第7話 初クエスト(後編)

 肩をはだけて、過去にレイスに襲われた経験を離そうとする彼女は、普段よりさらに小さく弱々しく見えた。

 俺は彼女の言葉を静かに待った。


「私もね、そのモンスターに襲われたことがあるの。小さい頃に入っちゃいけないって言われてた森の中に入ってね」


 彼女は自分の肩を見つめていた。しかし、その顔はかつての記憶から恐怖を思い出すのではなく、まるで罰を受けたかのような顔だった。俺は、彼女にそんな顔をさせる何かが気に入らなかった。


「その頃は冒険者に憧れてた。町で見る冒険者は勇敢で格好よくて、私もいつかそうなりたいって思ってたんだ。

 それに、自惚れてた。私の能力ならすぐにすごい冒険者になれるって。だから禁止されてた森の中にも、大人たちの目を盗んで入り込んでた。無茶な子供だよね。でも、モンスターの気配を感じたらすぐに逃げてた。地理には慣れてたから、注意していれば遭遇することもなかった。

 でも、あれには気配とかそんなものはなかった。気がついたら背後にいて、私の体は動かなくなった」

「俺もそんな感じです。話そうとしたら声が出なくて、そのまま倒れ込んだんです」


 彼女は言うことは、全くその通りだ。

 あのレイスというモンスターは、生物が通常発するような根本的な何かが欠けていた。


「そう。私もヨハネス君と一緒だよ。あの時ももう助からないと思ったけど、冒険者が助けてくれた。ちょうど討伐対象のモンスターだったんだ。それから町に帰って、治療士の治療を受けて……。一命は取りとめたけど、この跡は消えなかった」


 彼女は右手で、その跡に触れた。慈しむようにその場所を撫でていたが、どことなく憂いがあった。


「それからは二度と森に入ってない。冒険者の夢も諦めた。でも私は、私を助けてくれた冒険者を支える人間になりたいって思ったんだ」


 彼女の目が俺を見つめる。俺はうなづきもせずに、その目を離さなかった。

 彼女はふっと笑うと、シャツを着直してボタンをかけた。


「ということで、私は酒場の主人になりました! ごめんね、話長くって!」


 彼女の表情は笑顔に戻っていたが、少し曇って見えた。


「それから、危険な目に合わせてごめん。私もね、この跡を見るとちょっと嫌な気持ちになるんだ」


 彼女はうつむいている。


「でも、自分で蒔いた種だもんね、反省しろってこと! まあ、この体でも気にしない旦那さんもどこかにいるだろうし!」


 彼女は笑っている。

 俺は自分のシャツをめくり肩を出すと、転写のスキルを発動した。

 手からかざされた光が消えると、毒々しく変色していた首と肩の跡はすっかりと消えていた。簡単なことだ。自分の肌をそのまま変色した部分に転写すればいい。


「ヨハネス君……?」

「肩出してください。今すぐその跡消しますから」

「ああ、ありがたいけど、やっぱりこれは私にとって戒めというか……」

「そうかもしれないけど」


 もう忘れましょう、前に進んだ方がいい、フィレリさんは笑顔の方がいい、どれも自分の言葉じゃない気がした。


「俺は、俺を助けてくれたフィレリさんが、そんな顔してるのが嫌です」


 彼女はまっすぐにこちらに視線を向けた。その表情から彼女の感情は一切読み取れなかった。


「フィレリさんはもう十分やってるじゃないですか。それがどうしてフィレリさんの戒めになるんですか、悪いのはモンスターでしょう。それに俺の命だって助けてくれた、それでチャラにならないんですか。俺なんかの命じゃ軽いのかもしれないけど」


「ヨハネス君」


 怒らせたと思った。実際、自分でも頭の中がぐちゃぐちゃで何を言ってるのか分からなかった。

 彼女は机に前のめりになり、俺の顔をじっと覗き込む。


「難しく考えすぎ」


 勝手なことを言うなとでも言われるのかと身構えていたが、彼女は静かに一言だけ告げた。

 恥ずかしくて顔から火が出そうだった。勝手に彼女の気持ちを汲んだつもりになって、バカ丸出しだ。

 そんな事を考えて口ごもる俺を見た彼女は、椅子に座り直すとシャツのボタンを外して肩を晒した。


「でも、お願いしようかな」


 その表情は穏やかで、優しく肩を見つめていた。でも一応確認はしないと。


「いいんですか?」

「うん、この事ってあんまり人に話してなくてさ。この跡も一生消えないと思ってたし、私も重く考えすぎてたんだと思う」


 わかりましたと一言告げ、彼女の肩に手をかざす。イメージは彼女の透き通るような肌だ。

 転写のスキルを発動し、彼女の肩が照らされる。転写は一瞬で済み、長年彼女にこびり付いていたその跡は、きれいさっぱり消えて無くなっていた。正確には彼女の肌の色で上書きしただけだが。

