運び屋は、何を思っていたのか
棒の高騰はいよいよ本格的に知られることとなった。棒を持つ者は自らの食糧に高値を付け、それに追随して持たざる者達も値段を釣り上げる。
それで取引が成立するならいいのだが、持つ者達にはすでに潤沢な資産と食糧があった。
彼らは焦らなかった。
ただ通行止めが終わるのを待てばいい。生活に必要な道が塞がっているのだ、それほど長引いたりはしない。その考えの元、決して食糧を過剰に減らさぬように努力を重ねた。
食糧は動かない。持つ者によって、僅かに消費されるのみとなった。
通行止めが成されて、今日で四日。
高騰し続けた取引額は一旦落ち着きを取り戻し、均衡が保たれ始めた。
Iはつまらなさそうに、それを眺めていた。
静かな寮に、事件が起こる。
「ちょっと退いて」
昼過ぎのこと。うまか棒の在庫を保管する部屋の前に、二人の門番と、一人の男の姿があった。
門番の二人に渡されたのは、新しく発行されたうまか棒の紙幣。これを全て現物に変えれば山となるだろう。
「その部屋に、ちょっと用があってな」
曰く、頭取に頼まれたと。
曰く、在庫を確認しておきたいと。
曰く、しばらく休んでいて欲しいと。
門番は顔を見合わせて、それから男の方を見て、頷いた。
この男なら大丈夫だろう。多少素行の悪さがあるが、頭取からの命令だろうから、信頼に足る。そう判断したらしい。
時間は三十分以内に。そう伝えて部屋の鍵を開き、門番は去っていった。
チョロいもんだと呆れ気味にため息を吐き、運び屋Iは部屋に入った。
「頭取、大変です! 食糧が!」
「午後の収支が合いません! 奴ら一体どこからこんなに大量の棒を!」
「頭取!」
「頭取!!」
「えぇーいやかましい! 一人ずつだ!」
夕飯前、頭取の元に大量の苦情が舞い込んだ。
内容はどれも似通っている。どうにも一斉に取引が行われ、高値で守っていたはずの食糧が流れてしまったと。
持つ者達にとって実に不可解な出来事だ。自分たちで作り守ってきたはずの均衡が突然破られた。 それも、数時間の内だという。
頭取は悩むことも無く、まずは在庫の確認に急いだ。
「あれっ頭取どうしたんで?」
「在庫の確認だよ。いきなり収支が付かなくなったもんでな」
「珍しいこともありますね。Iのやつが昼間、頭取に頼まれて確認に来たって言うのに――」
「なんだって?」
「え? 頭取が頼んだんでしょう、在庫の確認をして欲しいって。アイツ、面倒そうにしてましたよ。その様子だと、やっぱり数が合ってないみたいですね……仕事を真面目にしないやつはこれだからダメだ」
差し出された鍵を強奪するように受け取って、頭取は部屋の中を見た。
「やられた……」
頭取が叫んだ。
「奴を呼べ! 今すぐに!!」
皆が配膳を進める中、MとIは部屋にいた。
窓から食堂の方を覗き、Iは楽しそうに、少しだけ音の外れた鼻唄を歌う。
Mは机に向かい、書類を睨みつけている。重いメガネをまた正した。
窓の外に、月明かりが指す。
台風が過ぎた日から、天気はずっと晴れだ。
同じ部屋にいる二人の間にあるものを、しっかりと照らし出していた。
「あの日」
ホコリの舞う教室で、相棒の放った言葉を思い出す。
「お前は、うまか棒を要らないと言った」
夕日が照らしていたのは、果たしてどちらだったろう。
「答えてもらおう。どうしてこんなことをした?」
鼻唄は少しづつ小さくなり、サビに入る手前でとうとう止んだ。不愉快な鼻唄だったなと、頭取は思う。
Iと目が合った。
フッと、笑ってみせた。
「盗んでないよ。余ったやつを配っただけや」
ふざけた言い訳だと頭取は一蹴する。
「お前の貯棒数より明らかに減ってる。つまりこれは明らかな悪意の元、窃盗を行ったと判断するのが妥当だが……申し開きはあるのか?」
「俺だけやないからな。他のやつらの分も一緒に全部引き出してる」
「なんのつもりで?」
「気分や気分」
「あのなぁ……」
Iは話さないつもりだ。からかうつもりだろう。
攻めの姿勢を崩してはならない。頭取は背筋を正した。
「お前がうまか棒をバラ蒔いたことは、調べがついてるんだよ」
崩れるどころか、Iは感心したようだった。
「さすが、早いな」
「もう一度聞くぞ? どうしてこんなことをした」
「察しが悪いなぁ」
鼻の頭を搔いて。
「おもんないねん。こういうの」
「は……?」
「つまらんよ。お菓子はただのお菓子やろ。それ集めて粋がったってしゃーない。そう思わへん?」
突然放たれた、あまりにも稚気じみた言葉に、頭取は言葉を失う。
ずっと、楽しさなど求めていなかった。将来のためには金が必要で、そのためには今を耐える必要があって、だからこそ頭取には、うまか棒が必要だった。確かに有明寮を巻き込んだのは悪いことかもしれない。だが、結果として周りの生徒たちは楽しんでいた。その喜びがあるからこそ、今こうして耐え忍ぶことができている――
「お菓子は食うもんや。使えるもんを、ちゃんとした使い方もせんのに、なんで人を縛ろうとする?」
――Iの言いたいことが分かってきた。
「お前が作ったルールのせいで、今皆が苦しんでる。解決できるから、した。それだけのことやん」
「せっかくここまで来たんだぞ……ここを乗り越えればなんとかなるんだ! この後だって不自由しない生活を送れる! それを、お前は、お前のせいで!」
「あんな、M」
Iは察していたのだろう、いずれこうなるということを。水害はおまけで、無くてもいずれ破綻するということを。
だからこそ、これが最後だと。
「俺は、不自由してなかったよ。お前と二人で運び屋やって。たまに先生に怒られて。腹減ったな、とか愚痴垂れて。そういう生活が、一番楽しかった」
あの日の教室と同じように、Iは窓の外を見た。
月明かりが彼を照らす。
放課後の教室と、同じように。
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