第9話 再会

 それから数日の時が経過し、僕の心はかなり落ち着きを取り戻すことができた。はやとに言われたとおり頭を冷やすことができ、さらにはさやかのおかげで心の中に沸き上がっていた怒りの感情もその勢いを沈めていた。

 …が、それでもあの計画書に関する疑念が消えたわけじゃない。どうするべきかいろいろと考えた僕だったけれど、ここはあえて正面から突撃してみようと思ったのだった。


「(そうだ、普通に考えれば簡単なことだった。新薬のデータを持ち込んだ先に乗り込んで、あれからどうなったかを聞いてみるんだ。詳細な事はまだ言えないだろうけれど、それでも少しくらいならなにか教えてもらえるかもしれない。今はそれが一番の正攻法だろう)」


 かつて僕が情報を持ち込んだのは、リールリル製薬の製剤広報部だ。あれ以来あの場所は一度も訪れてはおらず、それゆえに新しい話なども一切していない。 

 ならば、乗り込んでみようじゃないか。


――――


「担当の者が伺いますので、こちらでお待ちください」


 なつかしささえ感じる部屋だけれど、空気感や雰囲気は前に来た時と全く変わっていない。今日案内してくれた人は前とは違う人で、そこには新鮮さを感じることができた。


「(…ここに薬のデータを持ち込んだのも、もう一年以上前か…。時間が経つのは早いような、遅いような…)」


 まるで親戚のおじいさんのような言葉を思い浮かべてしまい、やや自責の念に駆られる僕…。まだまだ若いつもりなのなけれど、歳ばかりはごまかせないということだろうか…?

 とその時、バタンと部屋の扉が開けられ、そこから一人の男がやや急ぎ足で現れた。


「はいはいはい、お待たせして申し訳ございませんねぇ~」


 …上司に媚びを売るのがうまそうな腰の低さと、妙に癇に障るその口調。目の前に現れたのはほかでもない、かつて僕を応対した木田さんその人だ。…彼に限って言えば、1年前に会った時と全くその容姿は変化していなかった。


「ええっと、なんの話でしたっけねぇ~…」

「電話ですでにお話をさせていただいたのですけれど…」

「もう一度言ってもらえます?記憶に残ってないってことは、そんなに大事な話じゃなかったですよねぇ?」


 …妙に嫌味っぽい言い方だけれど、いちいち反応しても仕方がない。僕はそのまま素直に説明することとした。


「僕がかつて提供した新薬データ。それに基づく開発は今どうなっているのかと思いまして…」


 開発が進んでいるというのならうれしいし、一方で僕の力不足によって開発の計画がとん挫したというのならそれでもかまわない。だってそれは僕の研究が不完全だったことが招いたことであり、決して彼らに非などないのだから。

 …しかし、木田さんが見せた反応は僕の中にあった疑いをより一層強めた。僕の言葉を聞いた途端、彼は一瞬だけ不気味な笑みを浮かべたからだ…。


「あぁそれね。なにも心配はいりませんよ~。新薬としての開発はすでに別の部署に引き継いでいますが、何一つ問題などなく進んでいると報告を受けていますからね~」


 適当な口調でそう言いながら机の下でスマホをいじるその姿は、まるで授業中に先生の目を盗んでスマホを触る学生のようだ。


「そうですか、それならこの上なくうれしい限りです」

「えぇえぇ。…で、話はそれだけですか?私も忙しいのでこのあ」

「ただですね、僕も化学者なのです。この業界で仕事をしていますと、新薬に関するいろいろなうわさが耳に入ってくるんですよ」

「はぁ?噂?」


 明らかに不機嫌な表情を浮かべる木田さん。僕はあえて、遠回しにあの計画書を思わせる言葉を伝えてみることにした。


「リースリル製薬さんは、患者の事を無視した治験を始めようとしているだの、薬の研究データを改ざんしているだの、果ては治験の計画書に金の話を書き込んでいるなんて噂もありましてね。もちろんただの噂ですが、もしも本当だったらどうしようかと僕はすごく心配しているのですよ」

「っ!?」


 …僕の言葉を聞いた途端、彼は机の下でスマホを触る手を止めた。そして、彼はそのまま僕に対してにらみつけるような強い視線を送りつけてくると、その口調を荒げながら反論してきた。


「そ、そんなわけがないだろう!!でたらめなことを言うな!!」

「いえいえただの噂ですから、別にそこまで感情的になら」

「そもそも、あんたはあの薬の全権利をすべてうちに渡したじゃないか!!今更あんたにどうこう言われる筋合いなんてないし、報告の義務だってないんだよ!!」


 彼は僕の言葉を途中で遮ると、激しい口調で言葉を返してくる。彼はそれまで座っていた席からバっと立ちあがると、僕に対して最後にこう言った。


「もう用はすんだだろう!!とっとと帰ってくれ!!これ以上話すことはなにもない!!」


 …対応してもらうはずの木田さんにそう言われてしまっては、それ以上長居するわけにもいかない。もちろん彼の言葉に思うところなど多々あるが、僕ははやとに言われたことを思い出し、一旦おとなしくこの場から引き上げることにしたのだった。


――――


 …高野つかさが引き上げていった応接室には、やや額に汗を流す木田の姿のみが残される。彼は自身のスマホを手に取ると、ある人物と通話を始めた。


「も、もしもし、私ですが………い、いえそれが、ど、どうやら情報が漏れているようでして…………は、はい、しらを切っておきましたので問題はないかと思うのですが、念のためご報告をと…………は、はい、分かりました………」

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