 転写が終わると、彼女は深く息を吐いた。

 いつぶりなのだろうか、恐らく久々に見るのだろう何の変哲もない肌を見て彼女は、まるでずっと持っていた重荷を下ろせたように見えた。


「きれい……」


 そう言う彼女の目は、涙ぐんでいるようだった。


「あはっ、自分で言うなって話だよね!」


 そう言うと彼女はささっとシャツを着直した。


「ありがとう、ヨハネス君。おかげで前を向けそうな気がするよ」


 優しく微笑む彼女を見て、たとえ自己満足だったとしても自分のした事に後悔は無いと、そう思えた。


「それにしても、これは女性客に対してお金になる気がするねえ。傷じゃなくても、シミそばかすも消せるってことだし……」


 そう言いながら腕を組み、ぶつぶつと一人言を呟いている。いつものビジネスチャンスを伺っている元の彼女の姿がそこにはあった。


「……あっ、そういえばヨハネス君、足にも火傷跡あったよね? あれも消せるんじゃない?」


 言われて気がついた。俺が最初に転移したときに、致命傷の傷を彼女の熱スキルで塞いでもらったのが火傷跡で残っていたのだった。


「……これは消さないです。これは、俺がフィレリさんに助けてもらった証みたいなものだし、これがあるから俺は頑張れるんです」


 彼女は薄目でこちらを見ている。口元は全く笑っていない。

 椅子から立ち上がった彼女は、俺の後ろに回り込むと平手で思い切り俺の背中を叩いた。

 突然の張り手に咳き込む俺をしり目に、彼女が耳元で怒鳴った。


「君ねえ! 言ってることとやってることが違うでしょ! そういうのはもういいから!」


 そりゃそうかもしれないが、俺だって格好つけたい時だってある。

 立っていても、座っている俺と同じくらいの目線の高さの彼女は、明らかに見下しながらこう言い放った。


「いい男じゃないなー、君!」


 大ショックである。フラグというものがあるなら、折れたどころか今目の前で雲散霧消したと断言出来る。


「わかりましたよ! 今消しますから!」


 裾をまくり上げて、ふくらはぎを出す。レイスの攻撃の跡とは違い、傷口を無理やり癒着させたような跡で色もより痛々しかった。

 手を当てて転写のスキルを使う。しかし、転写で変色した部分は消えたが、肉が変形した部分はそのままだった。転写はあくまで表面にしか効果は無いのだ。


「あー、色は戻ったけど完全には消えないか。惜しかったねえ」

「十分ですよ、目立たなければいいし。それに、俺はやっぱりフィレリさんと出会うきっかけになったこの傷は消したくないです」


 どういう意味かな?、とでも言いたげな薄笑いを彼女は浮かべていた。甦れ、フラグ。


「まあ、君もいつまでもここにいるわけじゃないだろう? きっとそのうち独り立ちする日が来るよ」


 そんなことは考えたこともなかった。俺は一人ぼっちの異世界で、ようやく見つけたこの居場所を手放す気はさらさらなかった。


「俺はどこにも行く気ないですよ? クビとかにならなければ……」

「クビは分からないけど、永遠にウェイターでいるつもり? 君には君にしかできないことがもっとたくさんあるはずだよ」


 彼女はおでこの部分を俺の肩に当てた。少しだけ、彼女の体重を感じる。


「でも君がいなくなったら、私も少しだけ寂しいかな」


 さすがにずっとここにいますとは言えなかった。あとクビは真っ向から否定して欲しかった。

 それでも、肩に感じる彼女の熱と重さから彼女の言った言葉は、彼女の素直な気持ちなのだと理解できた。


 この時の俺は想像もしなかった。

 数日後に、俺がこの酒場から去ることを。







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