第15話 業務監査部
「(この3000万……一体なんの報酬なのか……)」
僕は仕事中でありながら、はやとから渡された例の口座記録を食い入るように見つめていた。もう何度も何度も目を通しているため、そこに新しい情報など何もありはしないというのに、それでも気づけばこうしてファイルデータを開き、パソコン画面とにらめっこをしていた。
「(…なにかの口止め料…だとしても、3000万なんて額が渡されるなんて、相当大きな秘密ってことになるよな…。いったい何を隠しているんだ…)」
僕はもともとはR926の開発状況を知りたいだけだったはずなのに、気づけばリールリル製薬全体を巻き込みかねない領域に足を踏み入れてしまっている。怪しさしか感じられないこの記録を目にして、僕は今一度はやとからかけられたある質問を脳裏によみがえらせていた。
――――
「これよりもさらにやばいことが明らかになったなら、間違いなくリースリル製薬は一気に信用を失ってしまうことになるだろう。そうなればきっと、お前の生み出した新薬の開発研究も立ち行かなくなる」
「だろうね」
「…その時お前はどうするんだ?会社に味方をして薬を守るのか、それとも薬の未来を捨ててでも真実を追求するのか…?」
――――
さやかに音の世界をプレゼントする、これまで僕の行動原理はただそれだけだった。そのためにこれまで色々なことをしてきたし、決して褒められたことじゃないことだってやってきた。それはまさに、僕の人生すべてをかけているといっても差支えのないレベルだ。
しかし、今僕が直面しているこの現実は、僕の願いを崩壊させうるものだ。ここになにかよからぬ秘密があったとして、仮にそれを解き明かすことができたとして、それで本当にあの薬の開発はきちんと進められるのか…。さやかのもとに届くことが叶うのか…。
僕がこれらの秘密に目をつむり、木田さんを脅しにかかれば、新薬の開発を強引に推し進めることはできるかもしれない。しかし本当にそれでいいのだろうか…?
「(…僕は…いったいどうすれば…)」
…一向に答えがわからず、椅子に寄りかかって天井を見つめる。その時だった。想像だにしていなかった客人がこの部署を訪れてきたのは。
ガチャッ
「失礼」
「…?」
僕の働くこの部署は研究開発部。ゆえに顔を合わせる人間は基本的に同じ人間ばかりで、見知らぬ人間がここを訪れることは滅多にない。
しかし、今日はその限りではなかった。
「私、業務監査部の滝本と申します。監査業務にご協力いただきたのですが、よろしいかな」
業務監査部、という単語が聞こえた途端、僕はパソコンに刺さっていたUSBメモリを瞬時に抜き取り、ポケットの中に隠しいれた。…もしもこのデータを見られてしまったら、いろいろと面倒なことになってしまう。
USBメモリは我ながらスムーズに隠すことができ、特に相手方の反応もなくバレずに済んだようで、僕は一旦ほっと胸をなでおろす…。
さて、業務監査部とは、この会社のそれぞれの部署がきちんとまっとうに仕事を行っているか、業務の効率や売り上げ、それぞれの結果は適正に報告されているかなどをチェックする、いわゆる社内警察のような部署だ。みんなからは名前を略して”業監”と呼ばれている。僕たちの前に現れた滝本さんは、見たところ30歳代後半から40歳代のように見える。黒縁メガネとまっすぐな姿勢からは頭の良さが感じられ、まさに監査人にぴったりな見た目だ。
…しかし、僕が知る限りこの部署に監査が入ったことなどこれまで一度もない。それは他の社員たちも同じようで、彼らは滝本さんに聞こえないくらい小さな声でぼそっと言葉を漏らした。
「業監の人間がいったい何の用だよ…。めんどくせぇなぁ…」
「さぁなぁ。暇すぎてやることがないんじゃないのか?」
「言えてる。やらかした人間が飛ばされる部署の中でも、一番最初に聞く候補だからな」
彼らの言った通り、正直なところ業監はあまり良いイメージを持たれる部署ではない。身内の仕事ぶりを疑ってチェックをするという業務もさることながら、仕事ができない人間や立場を追われた人間がまず飛ばされる場所として名高いためだ。一部の社員からは”掃きだめ”なんて言われている。
そして周囲の様子を見つつ、ゆっくりと僕の隣まで来た遠山が小さな声で僕に言葉を発した。
「…先輩、業監がいきなり乗り込んでくるなんてなんなんですかね?誰かやらかしちゃったんですかね?」
「さぁね、僕にもわからない」
「…先輩、怪しいなぁ~…」
「遠山、きょろきょろしてたら向こうに目を付けられるぞ?」
…が、今の僕には業監の人間がどうしてここを訪れたのかの理由がわかる。向こうは間違いなく、僕の持つこの口座記録の情報をどこからかつかんだのだろう…。ここで彼にこのUSBメモリを発見されてしまっては、それこそこれまでの努力のすべてが無に帰するというもの…。どんな手を使おうとも、僕は必ずこの場を乗り切らなければならない…。
