第26話 製剤開発部の過去
「気持ちは落ち着きましたか、滝本さん」
「も、申し訳ありません…。つい感情的になってしまって…」
僕は滝本さんを連れ、オフィス内にあった休憩スペースに腰を下ろしていた。自販機で缶コーヒーを2本買い、一本を滝本さんに渡し、しばらくの間二人で椅子に腰かけていた。
「…僕にもよくわかりましたよ。黒田紀之という男が、どういう男なのか」
「……」
僕と黒田さんが話したのは、時間にしたらかなり短いものだろう。しかしその内容は、彼の人間性を理解するには十分すぎるものだった。
僕は滝本さんが冷静さを取り戻した様子であることを確認すると、カバンに入れていたもう一つの資料を取り出し、彼に向けて差し出した。
「滝本さん、あなたにこれを見ていただきたいのです」
「………」
滝本さんは一瞬だけ僕の顔を見た後、差し出された資料を手に取った。そしてそのままその内容に視線を移していく…。
――――
僕が彼に差し出したのは、僕たちがかき集めた情報と、そこから導き出された推理の全てだ。かつてリースリル製薬が開発した頭痛薬フィーレント錠、それを服用した人間に対する影響、さらにそこから生まれた人間に対する影響、そしてそれらの事実をリースリルは一切表にしていないという事。
「………」
資料を読み終えた様子の滝本さんは、特に驚いたような表情は浮かべていなかった。それは例えるなら、”やっぱりそうか”という言葉が似合うような表情だった。
「…やはり、ご存じだったのですね。この薬が、僕の恋人やあなたの娘さんに、一体何をもたらしたのかを…」
「………」
そう、きっと滝本さんはうすうす気づいていたのだろう。自分の娘が生まれつき耳が聞こえない理由、それはきっと自分たちが開発した薬に原因があったのだろうということに…。
そしてその時、滝本さんがその思い口をついに開いた。
「…あの薬を開発した時、製剤開発部は色めき立った。頭痛の原因など様々で、飲み薬を用いて一発で頭痛を根治させられる薬など、存在しえないと考えられていたから…。だから開発に成功した時は、みな心の底から喜んでいた…。でも、その作用機序が病気の原因を取り除くものではなく、一度体の中に入ったら二度と出てこないという点にあるということに気づいた時、僕は薬の開発を止めるべきだと直訴した…。しかし黒田さんは、そんなこと絶対にバレやしないと言って、薬の開発を続行させた…」
「…あなたは、そんな黒田さんのやり方に嫌気がさして、会社を辞めてしまった、と?」
「……さぁ、どうだろう…。そんな薬の開発にかかわってしまった、自分に嫌気がさしたのかも…」
うつむきがちにそう言葉を発する滝本さん。僕はそんな彼に対し、一つの疑問をぶつけた。
「…滝本さん、黒田さんの強引なやり方のせいで、ご自身の娘さんまでひどい目にあっているというのに、どうしてそれらの秘密を公にされなかったのですか?」
僕の疑問に対し、滝本さんはどこか悟ったような口調で答えた。
「…リースリルは、世界をまたにかける大製薬企業です。娘の治療薬を生み出せる製薬会社があるとすれば、ここ以外にはないだろうと思っていました。…だから僕には、ただただ我慢するほかなかった…。それがまさか、こんな形で裏切られるだなんてね…(笑)」
「滝本さん!!」
自嘲気味に笑みを浮かべる滝本さんに、僕は詰め寄って言葉をかける。
「かつての僕もまた、あなたと同じ思いを抱いていました。しかし、そんな僕たちの思いに対する返事はあの治験計画書でした。もはやこの会社を信じる方が無理な話です!もう、すべてを明らかにするときです。あなたならご存じなのでしょう??黒田さんが過去にやってきた悪事を証明する証拠が、どこに隠されているのかを!」
「そ、それは……」
「滝本さん!!」
「っ!?」
僕からかけられた言葉を聞いて、滝本さんはどこか自分自身と葛藤しているような様子だった。そしてその葛藤はきっと、僕のような若輩者には到底想像もできないようなものなのだと思う。
…この会社のために何年もかけて仕事をしたというのに、会社が彼にもたらしたのは最愛の娘から音を奪うという非道な仕打ちだった。そしてそれさえも受け入れ、会社の事を信じていたというのに、その果てにあったものは娘の耳の治療薬となりうる薬の存在を軽んじ、本気で開発などする気もなかったという答え。
誰もが目を背け、戦う気力など失ってしまいそうになる現実。そんな中にいる彼に、果たして誰が慰めの言葉など駆けられるだろうか。
…けれど、それでも、僕は彼に声をかける。
「滝本さん」
あの男を、絶対に許せないからだ。
「僕と」
そして、さやかの事を守りたいからだ。
「一緒に、戦っていただけませんか?」
僕の思いが、どれほど滝本さんに伝わったのかはわからない。しかし滝本さんは、僕の言葉に対して返事をもたらしてくれた。
「…ひとつ、約束をしてください。すべてに決着がついたなら、あなたが私の娘に”音”をプレゼントしてくれることを…」
僕の答えは、決まっていた。
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