寮長報告:2011年9月号

04号 専用機

最初の日、彼が何を思っていたか

 はじめに先生は男子と女子とを分けられた。田舎は娯楽なく、むなしく、鹿が山のふもとにおり、干からびた蛙が水のおもてをおおっていた。

 先生は「寮入った方がええんちゃう?」と言われた。すると寮があった。先生は新入生を見て、良しとされた。先生は新入生を男子棟と女子棟とに分けられた。

 先生は「別棟に入ったらあかんよ」と言われた。男女はそのようにあった。

先生は昼を学業と名づけ、夜を就寝時間と名づけられた。朝となり、また夕となった。第一日である――


「夜はもう、結構涼しいなぁ」

「コンビニで言うてた。ここから気温下がるらしいわ」

 長い直線道路を歩きながら、二人の学生が言った。車通りは無くまた街灯も少ない。山の方で鹿の鳴き声がしたかと思うと、道の脇から一匹の鹿が飛び出して、元気よく畑の方へと走っていった。

 暗くてよく見えないというのに、器用に獣避けネットを躱していく。餌を探している様子はなく、その白い角を月明かりにボンヤリ浮かばせながら、何かを追いかけるように暗闇へと消えていった。

「あぶな……気ぃ抜いたら轢かれるやん」

「保険降りひんからな? 鹿との事故はごめんやぞ、ただでさえ時間外外出やし。バレたら大問題やろ」

 遠くでピカッとライトが光った。二人は興味がなさそうに、車道の真ん中を歩く。

 異常に真っ直ぐな道だ。どうせ、ここにたどり着くまで数分かかる。この長い国道のことを、二人はよく知っていた。

「さっさと買って帰ろう。思ったより寒いわ」

 2011年の九月ごろ。

 彼らはまだ、有明寮の運び屋と呼ばれていた。


 なんでチャリ使えへんねん。運び屋の一人が言って、メガネを正した。もう一人は鼻の頭を掻きながら、急な仕事で後輩に根回しできなかったと返す。

「Mさぁ、そんなピリピリせんでよぉない?」

 と、これまた鼻の頭を掻き言うと、

「前から言うとるやろ、恩でもなんでもこじつけていらんチャリは常に確保しとけよ」

 Mと呼ばれた少年は、苛立った様子でそう返した。

 分厚いレンズが重いのか、またメガネがずり落ちている。Mはしつこく、そして腹立たしそうに、何度も正しい位置へと戻した。

「やっぱあかんって、帰りもまた一時間歩いたら寝る時間減るで」

「別に授業中寝たらええし」

「あんな、I。お前の呑気〜な頭に叩き込んどけ。俺はそういう不真面目なん嫌やねん」

「今、抜け出しとるの笑ってええんか?」

「はん! バレへんだらよろしいがな!」

 小馬鹿にするような口調で、彼らは寮から数キロ離れたコンビニで買い物を済ます。

 二人分の食料にしては幾分か多い。カゴの中身を見てみると、どうやら他人の分まで買っていることが分かった。

「これで全部?」

「任せろよI。メモ通りや」

「チャリ部、めっちゃ食うよなぁ」

 そこに限った話じゃないけどな、とM。

 分厚い眼鏡をまたかけ直して、うんざりとした様子である。

「ええなぁ……俺も毎日これくらい食べたいなぁ」

 Iがそう言って高い鼻の頭を搔くと、ついにくしゃみをした。

「親からの仕送り、凄いんやろなぁ」

 その言葉に、Mは眉間の皺を更に深くした。


 彼らは南桑田高校に通う、京都府の学生である。学校は山の中にあるため、通学が困難な生徒は皆、高校が運営する『有明寮』という学生寮で生活していた。

 運び屋の二人に限らず、男子高校生と言うものはいつでも腹を空かせている。成長期なのだ。その食欲はげに恐ろしいもので、空腹が原因で眠れないことなどしょっちゅうであった。

 実家通いの学生たちは、バイトや両親からの小遣いで、そこまで強く飢餓というものを意識したことはないだろう。だが、彼らにとっては違う。

 有明寮生は常に飢えている。

 田舎ゆえに娯楽は少なく、寮の規則でバイトは禁止。決して多くはない小遣いで、最近できたコンビニへ食料を買いに行こうにも、20時以降は外出禁止なのである。

 では、なぜ今こうして彼らはコンビニで屯しているのか?


