第19話 来栖という男

「来栖博士……一体どんな方なのでしょうね?」

「さぁねぇ…。気難しい人でなければいいけれど…」


 部長から話をされた数日後、僕と遠山は早速来栖博士の家に向かって出発していた。移動は県をまたぐため、新幹線で最寄りの駅まで移動した後、タクシーを使って自宅まで尋ねに行くこととした。

 見慣れぬ場所をタクシーに乗って走行することにどこか新鮮味を感じながら、僕は遠山に言葉を返す。


「…すべての権利を譲渡、か…。僕は単に目的の薬が開発されればなんでもいいからそうしたけれど、博士は何の目的でそうしたんだろうか…」

「先輩にもわからないんなら、僕にわかるはずないっすよ」

「君ならどうする?自分が苦労の末に発見した合成反応、そのあらゆる権利を誰かに譲り渡すかい?」

「いやいやそんなまさか。特許をとるかなにかして、せめて自分の名前くらいは残したいところですね!」

「だよなぁ…。研究者ならせめて、自分の名前を残したいと考えるはず…。しかしそれもいらないとは、一体何を考えているのか…」


 そうこう話をしていたら、僕らを乗せたタクシーは目的地の前で停車した。気づけばすでに博士の家の近くまで来ていたらしい。

 僕はクレジットカードで料金を決済し、タクシーを降車した後、来栖博士の自宅をゆっくりと眺め、見回した。


「普通の一軒家、ってかんじだね」

「ですね~」


 一回の一流研究者を思わせるような外観的特徴は何もなく、ただただ”普通”という言葉が似あう家がそこにはあった。

 僕は改めて連絡にあった住所をこの家と照らし合わせ、間違いがないことを確認する。


「よし、行こうか」

「はーい」


 意を決し、壁に備え付けられているインターホンを鳴らそうとしたその時、それまで僕らからは死角になっていた位置から一人の男性が姿を現した。


「…あ、あんたたちかい。私の話を聞きたいっていうのは」


 それまで庭作業を行っていたらしいその男性。間違いなく、僕が以前写真で見た来栖博士その人だ。


「は、はい!来栖先生のお話をぜひにとお」

「まぁ、上がりなさい」


 来栖先生は僕の言葉を遮ると、あまり僕たちと目を合わせることなく家の中へと足を進めていく。…どこかそっけない様子の来栖先生の姿を見て、僕と遠山は一瞬だけ視線を合わせた後、そのまま来栖先生の後についていった。


――――


 案内された部屋の中には、これまでの来栖先生の輝かしい研究成果が飾られていた。優れた研究成果を収めた研究者に贈られる賞や、科学の面から継続的に社会に対して貢献し続けてきた賞、勤続を祝う賞まで飾られている。

 これを見るだけでも、来栖先生の科学者としてのレベルの高さ、さらには人間としてのレベルの高さがうかがえるだろう。

 来栖先生は僕たちをイスに座らせたのち、自身は窓から外の様子を見つめながら言葉を発した。


「…悪いが、手短に済ませてもらえるかな。正直今はあまり、誰かと話をしたい気分ではないのでね」


 …そう言葉を発したときの来栖先生の表情は、どこか悲しそうな、寂しそうな表情であった。それはまるで、信じていた相手に裏切られて未来をあきらめてしまったかのような人間の表情に感じられた…。


「…どうします、先輩?」


 あまり時間をかけられないと言われてしまった以上、こちらとしては長々と話をし続けるわけにもいかない。遠山は先生に聞こえない程度の声の大きさで、僕に対してそう質問してきた。

 僕はなんと返そうか迷ったものの、ここはあえて単刀直入に話を聞きに行くこととした。


「来栖先生、かつてあなたが発見されたアルケスト反応、その全権利を当社にお譲りされるのだという話を聞きましたが、それは間違いのないことですか?」

「せ、先輩っ!?そんないきなり…!?」


 遠山は僕の質問に驚きを隠せない様子。しかし当の来栖先生はそうではなかった。


「あぁ、そうだ」


 彼は静かに、一切動揺などすることなくそう言った。ならば、こちらも一切建前など張る必要はない。


「その理由をお聞きしても?」

「……」


 僕からの質問に、来栖先生は腕を組み、外を見つめながら、少しの間をおいて答えた。


「…もう、どうでもいいんだよ…。研究も、反応も、もうどうでも…」


 …来栖先生はまるで何かを達観したような、何かをあきらめたかのような表情を浮かべる。研究者としてこれほどの結果を出されている先生がこんな心理状態になるほどの出来事が、何かあったということだろうか?


「…先輩、もしかして…?」


 遠山は小さな声で僕にそう言った。どうやら彼も、僕と同じことを想っている様子。

 実は僕の心の中に、彼をそうさせる原因ではないかと考えられる心当たりが一つだけあった。今は建前など必要ない状況、僕はそれをそのまま濁さず先生にぶつけてみることとした。


「…それは、先生がアルケスト反応を始めて論文に掲載したとき、執拗な嫌がらせを受けたことと関係していますか?」

「っ!?」


 …先生の反応は分かりやすかった。僕と遠山はこれが図星なのだと、心の中に確信する。


 かつて先生がアルケスト反応を論文に掲載したとき、論文を取り下げろという旨の警告文や嫌がらせ文が大量に先生のもとに送り付けられるという事件が起こった。テレビやメディアなので大々的に報じられたわけではなかったから、世間的にはあまり有名な話ではないけれど、少なくとも僕たち研究者の間では有名な事件だった。


「教えてください先生、いったい何があったのですか??」


 僕の言葉を聞いた先生は、しばらくその場に静かにたたずんだままだった。けれど、ゆっくりとその場から動きだし、僕たちに向き合う形でイスに腰かけると、その胸中を吐露し始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る