運び屋は、如何にして成り上がったか
舞台は整いつつあった。
運び屋が大量のうまか棒を所持していることは瞬く間に広がり、寮生は当然奪取しにくる。
Mは、その身勝手さを決して許しはしなかった。
「時が来たらちゃんと分けるよ。だから、一個仕事を頼みたいねん」
そう言って彼は、生まれて初めて、他人に取引を持ちかけたのである。
Mがはっきりと動き出したのは、月曜日の午前6時、まだ皆が目を覚ます前のことだった。
有明寮の朝がいかに早いか、というのは度々話題に上る。Mはその点について、今朝初めて感謝した。
年々早くなる起床時間のおかげか、配膳準備中は舎監が起きて来ない。学生だけの時間というのが確実に存在するおかげで、事前準備の時間をたっぷり取れていた。
「今日は頼むでな」
寝ぼけ眼の生徒達に、Mは二言三言話しかけ、その手にうまか棒を握らせていく。
Iはその様子に首を傾げたが、何も聞かなかった。
ニヤリと笑う相棒の、その悪意にすら、Iは気付かなかった。
問題が起きたのはその昼のことである。
「なんやこれぇ!」
「買えへんぞコラァ!」
「おぉい通せよぉ!」
南桑田高校校舎、一階の端。
そこに有明寮所属の生徒達が立ちはだかり、通行止めになっていた。
高校生たちの腹の虫は大合唱を始め、恨めしそうに人力バリケードを見つめている。
寮生の背後には購買部があった。
担当のおばちゃんはオロオロするでもなく、慣れた様子で「たまにあるのよねぇ」と呆れた調子だが、学生達はそうもいかない。
昼の購買は戦争だ。弁当が足りていないか、はたまた忘れたか、昼食後の団欒のためか。お使いを頼まれた者もいるだろう。目的は人によって様々だが、この場所は学生にとって大きな意味を持っている。
今まで共有できた財産が、今日に限ってできない。それも、寮生が原因で。
「お荷物共がよ」
呟く程の小さな声が、なぜだか廊下に大きく響いた。山風が吹く直前のような、不気味な静寂が訪れる。
バリケードの意味は、通行止めだけではないのかもしれない。張り詰めた緊張が走る。呼吸の音。誰かの衣擦れ。時計の音すら耳に届く。先頭に立つ者が、弱く拳を握った。
「辛気臭いの〜もっと明るく行こや」
コツ、コツ。靴底が廊下を叩く。
階段から生徒が一人降りてきた。
「いやぁ〜皆さんお揃いで〜! どないしはったん?」
嫌味な響きを孕ませた声で登場したのは、運び屋のMである。
その手にはうまか棒が握られていて、扇子を鳴らすように掌を打っていた。
余りにもわざとらしい態度に皆の視線が注がれていく。Mの行く先はなんとなく分かっていた。ここに来る目的は誰しも一つしかないのだから。
集団の先頭。バリケードの前に辿り着くM。
握られた拳にそっと手を添えて、レンズ越しに鋭い目付きで睨んだ。その気迫に一瞬だけギョッとした顔を見せると、Mはいつものように明るく笑った。
「ここは穏便に行こやぁ。喧嘩しても、ええ事ないって……な?」
低い声だ。
華奢な見た目からは想像もできない、廊下に響く低い声。いつも通りの声音に乗せられた圧力が、生徒達にとっては恐ろしく感じられた。
Mはその時まで、悪意の欠片もない、善良でヒョロっちいメガネ君だった。
バリケードを作る一人の肩に、手を置いたその時までは。
「虫一匹通すなよ。渡した分は働いてもらう」
それだけ言い残し、彼一人がバリケードの向こうへ消えた。
通学生が、寮生に向かって雪崩を起こした。
有明寮生ほぼ全員にうまか棒を渡したのはこのためだ。女子は尽く乗ってこなかった――なんせスナック菓子は太るし浮腫む――が、屈強な男子をいくらか手篭めにし、Mは見事にバリケードを作って見せた。
遠くで見ていたIは、興味無さげに欠伸をした。
「やるねぇ」
相棒の勇姿に飽きたのだろう。Iは騒動に背を向けて、先に教室に戻ることにした。
その背に騒動を受けながら。
相棒とは反対に、Mは悠々と財布を取り出す。
「こっからここまで」
「おいやめろって!」
「マジかコイツ!?」
「誰か止めろ!」
「ヤバいって! 半端ないって!」
「ぜーんぶくーださいっ」
「うーわやりおった!! コイツやりおった!」
生徒たちは不満タラタラ、先生に言うたろの大合唱だ。それを見たMは芝居がかった動きで振り返り、生徒たちを舐め回すように見る。
返される視線は全て敵意に満ちている。だがMは大した動揺も見せず、むしろ満足気に息を吐いた。
「俺も鬼やない」
手を挙げて、指を三本立てて見せた。
「三本や」
「は?」
「うまか棒三本と、パン一つを交換する。相場より安いやろ?」
その後、カップ麺は六本。おにぎりは四本と続く。
「うまか棒だけ残しといた。皆頑張って買うてきてな〜」
お買い求めは2-1Bクラスまで、と締めくくり、バリケード達をボディーガードに替え、購買へ殺到する生徒を横目に悠々と去っていった。
「あいつ、何がしたいんや……」
生徒の一人が、ポツリと呟いた。
「で、なんであんなことした?」
寮の食堂で夕飯を貪るIが、顔をパンパンに腫らしたMに聞く。
「計画の初期段階」
取引に来た奴らに一発ずつビンタされるとは思ってなかった、なんでこんなことに。Mが頬を擦りながらそう返すと、Iは呆れたような、それでいて楽しむような、意地の悪い笑顔を向けた。
「初期でそんなボロボロなんか、引くわ。おもろ」
「うるさいねんボケェ! 何がおもろいねんコラァ! めちゃくちゃ痛いんやぞコレェ!」
「まぁまぁ、そういう時こそ飯食わんとな。早よ終わらせろよ?」
「あーもう……この仕事めんどいわ」
痛みに耐えながら、Mは他人の分まで魚を解す。他の寮生がMに魚の骨取り依頼しているのだ。もちろん有償。一人につき、うまか棒二本がかかっている。
報酬は先払いでもらっているし、文句はこれ以上言わないでおこうと決めたようだ。
「まぁ、収穫はあった。カップ麺とパンは結構残ったし。これでしばらく食いもんには困らんやろ」
Mは手先が器用だ。たまに人の手伝いもする。そういうことを繰り返すうち、今回の計画を思いついたのだと話した。
「まずは寮内でうまか棒を流通させる。通貨としてな……充分に出回ったら、今度はうまか棒の方を制限する」
「ほうほう、そんで?」
「あとは、うまか棒を高値で売りつける」
「街に買いに行けばええやん上手く行かへんのとちゃうかなぁ」
「ホンマにそう思うか?」
魚を次々に解しながら、Mが言った。
「街への交通費に、スーパーまでの移動時間。そこまで上乗せして考えたら、俺から買う方が遥かに早いし安い」
きっと上手く行く。
解し終わると、また次の皿がMの前に並んだ。
仕事は山積みだ。
「値段はどうすんの?」
箸を借り、今度は二匹同時に解し始めた。
「せやな……一本三十円。最終目標はそこやな」
まだ色々課題はあるけどな。そう付け加え、今度こそMは、自分の魚に取り掛かる。
すっかり時間が経った焼き魚は、冷めて固くなっていた。
作業に気を取られすぎたな。そう落胆のため息を零し、Mはもっと上手くやろうと決意した。
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