第25話 黒田という男

 滝本さんに導かれ、僕はリースリル製薬の本社の中へと足を踏み入れる。この会社を訪れるのは、二度目に木田さんと話をしたとき以来になるだろうか?

 世界をまたにかける製薬企業、リースリル製薬。ここはその本社だけあり、建物は外装から内装まで超一流の美しさだ。すれ違う社員の一人一人もまたみな品性の高さを感じさせ、ここが並の会社ではないことを痛感させられる。


「着きました、ここです」


 そんなオフィスの中を歩いていき、ついに僕たちは目的の場所に到着した。滝本さんは僕に対してそう告げると、そのまま扉にノックを行い、中からの返事を確認した後、部屋の中へと足を踏み入れていった。

 そして僕もまた、そんな滝本さんの後に続いて中に入った。


――――


 中に入ると、椅子に腰かける中年男性が一人と、その隣に立つ側近のような人物が一人いた。その様子から見るに、椅子に腰かけているのが黒田さん、その横に立つ側近が金田さんだろう。


「ほうほう、君が高野くんか。話はいろいろと聞いているよ。お仕事中で忙しかっただろうによく来てくれた」

「初めまして、黒田さん。僕もあなたのお話は、いろいろと聞いていますよ」

「ふっふっふ、そうかそうか」


滝本さんより一回り年上に見える黒田さんは、僕の言葉を笑いながら流し、言葉を返した。


「やはり私は誤解されてしまっているようだね…。いや実は、今日こうして滝本に君を案内させたのはね、私に対するその誤解を解いてもらいたかったからなのだよ」

「…誤解、ですか?」


 黒田さんは椅子から腰を上げ、その場に立ち上がる。そして目線を僕と同じ高さにして、言葉をつづけた。


「話は聞いたよ。君は耳の聞こえない恋人のために、自分の身を削って治療薬の開発を続けてきたのだろう?実に素晴らしい事じゃないか」


 黒田さんはそう言いながら自身の手を合わせ、簡単な拍手を送ってくれる。


「そして君はついに、新薬の有効成分となりうる物質の生成に成功した。そしてその全権利とすべてのデータを弊社に提供してくれた。いやいや、なかなかできることではないね」


 そこまで言って、黒田さんはやや口調を変えた。


「しかし、提供してもらったその薬の開発がなかなか進んでいない。君はそこに怒っているのだろう?しかしね高野くん、製薬とはそんな簡単なものではないのだよ。君のくれたデータは確かに見事なものだったが、だからといって万事うまくいくわけではないのだ。君だって研究者ならわかるだろう?」

「(…なかなか進んでいないことに僕が怒っている…?)」


 …その言葉を聞いた時、僕は滝本さんと視線を合わせた。その目はまさしく、僕が感じた違和感と同じものを、彼もまた感じている様子だった。


「…お言葉ですが黒田さん、僕が憤りを感じているのはその点に関してではありません」

「ちょ、ちょっと高野さん…!」


 黒田さんに楯突こうとする様子の僕を、滝本さんが横から制しようとする。しかし当の黒田さんは”どうぞ続けて”というジェスチャーを行ったため、僕は滝本さんにかまわず言葉をつづけることにする。


「私は御社には、なにか大きな秘密があるものだと考えています。それも、表に出てしまったなら会社の存続にさえかかわるような、とてつもないなんらかの秘密が…」

「……」


 滝本さんも、黒田さんも、金田さんも、誰も言葉を発しない。

 そちらが何も言わないというのなら、こちらから言ってやろうと思った。


「あえて申し上げましょう。その秘密は、以前御社が開発した薬、”フィーレント”に関することではありませんか?」

「「っ!?」」


 フィーレント。その名前を聞いた途端、どこか3人の雰囲気が変わった気がした。


「お答えください黒田さん。当時製剤開発部にいて、今なおリースリルの中枢にいるあなたなら、当然知っているでしょう?あの薬は一体」

「高野くん、といったね」


 黒田さんは大きな声で僕の言葉を遮ると、ゆっくりと僕の隣に近づいてくる。そして僕の肩に自身の手を置きながら、静かな口調でこう言った。


「…君は、耳の聞こえない恋人を耳が聞こえる恋人にしたいのだろう?それは言ってみれば、普通じゃない人間を普通にしたいということだね?」

「…」

「それなら、簡単な方法を教えようじゃないか。いいかい、そんな普通じゃない恋人は捨ててしまえばいいのだよ。そして君が納得する、新しい恋人を作ればいいじゃないか。いつまでも不健康で存在価値のない女に付き合い続けるのは、果たして君にとってメリットある事だろうか?」

