第9話『狩人』(2/3)

 ウルのライブラリーからインストールされた基本体術は、零士の体と脳に直接浸透し、彼を動かす力となっていた。しかし、それらを完全にマスターするには実践が不可欠であり、とくに死線であればあるほど、その修得は早い。


「零士さま、危険が迫った時は、私が直接身体を操作いたします。今は思う通り動いてみてください」とウルは頼もしく提案した。


「ああ、ありがとな。自分でも何とかやってみるよ」と零士は依存しすぎないよう心がけながらも感謝の言葉を返した。


 緊急時にはウルが介入することで、経験不足の零士は精神的にも安心していた。侵食率の増加に対する不安はなく、むしろ身体能力の向上や武装解放の利点を追求していた。


 一方ウルは、零士の精神に潜む不確定要素――攻撃的な本能、いわゆるイドに注目していた。これを解放することで得られる驚異的な力は、ウルにとっても制御が困難なほど強大で、予測不能な結果を生み出す可能性があった。


 精神的安定のため、ナルの存在は零士にとって心の支えとなっていた。さらにリーナの信頼も強化すれば、より安全な状況を保てるとウルは考えていた。しかし、これらの関係を深めることは零士の意向を尊重しつつ進めなければならない。


 ウルの心配をよそに、零士は記憶にある体術を実際に試しながら、体と記憶の整合性を確認していた。そのとき、ウルが心配する声をかけた。


「零士さま……。かなりの発汗です。少し休まれてはいかがでしょうか?」ウルは零士の体調まで細かく気遣う。


「そうだな……」と零士は答えながら、自身の感覚と記憶とのすり合わせに集中していた。


 深い疲労と水分補給を怠っていた零士は、ひたすらに自身の体を確認し続けていた。過酷な動きの末、ようやくナルとウルの声に気づいた。


「零士、無理はよくないよ」とナルが心配そうに言う。


「あ、ああ。すまない……ナル姉」と零士は返事をしながらも、どこか他のことを考えているようだった。


「どうしたの? らしくないね」とナルがさらに尋ねる。


「頭では分かってるんだ。記憶にもある。でも、何かが違うんだ……」と零士は自らの動きを振り返りながら言った。


「違う?」とナルが疑問を投げかける。


「ああ、それを追いかけると、体は知らない感覚を得るんだ……何か変だと思わないか?」と零士は自問自答した。


「他人の記憶と感覚を、自分の体に合わせようとするからじゃないかな?」とナルは助言を与えた。



 


「そう、その通り! さすが、ナル姉も同じ経験があるのか?」と零士は興味津々で身を乗り出した。


「ええ、私は先輩だからね。色々経験あるよ?」とナルは、自然体で返答し、その声には微かな誇りが感じられた。


「それって、やっぱり慣れるしかないのかな?」零士は思案顔で言った。彼の心の中で「習うより慣れろ」という言葉が響く。


「うん、そうね。私は今は猫だけど、以前は人間も経験していたから、感覚の違いには慣れているわ」とナルは軽く笑いながら、信じられないような事実をさらりと口にした。


「人間にも変身できるんか?」と零士は驚きを隠せずに尋ねた。「多分ね」とナルは曖昧に答え、思いつくままにジャンプした。彼女の体が光に包まれると、そこには驚くべき美少女が現れた。


 ただ一つだけ問題が……。


「え? ナル姉、すごくかわいいんだけど、全裸はヤバいよ!」と零士は慌てて目を逸らした。しかし、ついナルの桜色に染まる頬とその瑞々しい唇と双丘の桜色に目が行ってしまう。


「そう? かわいい?」ナルはそれを気にせず、自身の容姿が褒められたことに嬉しそうに反応した。


 突然のハグで、ナルが零士を強く抱きしめる。これは他の人には見せられない一幕で、零士は焦りを隠せずにいた。周囲に魔獣がいないとはいえ、こうして完全に無防備な状態でいるのはまずい。


「ナル姉、ヤバいって! 本当にヤバいよ!」零士は慌てて抗議した。


「ヤバいって、どうして?」ナルは無邪気に上目遣いで零士を見つめた。


 その時、絶妙なタイミングでリーナが現れた。まるで計算されたようなタイミングで、彼女は若干怒り気味で言った。「あら、随分と楽しそうね?」


 零士は心が動転し、「えっ」と口走ったが、後ろに振り向くと、リーナが仁王立ちしているのが見えた。このシチュエーションはまずい。まるで零士が美少女を抱きしめているかのような構図だった。


 顔を赤らめつつも、リーナに見られたことが非常にまずいと感じた零士は、ナル姉からの一言にさらに緊迫感が増した。


「零士のいけず……」ナルは少し困ったような口調で言い、その言葉が零士の焦燥を増した。


 零士は驚き、言葉を返すものの、彼の心はこの現状から逃れる方法を模索していた。「え? 何を……」と彼は混乱し、顔は熱を帯びていた。


 リーナの冷ややかな視線が零士を突き刺す。「レイジ?」彼女の言葉には感情が抜け落ちており、その声には失望が滲んでいた。


 ここで零士のピンチにウルが介入する時が来た。彼女の存在は零士の脳内にしかなく、彼女の声は冷静であった。「零士さま、ここは素直にナル姉の変化をリーナにお伝えするのが事態の解決につながります。ただし、リーナにだけ限定してくださいね」


「そっそうなのか? 大丈夫かな?」零士はこの状況をどう収拾すべきか、ウルの提案に悩むものの、ナルの特異な変化をリーナに共有することに決めた。


「恐らくは……」ウルは少し自信なさげに答えたが、その言葉にはリーナへの配慮が感じられた。


 零士はリーナにも聞こえるように、ナルに問いかけた。「ナル姉、変身したこと言ってもいいかな?」


「うん? いいよ。リーナにならね」とナルは意外にも軽く返事をした。その返事は、彼女がリーナをどれだけ信頼しているかを示していた。


 ピタリと零士に体をくっつけながら、ナルは上目遣いで彼を見つめる。その破壊力は計り知れなかった。リーナは不審そうに表情を変えながら零士に問う。

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