第52話 孤児の住む屋敷
ベンの屋敷に潜入して三日、中はとても快適だった。三食しっかり食事は出てくるし、遊ぶものまで用意されている。二人部屋ではあるが一人ひとつ専用のベッドもあり、日々生活するには何も申し分ない。ただ一つを除いては。
鏡を見ながらショーンに話しかけた。
「ショーン、これどう思う?」
「似合ってるよ」
「何で俺だけ……」
鏡に写る自身の姿を見ながら、溜め息を吐いた。だって、鏡の中には少女がいるのだ。
白のワンピースに、腰まである黒髪の少女が。
——屋敷に来て早々に俺は入浴を勧められた。そして、入浴を終えて脱衣場に行くと、俺が着ていた衣服はそこには無かった。
『君は今日からコレを着なさい。あと、コレをつけて、自分のことは私と呼びなさい』
『……』
俺は絶句した。
ベンが準備していた物は女性物の衣服に長い黒髪のカツラだった。ただ、着る物はベンの用意した服しかない。諦めて言う通りにした。
初めこそベンの趣味が、女装をさせて着せ替え人形にすることかと思った。しかし、他の男子は誰も女装など強要されていない。
この屋敷の中には俺を合わせて孤児が十二人。女が七人、男が五人。五人中女装を強要されているのは俺だけだ。
ちなみに、子供達の中で俺は十二歳の女の子『リリー』ということになっている。
「これ、ある意味虐待だよ」
「あ、ミラが戻ってきたよ」
ショーンはさっと俺の足元に下りて丸まった。
俺の同室者は男ではなく、この村に来てぶつかった少女のミラ、八歳。
ミラが部屋を見渡して聞いてきた。
「誰かいたの?」
「ううん。お……私がショーンに話しかけてただけだよ」
「そっか」
ミラは自身の机の前に座って本とノートを広げた。そして、ノートに文字を書き写し始めた。ミラは部屋にいる時は大抵この作業をしている。
「ねぇ、ミラ」
「何?」
「ここの生活どう? 辛くない?」
「慣れたら外よりマシよ」
「そっか。パパはどんな人?」
「パパ? どうして?」
ミラが怪訝な顔を見せてきた。唐突すぎたかもしれない。
「いや……深い意味はないよ。一緒に住んでるから知りたいなって」
「優しい人よ。異常な程にね。優し過ぎるから試してみたの」
「試す?」
「買い物に行った時、わざとパパから逃げてみたの。それでも全然怒らなかったわ」
きっと俺とぶつかった時だろう。あれはベンを試していただけだったようだ。
「ちなみに暴力とかは?」
「ある訳ないでしょ。もしかして振るわれたの?」
「ううん。ただ聞いてみただけ。ミラ、夕飯食べに行こう」
◇
食堂にて。
孤児が数名食事の支度をしている。その中で俺は水の入ったコップを持ち、何もない所で躓いた。
バシャッ。
「ごめん。ドミニク、急いで着替えないと風邪引いちゃうね」
五歳の男の子、ドミニクの服は水でびしょ濡れになった。急いでシャツを脱がせ、タオルで体を拭いた。その小さな体にあざや傷は見当たらない。
そう、俺はわざと水をかけたのだ。ベンから虐待を受けていないことをこの目で確かめたかったから。
「ごめんね、お部屋で着替えよっか」
俺はドミニクと共に食堂を出て、ドミニクの部屋に入ろうとした、その時——。
「リリー、そこで何をしてるのかな?」
薄暗い廊下に、ベンがいつもの優しい笑顔を見せながら声をかけてきた。
「あ、パパ。お……私がドミニクの服濡らしちゃって、着替えを」
ベンが上半身裸のドミニクを一瞥し、優しく言った。
「ドミニク、一人で着替えられるよね?」
「うん」
ドミニクは部屋に入って行った。
扉が閉まるとベンの表情が一変、険しい顔で睨まれた。
「パパ……?」
中でも外でも優しくて怒らないで有名のベンに睨まれたのだ。普通に怖い。
怯えた様にベンを見上げれば、ベンは張り付けた笑みを見せて俺の目線まで腰を屈めた。
「リリーは女の子なんだよ。女の子が男の子の部屋に入っちゃダメだよね?」
「でも俺、おと……」
「リリー!」
男と言いかけると、威圧感のある声でベンに名前を呼ばれ、背筋がピンとなった。
「リリーは女の子……だよね?」
「はい……パパ」
ベンは俺の頭を撫でてきた。
「分かれば良いんだよ。食事してきなさい」
◇
俺は食堂を通り過ぎて自室に戻った。そして、今あった出来事をそのままショーンに伝えた。
「どう思う? 怖くない?」
「うーん……でも、他の子はあの男に怯えたりしてないんでしょ?」
「そうなんだよ……虐待の跡もなかったし」
身体的虐待、心理的虐待……他にも虐待の種類はあるけれど、どれにも当てはまらない。当てはまるとするならば、俺に対してだけだ。
女装の強要、高圧的な態度……。
「もしかして、俺の正体バレてるのかな? だから、敢えて怖い思いをさせてるとか」
「あー、あるかもね。それか、ボクがここにいるから嫌がらせかも」
「確かに。嫌がってたもんね」
何にせよ、嫌がらせの線が強い。虐待に関してはリアムの杞憂に過ぎなかったのかもしれない。ミラだけでなく、他の子供達もベンを慕って恐怖に怯えているようには見えない。
そして、雄叫びに関しても、この屋敷の中に獣の気配はない。
つまり、ベンは男を女装させるという変わった趣味を持ち、且つ、穴を掘るのが好きな優しい男。早急に抜け出そう。
「兄ちゃん達には伝えてるから、もうじき迎えが来るよ」
「この格好で会うのか」
「可愛いから良いんじゃない? 宿に戻った瞬間、四人に押し倒されたりしてね」
「はは……ないない」
何気ない会話をしていると、ショーンの尻尾がピンと立った。
「来た?」
俺が聞くと、ショーンが廊下を肉球で指しながら言った。
「うん。でも、こっちからも誰か来てるから、出るなら急いで」
「分かった」
カーテンをパッと開けると、キースが窓の近くにある木の上で待機していた。窓を開け、窓枠に足をかけるとキースはニヤリと笑った。
「お、噂には聞いてたけど可愛いな」
「もう、好きでやってるんじゃないんだから」
「悪い悪い、行くぞ」
俺はキースに向かってジャンプした。木は揺れたがキースは俺をしっかりと抱き止め、落下することはなかった。
そのまま下におりようとしたその時——。
「貴様、リリーをどうするつもりだ!」
ベンがすごい剣幕で窓から叫んだ。
先程ショーンが感知したのはベンだったようだ。そして、ベンは俺が自ら外に出たのではなく、連れ去られているように見えているらしい。
「リリー、今助けるからな!」
ベンは窓枠に足を引っ掛けた。
「お姫様はもらって行くぜ」
ベンが飛ぶよりも早く、キースは俺を抱き抱えたまま木から飛び降りた——。
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