第24話 滝本の導き
――翌日――
「業務監査部ってこんなところにあったのか…」
この会社に勤めてからしばらくたつけれど、業監を訪れる用事なんてこれまでに一度もなかったために、部の置かれている場所さえ今まで知らなかった。
慣れない場所に若干の居心地の悪さを感じながら、僕は部の
「失礼します」
「……」
待っていたのはほかでもない、この業務監査部と統括する立場にある滝本さんだ。彼と僕がこうして面と向かい合うのは、例の監査の日以来。
この場に現れた僕に対し、滝本さんは特に言葉を発することなく、用意されていた椅子に腰かけるよう手で僕に促した。僕はその案内に従い、滝本さんから示された場所に腰を下ろした。そして滝本さん自身もまた椅子に腰を下ろし、机を挟んで僕と向かい合う形となったところで、初めてその口を開いた。
「高野さん、でしたね。監査の時はご協力いただき、ありがとうございました」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
「…それで、今日は何の用でしょう?」
…あの日の事をいまだ根に持っているのか、滝本さんはややとげとげしい口調でそう言葉を放った。
「あなたにお聞きしたいことがあるのです。ほかでもない、かつてあなたが働いておられた会社とそこにいた人について」
「……」
滝本さんは何も言葉を返しては来なかった。けれど、僕はかまわず言葉をつづけりる。
「滝本さん、あなたは以前、リースリル製薬の製剤開発部で統括補佐をされていましたよね?」
「…ええ、そうですがそれがなにか?」
「世界的な製薬会社であるリースリル、さらにそこの製剤開発部と言えば、選ばれに選ばれたごくごくわずかな人間しか入ることを許されない、まさに栄誉ある部署だと言えるでしょう。そこで働かれていたなんて、本当にすごいことだと思います」
「……」
製剤開発部という名前が出たとたん、滝本さんはややその表情を曇らせた。
「しかし、あなたはそこを退職なさってこの会社に移られた。…この会社に勤める僕が言うのもなんですが、この転職は誰がどう見たって
「そんなのは、あなたには関係のないことです。私が決めたことなのですから」
そう、滝本さんの言う通り、そんなことは僕にはなんの関係もない事。…けれど、関係のない事でも突き詰めなければならない理由が、今の僕にはある。
「リースリル製薬で、なにかあったのではないですか?あるいはリースリルが抱えるなんらかの秘密に、あなたは気づいたのではないですか?だからあなたは」
「いい加減にしてください!!」
それまで冷静な様子だった滝本さんが、突如として大きな声を上げた。
「もうリースリルでのことは忘れたんです!お話しするようなことは何もありません!…用がそれだけというのなら、もうお引き取りください。あなただって研究者なら、こんなことをしている時間などないはずでしょう!?」
…滝本さんの様子はわかりやすかった。それはもう、誰がどう見てもリースリル時代に何かあったとしか思えないリアクションだった。
僕はこのタイミングが一番いいと思い、カバンにしまっていた一枚の資料を滝本さんに向け差し出した。
「滝本さん、こちらをご覧になっていただけますか?」
「……」
僕が差し出した資料を、滝本さんはゆっくりと手に取った。そしてその内容に目を移していくと、その表情をさらに一段とこわばらせた。
「こ、これは…!?」
「リースリル製薬により作成された、新薬の治験計画書です」
そう、僕が滝本さんに見せたのは、僕がリースリル製薬に不信感を抱くきっかけとなった書類、R926の治験計画書だ。
今はうちの会社に勤める滝本さんとて、かつてリースリル製薬で新薬の開発にかかわっていた人間。その計画書の内容の不審さに、気づかないはずはない。
「……いまだに、こんな……」
「……」
こんなものはうそに違いない、とは滝本さんは言わなかった。彼はその計画書をどこか呆れるような目で見つめ、小さくため息をついた。
そんな滝本さんに対し、僕は言葉をつづける。
「…実は、僕の恋人は生まれた時から耳が聞こえないのです。僕はそんな彼女の耳を治してあげたいと願い、治療薬の開発に全力で取り掛かってきました。…そしてある日の事、その新薬の候補となりうる物質の生成に成功したのです。私はそのデータをすべてまとめ上げ、リースリル製薬に薬の全権利とともにデータを譲渡しました」
「ぜ、全権利を!?」
「その時の僕は、希望に満ちていました。これで彼女に、音の世界をプレゼントしてあげることができると。…しかし、そんな僕の願いに対するリースリルの答えは、悲しいものでした」
「……」
「そして計画された新薬の治験が、その有様です…」
「……そうだったのですか……」
「…滝本さん、その計画書が僕の作った偽物だろうと疑われないのは、リースリルならやりかねないという疑いの心があなたの中にあるからではありませんか?」
「……」
滝本さんは何も言葉を返さなかったけれど、その雰囲気は明らかに僕の言葉が図星であることを物語っていた。
「教えてください滝本さん!あの会社には、いったいどんな秘密があるというのですか!!あなたは何を知っているのですか!!」
「………」
「滝本さん!!!!!」
…なにかと葛藤しているような様子の滝本さんに、僕は思わず大きな声を上げてしまう。それでもなお言葉を発しようとしない滝本さんに向け、もう一度催促をしようとした、その時だった。
ブー!ブー!ブー!
時間を確認するために机の上に置かれていた滝本さんのスマホが、着信の通知をバイブで知らせた。…その画面に映っていた発信者の名前は…。
「(く、黒田紀之!?)」
間違いない、黒田さんからの着信だった。刹那、滝本さんは一瞬のうちにスマホを手に取りあげると、そのまま回線をつないで通話を開始した。
「も、もしもし、私ですが……」
当然、向こうの声は僕には聞こえない。聞こえるのは滝本さんの声だけだ。
「…あ、あの、黒田さん、ひとつだけお聞かせ願いないでしょうか…。あなたが私の娘に使ってくださると言った、難聴を治す薬…。それはかつて私に監査を命じた、高野さんの開発したものなのですか…?」
…娘?難聴?それを治す薬??
「と、とぼけないでください!たった今本人から…!!ええ、ええ、はい……」
た、滝本さんは黒田さんといったい何の話を…???
「わ、わかりました…。で、ではまた…」
通話を終えた様子の滝本さん。そんな彼に、僕は聞きたいことが山ほどある。
けれど、先に質問を投げかけたのは僕でなく、滝本さんの方だった。
「た、高野さん、今日この後時間をいただけますか?ある人のもとに、一緒に来ていただきたいのです…」
「それは………黒田さんのところですか?」
「…ええ。あなたがここにいることをお話したら、ぜひ一緒に来てほしいと…」
「……」
予想だにしていなかったこの展開。しかし僕にとってこれは、むしろ好都合だった。
「わかりました。行きましょう」
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