第8話 耳のぬくもり
はやとから言われた通り、僕は資料を一旦しまってその場を後にし、自分の家まで帰ってきた。出かける時は活き活きとしていたはずなのに、帰ってきたときは背中から重しを背負っているかのように全身が重く感じられた。
普段なら帰ったらすぐに服を着替えるのだけれど、今日は服を着替えることもせず、脱力したかのようにそのままソファーに倒れこんだ。…仕事でくたくたに疲れた時だって、こんな思いをすることはなかったのに…。
「(…あの計画書、いったいどういうことなんだろうか…)」
計画の進展を心から期待していただけに、ずさんすぎるその内容を見て僕はただただがっかりさせられ、失望していた。…さやかの耳を治せる日は今日か明日かと毎日を楽しみに生きていたのに、今まで抱いてきたその思いがすべて裏切られたような感覚だ…。
…考えたくはないけれど、考えずにはいられない。リースリル製薬は、本当にあの薬と真摯に向き合ってくれているのだろうか、と…。
「(耳フーーーーーーー)」
「ひっ!?!?!?!?」
その瞬間、僕は全身に電撃が走るような感覚を覚えた。重たく感じていた体が一瞬のうちに飛び跳ねると、反射的に自分の後ろの方向に視線を移す。
「さ、さやかぁ~……」
「♪♪♪」
そこには、いたずら心満載な表情を浮かべるさやかの姿があった。突然彼女から吐息攻撃を受けた僕は自分でもわかるほど顔が赤くなっており、心臓の鼓動も一段と早くなっていた…。
…彼女はおそらくこれをやるために、僕が帰ってくるまでどこかに隠れていたんじゃないだろうか?それを証明するかのように、彼女の姿はどこか達成感で満たされている様子だった。
「おかえりなさい、はやと」
「ただいま、さやか」
いつもと変わらないにこっとした表情で、さやかは改めて僕の帰りを受け入れてくれる。いまだ恥ずかしさを隠せない僕は、少しおどおどとしながら彼女に言葉を返した。
「で、でもさやかが僕を驚かせるなんて珍しいね!なにかきっかけでもあったの?」
特になんのけなしに繰り出したその質問。いたずらに特別な理由なんてないものだというのは誰にだって分かること。けれどさやかは、僕が想像していなかった答えを手話で言葉にした。
「思いついたのは、帰ってきたあなたの姿を見た時。……出ていったときは嬉しそうにしてたのに、帰ってきたときはどこか暗そうで寂しそうだったから、ちょっと気になったの」
「そ、そっか……」
…帰ってきた一瞬だけで、彼女は僕の心を見抜いていたらしい。
「つかさ疲れてるの?よかったら今日、久々にあれやってあげようか!」
「…あれ??」
さやかはそう言うと、軽くスキップを踏みながらソファーに座りこみ、ニコニコとした表情を浮かべながら自身の膝の上をぺちぺちと叩いた。
…間違いない。ここに顔を置けと言っている…。
「う…」
「?♪」
…正直、このまま誘われるままに彼女の膝の上に顔を置きに行きたい…。けれど、彼女の誘いにそのまま乗っかってしまうことに、僕は心の中にほんの少しだけこっぱずかしさを抱いていた…。
その二つの感情からくる葛藤に板挟みにされ、その場に立ち尽くす僕。さやかはそんな僕の姿を見て、その頬をぷくーと膨らませてはやくはやく!と急かした。
「…そ、それじゃあお言葉に甘えて…」
僕は結局彼女の誘いに逆らうことはできず、本能が導くままにソファーの上に横になると、彼女の膝の上に自分の顔を置いた。
…その刹那、やわらかく温かい心地よさが全身に広まっていく感覚を感じた。彼女と接しているのは膝と頭だけなのに、まるで体のすべてが包み込まれているかのような感覚だ。
そしてそれと同時に、彼女の白くきれいな手が僕の頭をなでてくれる。…小さな子どもをあやすようなその手つきを前に、僕はやや恥ずかしさを感じたものの、その彼女の気持ちによって、ついさっきまで沈み込んでいた僕の心は次第に浄化されていった。
ふと横目に彼女の表情を見てみると、横になる僕を見つめる彼女と目が合った。彼女はそのまま首を少しかしげ、頭上に?マークを浮かべている。「どう?」と言っているのだろう。
…僕の心の中に少し、これまでやられっぱなしの彼女になにか仕返ししたい気持ちが沸き上がった。僕は自身の左手を彼女の後頭部に持っていくと、そのまま彼女の顔を僕の元へと近づけていき、その距離をゼロにした。
「っ!?!?」
…その時の彼女のリアクションは、決して忘れられないほど可愛らしいものだった♪
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