかったか?

 彼女はテーブルに一度置いたコーヒーカップを再び手に取った。カップの中身は既に飲み干され、空である。彼女は、その空のコーヒーカップを俺に見えるように胸の前に持った。


「よく見ていて。これは、あなたのスキルの成長のヒントにもなると思うから」





 



 








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