第10話 はやとの言葉
「それじゃ先輩、おつかれでーーす」
「あぁ、おつかれさま」
部下の遠山ははきはきと挨拶をすると、職場からやや急ぎ足で帰宅していった。遠山は相変わらず周りから人気の性格をしており、先輩からもかわいがられるため仕事のノウハウをいろいろと教わっており、着実に仕事の実力をつけていた。
壁にかかる時計の針は18時を示しており、窓から見える外の景色はややうす暗くなっている。僕はその景色を見つめながら、どこか物思いにふけっていた。
「(…なんか集中できてないよなぁ…。今までだったらこれくらいの仕事、午前中には終わらせてたのに…)」
自分でもわかるほど、僕は仕事に対する集中力が低下していた。入社してもう3年近く働いているけれど、こんな状態になるのはこれまでで初めての事だった。
いったい何が原因でこうなっているのかを考えてみるけれど、その要因はどう考えても一つしか思い浮かばない。
「(…木田さん、いったいなにを隠しているのか…)」
あの対応を見せられて、何もないと思う方が無理な話だろう。例の治験計画書をにおわせるような発言を聞いた途端、それまでとは別人のように騒ぎ始め、口調を荒げていた。
「(…知り合いの医師のつてを使ってもう一度調べてみたいけれど、もう同じ手は通用しないだろうしな……)」
おそらく木田さんは、僕に治験計画書を見られたに違いないと確信したことだろう。であるなら、一体どこからその情報が流れたのかを徹底的に調べるはず。誰がやったか特定されるまではないだろうけど、少なくとも情報の統制はこれまで以上に厳しいものになっているはず。
そんな状況にある中、一体どうやって次の情報を手に入れればいいのか?…いやそもそも、そんなことが可能なのだろうか?もしかしたらもう僕はこの先何も知ることなく、真相はうやむやになって終わってしまうのではないだろうか?
色々な不安が脳裏をよぎり、ますます仕事が手につかなくなる。僕は一旦頭を整理しようかと思い、席を立って休憩しようかと考えた。その時。
ブーーッ。ブーーッ。
「??」
ポケットにしまっていたスマホが振動をはじめ、僕に対して何らかの通知を行う。僕はスマホをポケットから取り出し、画面を確認してみた。
「(…はやとから着信??)」
なかなかに珍しいその画面に僕はやや驚いた。こちらからはやとの方に連絡することは多々あったものの、向こうの方からかけてくることはそれほどなかったためだ。
僕はさっそく通話ボタンを押し、はやととの通話回線を開いた。
「もしもし、はやと?」
「うぃーす」
スマホから聞こえてきたのは、普段と何ら変わらないテンションのはやとの声だ。僕はそれを聞いて、どこか心の中に安心感を感じる。
「なんだよ急に。なにかあったのか?」
「いいだろ別に。なんか気になっただけだ。それでお前、いまなにしてる?」
「仕事に決まってるだろ」
「仕事??お前いつもこの時間にはもう終わらせてるじゃないか。その年でもう頭が鈍ってきたのか?」
「言いすぎだろそれ」
しかし、はやとの言っていることは完全に当たっている。これまでの僕だったなら、イレギュラーでもなければ間違いなくこの時間には仕事を終えている。
「こ、こういう時だってあるさ…。別にはやとが心配することじゃない…」
…何かに言い訳をするように、どこか言い方が弱くなってしまう僕。それに対してはやとはさらに言葉を返す。
「なんだよ、少し前まではうっきうきでしょっちゅう飲みに誘ってきてたくせに、最近はさっぱりじゃないか。どうせまたなにかあったんだろ?」
「……」
はやとは完全に僕の事を見抜いていた。最近はあまり顔を合わせていなかったからバレてないと思ってたけど、それはそれで僕の事を心配させてしまう結果になっていたらしい…。
「あ、あぁ…。実は…」
僕はそのまま、ありのままをはやとに話してみることにした。治験計画書を手に入れて以来の事、リールリル製薬を再び訪れて話を聞きに行ったときのこと、そして担当の木田さんが考えられないほど不自然な対応をしてきたこと…。
僕の話を聞き終えたはやとは、最初にこう言葉を発した。
「……担当の名前、木田って言ったか??本名は木田達哉か?」
…予想だにしていなかったはやとの言葉。僕はかつて渡された木田さんの名刺を懐から引っ張り出してくると、その本名を照合してみる。
そこには確かに、『リールリル製薬 製剤広報部 木田達哉』と書かれていた。
「あ、あぁ……そうだけど、木田さんの事をなにか知ってるの??」
「…」
僕の言葉を聞いたはやとは、しばらくの間沈黙した。まるで何かを考えているかのようだけれど、電話であるために彼の詳しい様子は分からない…。
そして10秒ほどが経過した後で、彼は僕にこう言った。
「…つかさ、これからいつもの場所に集合だ。とっとと仕事切り上げて来い」
「は、はぁ…??」
「じゃあな」
その言葉を最後に、スマホから聞こえる音は無音となった。反射的に画面を見てみると、すでに通話画面は終了していてホーム画面に戻されていた。
「…………いつもの場所、ねぇ………」
はやとが何をするつもりなのかは全く分からない。けれど、向こうの方から僕を誘ってくるなんてかなり珍しいことだ。
僕はそのまま適当に仕事を切り上げると、急ぎ足でいつもの場所に向かうこととしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます