第51話 貴族から孤児へ

 夕暮れ時。薄暗い路地裏で俺はショーンを抱いて、虚ろな目をしながら地べたに座っている。髪はボサボサで服も薄汚れ、所々ほつれている。


 道ゆく人は哀れな目を俺に向けてくるが、話しかけては来ない。見て見ぬふりだ。世の中の非情さを痛感した瞬間だった。


 俺はこのままここで一人、誰にも気付かれず死んでいくのだろうか。そんな不安に駆られていると、一人の男が声をかけてきた。


「君、一人? お父さんかお母さんは?」


「……」


 俺は虚ろな目で男を見上げた。男は優しく微笑んで手を差し伸べてきた。


「うちにおいで。暖かいスープをご馳走するよ」


 男の手が一筋の希望の光のように思えた。


 俺は男の大きな手を取った——。


 何故俺がこんなことになっているかというと、時は昼前に遡る。


 俺は平民の古着を購入し、地べたを転がり回った。


『どう? 汚れた?』


『もう少々、衣服が破れた方が宜しいかもしれませんわ』


『分かった』


 俺は下に落ちていた木の枝を衣服に引っ掛けて引っ張った。


『良い感じですわ! さすがお兄様、変装もお上手ですわね』


『はは……』


 俺は平民の孤児に変装した。ベンの屋敷に潜入する為に。


 あれから更に三日張り込んだが、子供達に接触できなかった。時間も勿体無いので俺は堂々とベンに招き入れてもらうことにしたのだ。


 しかし、ノエル以外はその行為に反対している。


『一人じゃ危険すぎるよ。せめて僕も一緒に』


『エドワードの言う通りだ。俺も付いていくから、一人で無茶すんな』


『だって、みんな子供に見えないじゃん』


 キースは別としても、悔しい事に俺以外の三人は実年齢より上に見える。反対に俺は幼く見える。


 十六歳くらいまで孤児院で暮らす子もいるが、この国では十四歳から働ける。わざわざ十四歳を超えた、しかも男を新たな孤児として迎え入れる人は少ない。


『ごめん、僕が余計なこと言ったから』


『リアムのせいじゃないって』


『くそっ、オレが十歳若かったら……いっそオレが乗り込もうか。あの男を気絶させて……』


『キース、犯罪紛いな事はもうしないって約束でしょ』


『はい』


 このようなやり取りが、ざっと十回は行われた。


 ちなみにノエルに限っては、実の妹なのに全く心配をしてくれない。むしろノリノリだ。


『髪の毛も少し絡ませた方が宜しいかしら。お兄様、少々お待ちください』


 ノエルが櫛で器用に髪の毛をけばだたせ始めた。


 心配され過ぎも鬱陶しいが、心配されないのもそれはそれで悲しいものがある。


 ——という訳で、今俺と手を繋いでいる男はベンだ。


「一人で辛かったろう? もう大丈夫だからね」


「……」


 こんなに早くに見つけてもらえるとは思っていなかったので内心とても喜んでいるが、俺の顔は虚無だ。


「あー、でもその猫は……」

 

 ベンの優しそうな目がショーンを捉えた。


 俺はショーンをギュッと抱きしめ、その場に立ち止まった。


「ショーンも一緒じゃなきゃヤダ。行かない」


 ベンは俺の目線まで腰を下げ、困った顔をしながら言った。


「実は私の家にいるのは君だけじゃないんだ。分かって欲しい」


「ヤダヤダ。ショーンが一緒じゃなきゃヤダ」


 俺が頑なにショーンを離さないのには理由がある。正直一人で潜入するのが不安なのもある。しかし、ショーンは情報の伝達役だ。


 あれだけ厳重なら、俺も外との接触は絶たれるはず。猫のショーンなら少しの隙間さえあれば抜け出せる。情報伝達役にはもってこいだ。


 ベンは俺の根気に負けたのか、眉を下げて笑った。


「分かったよ。君がしっかり責任持って世話をするんだよ」


「良いの!? おじさんありがとう!」


「パパ」


「え?」


「おじさんじゃなくて、私の事はこれからパパって呼ぶんだよ」


 その優しい笑顔に何故か背筋が凍った。


「はい、パパ」


「良い子だ。ここが今日から君の家だよ」


 朝まで見張っていた屋敷の扉の前に立った。


 ギィィィ。


 不気味な音を立てて開いた扉の中に、一歩足を踏み入れた——。

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