「…」

「高野くん、君は優秀な男だ。君が望むというのなら、今の君の給料の倍を払ってでも弊社に招き入れたいくらいだよ。しかしね、そんな君の優秀さも、今の恋人との関係を続けていたならいずれ失われてしまう可能性が高い。失われてしまったのなら、君にも存在価値はなくなる。…本当にそれは、幸せなことなのかねぇ?」

「…」


 そこまで言った黒田さんは、言葉の矛先を別の人物に変えた。


「滝本、お前もそう思うだろう?もしもおまえの娘がきちんと耳の聞こえる女だったなら、どれほどよかっただろうと」

「そ、それは…」

「しかし残念なことに、お前の娘が耳が聞こえない出来損ないに生まれてしまった。そんな出来損ないを育てなければならないとは、お前もさぞ苦労したことだろう」

「…」

「いいかい高野くん、レベルの低い人間に合わせる必要などない。そんな人間にかまっていては、自分のレベルを落としてしまうことになりかねないからね。…君だって心の中では、本当はそう思っているのだろう?」

「………言いたいことは、それだけしょうか?」


 言い返したいことはたくさんある。なんなら手がでそうなくらいだ。

 そしてそれは僕だけではない。滝本さんの方を見て見ると、彼もまた体を震わせ、心の中に壮大な怒りを抱えているように感じられた。


 しかしだからこそ、僕は冷静に自分の心を整理する。これが向こうの挑発であるなら、乗ってしまう方が向こうの思うつぼだからだ。

 向こうは僕の神経を逆なでするためか、気色の悪い笑みを浮かべながらこう言葉を放った。


「私の側に着くというのなら、これが最後のチャンスだよ、高野くん。…改めて、私のもとに来るつもりはないか?今というタイミングを逃せば、もう二度と私のもとに来ることはかなわなくなるぞ?そうなれば君は後から必ず後悔することになるぞ?」


 当然、僕はその言葉にイエスなど返しはしない。そしてそんなことはすでに向こうもわかっている様子だった。

 黒田さんは僕からの返事がないのを見て、ややその表情を変えて言葉をつづけた。


「…まぁ、私のもとに来ないというのなら、その時は全力で君の事をつぶさせてもらう。君に勝ち目など一切ないのは申し訳ないが、それでもいいね?」


 彼には余裕しかないらしい。僕に負けることなどありえないと言わんばかりだ。しかしだからこそ、僕の答えは決まっている。


「ええ、望むところですよ。それでは」


 僕はそう言うと、振り返ることなく滝本さんを伴って部屋を後にしようとした。…しかしその時…。


「あ、あなたという人はどこまで…!!どこまで汚いんだ…!!!」


 …それまで冷静に成り行きを見守っていた滝本さんが突然、黒田さんに対して感情をあらわにした。

 放っておけば殴りかからん勢いの滝本さんを、僕はなんとか抑え込む。


「お、落ち着いてください滝本さん!!」


 しかし、滝本さんは感情的になるままに言葉をつづけた。


「で、出来損ないだって!?私の最愛の娘には、存在価値がないだって!?ふ、ふざけるな!!私が今までどんな思いで」

「た、滝本さん!!だめです!!い、いったん出ましょう!!」


 僕は暴れる滝本さんの体を引きずるように、部屋の中から外へと運びだす。そして、黒田さんの隣に控えていた金田さんによって部屋の扉は閉められ、中の様子はわからなくなる。が、僕たちの様子を楽しげに見つめる黒田さんの表情が最後に目に入ったのは覚えている。


「ううう……ううぅぅぅ……」


 力なくその場に崩れ落ち、涙を流し始める滝本さん。その姿は本当に痛々しく、普段の彼の様子を知る者ならばなおさら苦しく感じられた。


 けれど、僕はそんな彼の姿を見て、そしてこの場に案内してくれた滝本さんのおかげで、僕の覚悟は固まった。


 あの男に、しかるべき罰を必ずうけさせると。

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