第14話 動物園デート
もう何度目かもわからない、僕とさやかの動物園でのデート。さやかは動物が大好きだから、僕たちはよくデートの場所にここを選んでいた。
もちろん僕だって、嫌々来ているわけじゃない。最初はまたここか~と思ったとしても、さやかのうれしそうな表情を見ればたちまち、来てよかったと心から思えるのだから。
「ゴリラゴリラ!!ゴリラ見に行こう!!」
「そんな急がなくても、ゴリラは逃げたりしないから大丈夫だよ(笑)」
動物園に到着するや否や、さやかは心の中のときめきに導かれるままに明るくはしゃぎ、その足を速めていく。僕はといえば、そんな彼女に置いて行かれないようついていくことに必死だ。
「お昼はいつものお店で食べましょう!今日は和食にしよっかな~!」
「食べ過ぎちゃだめだよー(笑)」
動物園デートはやはり定番らしく、僕たち以外にも、周囲にはカップルと思わしき男女が多くいた。みんな楽しそうな口調で会話を弾ませているけれど、僕たちは当然そういうわけにはいかない。
僕とさやかのあいだに音はなく、手話を通じて意思の疎通を行っている。別に僕たちはそれが当たり前のことだから何とも思ってはいないけれど、周囲の人々から見れば僕たち二人の姿はやはりどこか違和感を感じずにはいられない様子だった。
「…あの二人、なにしてるんだろ?」
「さぁ…。あんまり目を合わせたらよくないかもよ…」
「口を開けたら禁止ゲームでもやってるとか?」
「なにがおもしろいんだよそれ(笑)」
少し耳を傾けてみれば、周りからいろいろな声が聞こえてくる。これもまた今に始まったことではなく、僕とさやかが外に出れば必ず一度はこういった種類の言葉が聞こえてくる。だからこそもう慣れっこと言えば慣れっこなのだけれど、この手の言葉が聞こえてくるたびに僕は心の中にこんなことを思っていた。
「(…こういう余計な声、いっそなにも聞こえないほうがさやかのためなんじゃないだろうか…)」
僕はいつの日か、さやかに音の世界をプレゼントしようと思い、ここまで頑張ってきた。けれど、もしそれが叶ったとしても、聞こえてくる声がこんなものばかりだったなら、果たしてさやかは喜んでくれるのだろうか…?と、僕はいつも心の中にほんの少し不安を感じていた。
…しかし、そんな不安感はいつもいつもすぐに消え去っていく。ほかでもない、さやか本人のおかげで。
「なにぼーーっとしてるの!!おいてくよ!!」
「ご、ごめんごめんって!」
頬をふくらませる彼女の手を取り、僕は歩き始める。そうだ、ここで悩むことなんてなにもない。これまで聞こえなかったものが聞こえるようになることは、悲しいことばかりなんかじゃない。見えなかったものが見えるようになる、感じられなかったことが感じられるようになる。それは間違いなく彼女を幸せに導くことで、僕はそれを信念にしてこれからも生きていくのだから。
――さやかSide――
ふくれっ面をする私を見て、つかさが私の手を取ってくれる。肌で感じる彼のぬくもりに心地よさを抱きながらも、私の心はどこかほんの少し寂しさを感じていた。
私は”生まれた時から”音が聞こえなかったらしい。両親からも、それ以外の周囲の人からもそう言われているから、きっとそれは正しいのだと思う。私自身、昔は音が聞こえていた記憶などもない。
けれど、頭の奥深くにあるうっすらとした記憶の中に、昔なにかの音が聞こえていたかのような感覚が残っている。でもそれが何の音なのかも分からないし、そんなものはただの私の気のせいの可能性だってある…。
でも、今私がほんの少し感じるこの寂しさは、私が昔に”音”を聞いたことがあるからなのではないかと思わずにはいられなかった。
こうして彼と近くにいても、手をつないでいても、胸に顔をうずめていたとしても、私は心の中に孤独を感じていた。私はどれだけ彼の近くにいても、彼の声を聞くことも、息遣いを耳で感じることも、心臓の鼓動を聞くこともできない。まるでなにもない無の空間に放り出されたかのようなその感覚に、押しつぶされてしまいそうになる日が何度も何度もあった。そのたびにこうしてつかさのぬくもりを感じては、自分の心の寂しさをごまかしていた…。
無理な夢だというのは百も承知だけれど、それでも思わずにはいられない。もしも、もしも私がつかさと同じ音のある世界を生きることができたなら、つかさとの毎日がどんなに楽しく、素晴らしいものになるのだろうか、と…。今まで気づきもしなかったことに気づけるかもしれない、彼と同じものを感じ取って、同じ思いを抱くことができるかもしれない。それはきっと、今以上にぬくもりにあふれた世界で、私たちが心の底から笑いあえる世界。
昔、一度だけ彼に聞かれたことがある。もしも耳が聞こえたなら、最初に何を聞いて聞いてみたいか、と。…今思い返せばなかなか恥ずかしいのだけれど、その時私は「あなたの声が聞きたい」とか言った気がする…。それを聞いたつかさはどこか恥ずかしそうな表情を浮かべていて、私はなんだか愉快になったのを今でも覚えている。当の彼はもうすっかり忘れちゃってるだろうけどね(笑)。
でも、それは私の本心から出た言葉で、その時から今に至るまでその思いは全く変わっていない。…彼の声を聞いて、それに私が自分の声で言葉を返す。そんな夢のようなことができたなら、どれほど素晴らしいだろうか。
私はつかさと手をつないで歩きながら、ちらっと彼の方へと視線を移す。楽しそうににこっとした表情を浮かべるその姿を見て、彼もまたこの動物園デートを満喫してくれているのだと感じ、私はうれしかった。
「はやくいこいこ!!」
「わ、わかったって!(笑)」
私は音のない世界の寂しさを埋めるようにつかさの手を強くひき、彼に体をくっつけ、そのまま駆けだすのだった。
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