その棒は、どう変わっていくのか

 ――安くて美味しい、うまか棒。なんにでもなる、うまか棒。パンは三本、ジュースも三本。カップ麺だけお高めよ。なんにでもなる、うまか棒。日直、掃除、なんでも交替。お取引の際は、ぜひ2-1BのMのところまで――


「クリームパンと交換で!」

「ごつ盛りくれ!」

「コーヒーやるから、まけてくれ!」

「言い値で買うから焼きそばくれ!」

 昼休みの度にMを囲う人集りができる。

「ごめん! 明日の日直変わって!」

「お易い御用だ。棒六本で」

「準備あんねん! 掃除変わって!」

「いいよ。棒四本」

「彼女とデートや! 課題やってくれ!」

「無理。一人でやれ」

 放課後の度、うまか棒が増えていく。

 増えた棒を寮生へと再分配して、仕事を皆で分けていく。

 誰も不満は言わなかった。

 Mは寮生にたっぷりとうまか棒を渡していたし、Mとの取引は、必ず相場より要求される棒の数が少なかった。

 三万円分のうまか棒。これが余裕を産み出している。先行投資と言うのだと、Mは相棒のIに鼻高々な様子で話した。

 手持ちの棒は徐々に増え、それによって交換出来る物も増えていく。気が付けば、運び屋の部屋は食糧で溢れ、二人は食うに困らなくなった。

 相変わらずお前はよく食べる。Mの愚痴から棘が無くなって、いつの間にか、いつも刻まれていた眉間の皺は無くなっている。

 メガネのレンズは相変わらず重い。

 手狭になった部屋で、Mはまたメガネを正した。

「いける……」

 想定よりも早い事態の進展に、Mは下卑たニヤケを浮かべる。なんせ彼らは有り余るほどのうまか棒を所持しているのだ。手に入らないものは無い。食糧だけでなく、掃除や片付け、魚の骨取りに至るまで。うまか棒を使って労働力を買えば全て解決した。

 このまま資産を増やしていけば、計画をもう一段階進められる。

 歪んだメガネ越しにでも、Mはその先に待ち受ける成功をはっきりイメージ出来ていた。

 ダメ押しに、Mはまた週末にうまか棒を増やすと言うと、Iは来週はどうするんだと切り出した。

 とびっきりの笑顔で、Mは返した。

「部屋や。寮の部屋を一つ買う!」


 週が明け、月曜日が来た。

 その日、有明寮は姿を変えた。

 否、変わったのは姿だけではない。

 どこから持ってきたのか――そもそもどこで作ったのか。男子棟の入口には看板が立てられていて、そこにはこう書かれている。


「有明中央うまか棒管理所」


 後に女子寮生によって語られる、男子アホか事変。

 その始まりは、ここからであった。


「なんやこれ、どういうこと?」

 変わり果てた部屋を見て、Iは問う。

「寝るスペースも無くなってきたからな。空き部屋を買ったんや」

 いや、突っ込んだのはそこじゃない。Iは不服そうだ。

「その紙束なに?」

「ああ、これは……新しく導入予定の紙幣。簡単に言うと、うまか棒何本分かっていう証明書かな」

 今まで自分たちだけしかいなかった空間は、気付けば事務所へと様変わりしている。満足そうなMを見て、Iは鼻の頭を掻いた。

 どうにも、しばらく放っているうちに、Mは変わってしまったようだ。今ではいつもの呼び名ではなく、寮生からは「頭取」なんていう仰々しい呼び方をされている。

 有明寮は、変わっていった。うまか棒によって支配され、いつしかそれは金と同じほどの価値を持つようになった。

 Mはうまか棒を守るためのルールを作り、その為ならば既存のルールを壊すことも厭わない。

 日直や掃除の交代は、いつの間にか当初の倍の値段へ膨れ上がっていた。

 表面的にはなんの問題もない。大人たちはうまか棒による取引を深くは知らないからだ。あれは安価な食べ物と交換出来るだけで、まさか、部屋を一つ占拠し得るものだとは夢にも思っていない。

 Mは、変わっていった。

 楽しそうな様子を見て、Iはつまらなそうに欠伸をした。

「なんだ、面白くなさそうだな、I」

「おもんないわけとちゃうよ? なんか、えらいことになったなぁってな」

 授業が終わり、放課後となった。

 Mはうまか棒を数え、今日は誰を使おうか、なんてことを考えている。

 それを傍目に、Iは自分で箒を取った。

「今日は俺がやるわ」

 Mは心底驚いた顔をした。

「お前がか? 意外すぎる」

 どうも、と会釈するように軽く返して、Iは一人で掃除を始めた。

 Mはメガネを正して、うまか棒を数え直す。

「それ、無駄やぞ」

「は?」

「今日の仕事はもう俺が受けてる」

「ならその分の報酬を後で――」

「いらん」

 短いやり取りが、いつの間にか出来た溝を照らした。


「食えもせん菓子なんて、いらんよ」


 背を向けて発された言葉。Mは気にする様子もない。Iは苛立ったように音を立てて箒を掃く。教室に埃が舞った。鬱陶しそうに手を払うMは、しかし、決してうまか棒を片付けることはしなかった。

 開ける気のないお菓子の袋。

 Iにとってそれは、酷くつまらないものに見えた。秋らしい冷えた風が教室に吹く。二人は同じ窓を見た。

 一人は日に照らされた。

 一人は影の中にいた。

「先に帰るわ。晩飯までには帰ってこいよ」

「おう。夜はまたDVDプレーヤー貸してな」

 二人の間に出来た溝は、降り積もるホコリでは埋まらない。

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