第2話 ご機嫌よう

 翌朝、俺はノエルの部屋にやってきた。朝食前にノエルの『転生者ごっこ』が未だ継続中なのかを確認するために。終わっていればそれで良い。


「ノエル、おはよう」


「あら、お兄様。ご機嫌よう」


「ノエル、どうしたの?」


 ノエルは『ご機嫌よう』なんて言わない。いつも元気溌剌に『おはよー!』と返してくる。ノエルが変だ。そう思っていると、ノエルが上品に応えた。


「せっかくお嬢様に生まれ変わったんですもの。わたくし、これからはお嬢様口調でいきますわ」


「……」


 悪化している。ノエルのごっこ遊びがエスカレートしている。まぁ、昨日の今日だ。終わるとも思っていなかった。


「本日の午後カリーヌ様が遊びに来ますの。お兄様もご一緒にいかがですか?」


 カリーヌはノエルの友人のアルベール伯爵令嬢。ノエルと同じ五歳にしては上品でお淑やかな令嬢だ。


「俺も同席して良いの?」


「是非! お兄様、お友達はジェラルド様だけでしょう? 物語の主人公は人脈が大事ですからね。少しずつ増やしていきましょう」


「そうだね」


 主人公云々は置いておいて将来的に人脈は多い方が良い。身近なところから広めていくのは良い案だ。


「ノエル、朝食食べに行こう」


「うん、行く行……オホンッ、さぁ、お兄様参りましょう」


 転生者ごっこも中々面白いかもしれない。


◇◇◇◇


 そして、カリーヌが来る時間が間近に迫ってきた。俺は一人玄関前でそわそわしている。


「同席すると言ったのは良いものの、何を話せば良いのだろうか」


 俺は家族以外は幼馴染のジェラルド・ウェイトとしか話したことがない。父親同士が仲が良く、赤ん坊の頃からの付き合いだ。侯爵子息だが、俺やノエルに対しても威張るようなことはなく、気さくに何でも話し合える仲だ。


 相手が男子ならともかくカリーヌは女子だ。余計なことを言って怒らせたらどうしようか。


「お兄様?」


「ノエル。俺やっぱりやめようかな」


「どうしてですか? わたくしが嫌いになりましたか?」


「うッ……」


 うるうるとした瞳で見上げられれば、俺は断れない。


「嫌いなわけないだろ。頑張るよ」


「そう言って下さると思っていましたわ」


 ノエルがニコリと微笑めば、ちょうど外で馬車が止まる音がした。


「来たみたいだね」


「お出迎え致しましょう」


 俺とノエルはカリーヌを出迎えに外に出た——。


 馬車から下りてきたカリーヌは黄色のふわふわなドレスを着ており、それが水色のサラサラの髪によく合っていた。ノエルも可愛いが、また違った可愛らしさだ。


「ご機嫌よう、ノエル様」


「ご機嫌よう、カリーヌ様。本日は兄も同席致しますので」


「よろしくね」


「まぁ、それは楽しみですわ」


 淑女のような笑みを見せるカリーヌは可憐な花のようだ。見惚れているとノエルに耳打ちされた。


「お兄様、もしやカリーヌ様のことを?」


「え?」


「ここは転生者のわたくしにお任せ下さいませ。お二人の仲をしっかり取り持ってみせますわ!」


 ノエルは何やら勘違いしてしまったようだ。空回りしないと良いのだが。


◇◇◇◇


「ノエル様の言葉遣いが変わっていて驚きましたが、言葉遣い一つでこうも印象が変わるものなのですね」


「そうかしら? 自分では分かりませんが、お嬢様になった気分ですわ」


「ふふ。面白いのは変わらないのですね」


 ノエルが遠回しに馬鹿にされている。しかし、カリーヌも全く悪気はなさそうだ。ノエルが気にしていないので良いけれど。


 俺は二人の話を聞きつつ、薔薇の香りのする紅茶を嗜んでいる。会話は一切していない。女子同士の会話は止まることなく、どのタイミングで入れば良いのか分からない。


 そんな俺に気を遣ってか、ノエルが提案してきた。


「そうですわ! カリーヌ様、お庭を散歩致しませんこと?」


「宜しいのですか? 是非」


 この間に俺に帰れということか。ノエルも中々やるな。ではお言葉に甘えて。


「じゃあ、後は二人で……」


「わたくし、お部屋に忘れ物をしてしまいましたわ。お兄様、先にカリーヌ様をご案内して下さるかしら」


 俺の考えは違ったようだ。ノエルは足早に屋敷の中へ入って行った。


「オリヴァー様、庭園をお散歩するのに何か必要な物があるのでしょうか?」


「さぁ。とりあえず先行こっか」


 カリーヌを一人放置するわけにも行かないので、俺はカリーヌと庭園を歩いた。


 ——案の定、沈黙が続いてとても気まずい。その空気に耐えられなくて、俺は思い切って聞いてみた。


「カリーヌ嬢」


「はい。なんでしょう?」


「貴族が勇者ってどう思う?」


「突飛な質問ですね……」


 ほら、これが普通の貴族令嬢の反応だ。どうして貴族が勇者になるなどという発想に至るのだろうか。ノエルの頭の中はどうなっているのか甚だ疑問だ。


「ごめん、気にしないで」


「いえ、ですが夢は誰にだってありますわ」


「そうだね」


「あ、私の兄は騎士を目指しておりますの。良かったらご一緒に訓練に参加してみるのは如何でしょう?」


「うん。そうだね……は?」


 もしかして勘違いされている? まるで俺が勇者になりたいと思っているような言い方だった。


 突飛と言いながらも容認している姿は正に女神だが、問題はそこだけではない。俺は勇者どころか騎士も目指していない。そんな俺が本格的なハードな剣術訓練に耐えられるはずもない。


「ごめんね。本当に気にしないで」


「遠慮しなくても大丈夫ですわ。兄もさぞ喜ぶと思います」


「いや、本当に……」


「今の話、聞きましたわ! 是非お兄様を訓練に参加させてあげて下さいませ。勇者といっても何から始めれば良いのか思い悩んでいたところなのですわ!」


 カリーヌにそう言った後、ノエルは俺に耳打ちしてきた。


「これでカリーヌ様に会いにいく口実もできましたわね。恋も勇者も諦めないとは、お兄様流石ですわ」


「はは……そうだね」


 転生者ごっこが面白いなんて一瞬でも感じた俺が馬鹿だった。正直どっちもいらない。恋には発展していないので良いが、剣術に関しては転生者ごっこが終わればリタイアしよう。

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