「仕事もだいぶ慣れてきたな……明日金曜やし、俺は一回実家帰るわ」


 彼らは、男子寮の一階五号室に住む二年生である。夜更かしが趣味と言われる程に夜遅くまで起きていて、そこに目を付けた他の寮生が、ある夜コンビニへの買い出しを頼んだことがあった。

 監視カメラをかいくぐり、舎監に見つからないルートを発見した彼らの元には買い出し依頼が殺到するようになり――その内誰かがこう呼び始めた。

「運び屋の稼ぎもそこそこ溜まってきたな」

〝有明寮の運び屋〟と。

 寮内に様々なビジネスあれど、運び屋の業務は他に代えがたい価値があった。


「次の週末は何買ってくる?」

 Iが高い鼻を弄りながら聞いた。

「あー、それな……俺に一個考えがあんねん」

 Mがそう言って、思慮深げに顎を撫でた。


「うまか棒を大量に買う。だいたい三万円分」


 うまか棒とは、19X9年から今まで愛され続けているキングオブ駄菓子のことだ。

 60種類以上のフレーバー、長期保存が可能であること、軽さ等々、様々な愛されポイントを有するが、今回運び屋が目を付けたのはそこではない。

「三万円も? せやし、えっと……何本や?」

「だいたい三千本。一本十円くらいやろ?」

 そう、うまか棒は安い。

 一本税込み十一円。三万円に少し足せば、言葉通り大量のうまか棒を買うことができる。

「なんでや……俺あんまり好きとちゃうで」

 と、I。

「まぁ、鼻でもほじりながら見とれ」

 と、M。

「おもろいもん見せたるわ、I。期待しといてくれや」

 彼は悪巧みをするのが好きだった。

「ほーん……まぁ食えるんやったらなんでもええわ……」

 Iは興味がなさそうに、月を見上げて言った。

「よ〜晴れとんなぁ……台風近いとか嘘みたいや」

 かなり大きな嵐が、あと二週間もすればここにまでやってくる。随分遅い動きが、その苛烈さを物語っていた。

 食糧は多い方がええわ。Iはぼんやりした声で、空に独りごちた。


 日曜日の夜、宣言通り大量のうまか棒を買ってきたMに、Iはやはり鼻を弄りながら言う。

「腹減った。ちょっとくれ」

「ならん」

「なんでや!」

「ならんと言ったらならんのや。コイツは大事な貨幣やからな」

 首を傾げるIに、Mは計画を話し始めた。

「ええか? そのボンクラの頭で、言う事をよく聞け――」


 Mは貧しい家の子であった。

 三兄弟の真ん中で、何かと不遇な扱いを受けて育った。服も布団も全て兄のお下がりで、誕生日プレゼントなどは兄に貸してから帰ってきた試しがない。母や父にそのことを言うと二人で分け合いなさいと決まりきった文句を返し、決して兄を叱りつけてはくれなかった。

 そんな兄は今や専門学校生。将来のために大事なお勉強の真っ最中で、Mに与えられるはずだったものは、益々兄へと与えられた。

 学費に下宿代、仕送りに加えて食費、果ては細かな生活費、金、金、金、浴びるほどの金……。

 なぜ兄なのか? 自分のことは? そう考えたことは一度や二度では無い。だが答えは知っていた。

 Mは両親に期待されていない――なんやかんや生き残る次男に、時間や金を使うのは勿体ない。それが両親の考えなのだ。

 それを自覚した時、Mの中に一抹の不安が過ぎった――俺は進学を望まれていない。

 つまり、そうしたければ自分で金を調達しなければならないのだ。

 なんとしても。

 なんとしてもだ。

 彼には学びたいことがあった。もっと遠くへ行きたかった。

「だから、このうまか棒を使って、一財産築く。そうすりゃ俺ら、もう二度と飢えることはない!」

「考えたもんやな……M、お前中々食えへんやんけ!」

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