第4話 初クエスト(前編)

 草が肌にかすかに触れるくすぐったさ、土と植物が混ざった複雑な匂い。茂みの中でうつぶせでいると、普段と違う新鮮な感覚に気づくことができた。

 俺の視線の先では、リザードと呼ばれる小型の恐竜のようなモンスターと剣を携えた戦士が戦っていた。

 そう。ついに俺は、モンスター討伐のクエストに同行することになったのである。


────事の始まりは数日前。俺が働く酒場のマスターであり、俺の雇用主でもある女主人、フィレリさんから直接の依頼だった。依頼内容は、数日後に酒場の客が挑むモンスター討伐のクエストに同行してほしいとのこと。

 当然、確認しなければいけないことがある。


「あのー……、俺が戦力にならないこと分かってますよね?」

「もちろんだよ!!」


 明るく答える彼女に若干複雑な感情を覚える。


「ヨハネス君にお願いしたいのは、モンスターの姿を紙に転写すること。できるだけ正確にね」


 それなら合点がいく。

 転写スキルは文字だけでなく、目で見て覚えたものなら写すことができるからだ。写真ほど精緻ではないが、被写体をじっくり眺めれば眺めるほどそれなりに正確に写すことができた。なんとも説明がしづらいが、転写の精度は「目を細めて見ると本物っぽく見えるレベルの絵」くらいだ。

 もう一つ納得できる理由がある。

 それはモンスター討伐書に添えられたモンスターを模したであろう絵が、死ぬほど下手だからである。それもそのはずで、この酒場には絵を描くなんて優雅な趣味を持つものはおらず、必然的に最初にモンスターに出くわした一般人、もしくはモンスターを討伐した本人からの聞き取りでフィレリさんが描くことになるからである。

 彼女の絵は独特で、何というか、的を得ない絵を描く。実際、その絵を見たところでモンスターの種別どころかサイズ感すら分からないので、ひどいクレームにつながっている。


「分かりました。いつかそういう日が来ると思ってましたから」

「お? どういう意味かな?」


────そんなこんなで、こうしてモンスター討伐のクエストに同行している。と言っても、文字通り草葉の陰から戦いを見守り、その間、紙にモンスターの姿を転写するお仕事である。

 一応従業員の安全を気遣ってか、同行させた3人のメンバーは熟練の冒険者ばかりだった。目の前で戦っている剣士はイオという男で、スキルは「重力」である。かなり強力なスキルのようで、相手の重力を操作して拘束し、重力を付与した剣で攻撃するというコンビネーションが使える。その威力はすさまじいもので、硬い皮膚を持つモンスターでも両断することができるそうだ。

 リザードとイオの肉薄した戦いに、興奮で体が震えた。目の前で繰り広げられる「これぞ異世界」と言える戦いに息を呑んだ。

自分もあんな風に戦えたらと思うし、正直憧れた。しかし、自分にできることはリザードを目に焼き付けて転写することだけである。

 どうしてもぼやけた写真のような転写しかできないので、少し前のめりになって体を茂みから出してみた。これで大分見やすくなる。

 しかし同時に、リザードの玉のような眼球がこちらを向いた。爬虫類の嗅覚が優れていると、昔何かで聞いたことを今さら思い出す。

 リザードは目の前の相手よりかはいくらか与し易そうな俺めがけて、走り出した。俺は己が危機に直面していることに気づくと同時に、ようやく記憶から薄れてきた巨大蟻の襲撃を思い出していた。


「バカ! 伏せろ!!」


 言うが早いか、俺の頭上をかすめるのが先か、1本の矢がリザードの頭部を貫いた。

 頭部に風穴を開けられたリザードは体をよろつかせていたが、背後には両手で握った剣を大きくふりかぶったイオの姿が見えた。次の瞬間には、リザードは胴体を両断されていた。


「あぶねーなーお前、隠れてろっつったろ」


 二つ結びを三つ編みにし、緑色の髪をなびかせながら樹上から飛び降りた女性にきつめの注意を受ける。

 彼女の名前はアイナ。矢を放ったのは彼女であり、弓矢使いである。「貫通」のスキルを持っており、後方支援どころか一撃必殺の威力を秘めている。

 目つきも口も悪いが、長いまつげと可愛らしい三つ編みおさげの髪型であり、そのギャップからかファンも多い。特に下まつげが長いのがファンにはたまらないらしい。


「す、すみません……」

「まあまあ、お前の腕を信用してのことだろ?」


 フォローしてくれたのは、剣士のイオである。イオは30代半ばだが、その戦闘力はピークである若い頃から変わっていないらしい。酒が入ると理性を失うらしく、酒場では服を着ていることの方が珍しいくらいだ。そんな彼もクエスト中は大変頼もしく心強い。

 アイナも自身の技術を褒められたからか、それ以上俺を追撃することはなかった。


「イオ、傷は大丈夫か?」

「かすり傷程度だよ。これなら普段のアイテム回復で十分だ」

「そう言うな、私が来た意味が無くなる。ほら、傷を見せてみろ」


 イオの腕の傷を治療しているナウルという男は、町の治療士である。俺がこの異世界に転移したときに足の裂傷を治療してくれたのもこの男だ。

 基本、治療士はクエストに同行しないらしい。治療士は町全体の医療を担っているので、クエストに同行するとその間、不在になってしまうからだ。

 今回、例外的にナウルが同行しているのもフィレリさんが無理を言ってくれたのだろう。一応、他の治療士も町にはいるので、完全に不在というわけではないらしい。


「んにしても、フィレリの落書きとは雲泥の差だなー! ほとんど本物じゃねーか!」


 モンスターが転写された紙を覗き込みながら、アイナが感嘆の声をあげる。

 今日のクエストで転写したモンスターとしては、コボルト、ゴブリンに次いで3体目だ。最初は目に映った姿を写真のように転写していた。だんだん慣れてくるとじっくり観察することでモンスターの全身図をイメージできるようになり、今では正面、横、背面、特徴的な部分の詳細など、情報を分けて転写することができた。


「これだけ正確に姿を写せれば討伐の参考になるな。今日倒したモンスターは見慣れた奴らだが、未発見のモンスターなら事前情報の有無が死活問題になる」


 イオも、アイナの背後から感心している様子を見せた。

 正直すごくうれしい。たとえ戦力にならなくても、こういう形で冒険者の安全を守れることが素直に喜ばしかった。

 だが、これでいいのかと思う部分もある。今の俺は仲間たちによって身の安全を保障された状態であり、言うなれば子守りされているようなものだ。

 今後この仕事を引き受けるにしても、また同じようにベテランの冒険者と治療士を同行させるわけにはいかない。少なくとも、自分の安全は自分で守れるようにならなければならない。

 そんな考えを逡巡させながら、転写した紙をカバンにしまい込み立ち上がった。


「ありがとうございます。あとアイナさん、さっきはすみません。本当に助かりました」

「おう。モンスターによって視覚が優れてる奴もいるし、嗅覚や聴覚が発達した奴もいる。要は相手に合わせて動きを考えろってことだ」


 アイナの言うとおりである。たとえ現代ほど文明が発達していない異世界だったとしても、情報が重要であることに変わりはないのだ。

 アイナは先を歩きながら、人差し指を曲げて俺を呼んだ。


「来いよ。道中で色々教えてやる」


 なるほど、ファンが多いのも頷ける。実際、俺自身もすでにアイナの夢女子になりかけている。


 今日倒さなければならないモンスターは、あと2体。クエストは後半に差し掛かっていた。







 

 

 





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