「あぁ、大丈夫ですよみなさん、私がチェックさせていただくパソコンは一台だけですので、すぐに終わります」
滝本さんはそう言うと、まっすぐ僕の方へと向かって足を進めてくる…。やはり僕の思ったことは当たっている様子だ。
「高野さんですね。恐れ入りますが、あなたの業務用パソコンをチェックさせていただけますか?」
「もちろん、構いませんよ」
僕は努めて冷静に言葉を返したが、内心では心臓が破裂してしまいそうなほど緊張していた…。
「では、失礼」
「…?」
僕のパソコンに手を伸ばした滝本さんは、自身のふところから一枚のSDカードを取り出した。それをそのまま僕のパソコンに差し込むと、SDカードの中に入れられていたらしいあるソフトを起動した。
画面上に次から次へと情報が表示されていくものの、プログラミングなどはさっぱりわからない僕にはそれが何を意味する言葉なのか理解できなかった。…が、滝本さんは表示されたその言葉を見て、得意げな表情を浮かべていた…。
「…高野さん、あなたはご存じないかもしれませんが、パソコンというのは何をするにも”ログ”というものが残るのですよ。いわば、足跡のようなものでしょうかな」
「…それが、なにか??」
「ログによれば、ついさっきまでこのパソコンにはUSBメモリが刺さっていたことになっているのですが、私の目には見当たりません。どこにあるのでしょうね?」
「さ、さぁ…。僕に言われましても…」
…背筋がさーーっと冷たくなっていくのを感じる。まずい、完全に見抜かれている…。
「私としてもあまり時間をかけたくはありませんので、お早めに提出してはいただけませんか?ほら、ほかの方も困っておられますよ?」
「……」
…このまま素直に提出などしたら、それこそ僕だけでなくはやとにまで迷惑がかかりうる…。しかしこのまましらを切ることも難しい…。すでに証拠が残っているのだから…。
「あなたが何か隠し持っていることはもう明らかなのですから。さぁ」
僕に対し手を向け、とっとと差し出せというジェスチャーを送ってくる滝本さん。…僕はこの状況をなんとか言い逃れする方法はないかと、必死に頭をフル回転させていた。が、どうしたっていいアイディアが思い浮かばない…。
その時、一人の男が僕と滝本さんの間に割って入った。
「あぁ、USBメモリでしたらこれですよ??」
そう言いながら別のUSBメモリを滝本さんに差し出したのは、ほかでもない遠山だった。…僕がUSBメモリを隠し持っているに違いないと確信していた様子の滝本さんは、予想だにしていなかった遠山の出現を前にやや驚きを隠せない様子で言葉を発した。
「…ど、どうしてあなたが彼のパソコンにUSBを?」
「いえ、ついさっきまで先輩に実験の報告書を見てもらってたんですよ。でもあなたが急に来たものだから、反射的に引っこ抜いて隠してしまったんです」
「……」
「ここには別になにも面白い事なんて書かれていないですけれど、ご覧になりたいというのならお見せしますよ?」
遠山の繰り出す矛盾なき言葉に対し、滝本さんはやや歯がゆそうな表情を浮かべる。そしてそのまま僕の方へと視線を戻すと、面白くなさそうな表情を浮かべながら吐き捨てるように言葉を発した。
「チッ…。いや、それは結構。私はこれで失礼する」
――――
滝本さんが去っていった部屋の中に、途端に安堵感がもたらされる。僕はいちはやく遠山に向き合うと、こう言葉を発した。
「と、遠山、なんであんなことを??業監から僕をかばったりして、君に何の得が…?」
僕の言葉を聞いた遠山は、やれやれといった表情で言葉を返してきた。
「損とか得とかじゃないですよ。先輩のその秘密のUSBメモリ、どうせ彼女さんの病気に関することなんでしょ??今まで好き勝手やってきたから業監に目を付けられちゃったってところですかね?」
あ、当たらずとも遠からず…。いやむしろ、当たりに近いか…。
「先輩が彼女さんの事を思って、あんなに真摯に実験に向き合っていたことを知っていますからね…。そりゃ見捨てられませんって」
「と、遠山…」
…ほんとうに、なんと言葉を返せばいいのかわからない…。はやとといい遠山と言い、僕は周りに助けられてばかりだと痛感させられる…。
そしてそれと同時に、もしかしたら遠山とはやとは馬が合う人種なんじゃないかという考えが僕の頭に浮かび上がってきた。僕はそれを確かめたくなり、遠山にこう言葉を返した。
「…なぁ遠山、今回のお礼に君に良い店と良い男を紹介させてくれ。きっと君も気に入ってくれると思う」
「???」
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