第2話 ぼくとシャチョー
高校生まで、ぼくはいわゆる”普通の家の子”だった。
生命保険の営業マンをしていた父、とんかつ屋でパートをしていた母と3人暮らしをしていた。
父親は厳しかったが、子供想いの人であったと思う。
箸の持ち方から、贈答品のラッピングの扱い方、靴の揃え方、などなど、躾はほとんど父がしてくれたと言っても過言ではない。細かいが、上品が服を着て歩いているようだ言われたこともあった。
言葉数は少ないものの、大事なことはきちんと伝えていてくれた。特に、言葉をオブラートに包むということを知らなかったぼくに
「お前は言葉がきつい時があるから、気をつけなさい」
よくそう言っていた。
母は、父とは正反対でよく言えばおおらか、悪く言えば大雑把で、出したものをしまわないことをよく父から注意されていた。それに、口から生まれてきたのではないかと思うほどよく喋る人だった。家の中でも常に誰かに向けて喋っていて、返事があろうがなかろうが気にしていない様だった。
そんな母だったが、仕事の覚えは良かったようで、パートリーダを任されていた。基本的に面倒くさがりな母は、よくぼくに
「給料は一緒なのにリーダーなんかやらされちゃって」
と愚痴っていた。
そんな両親の一人息子がぼく、五島凪(いつしまなぎ)だ。
小学校の頃は多少成績は良かったが、中学、高校と勉強も運動もほぼ平均値の、真面目だけが取り柄の、取り立てていうほどの特徴もないこともない子供だった。
ただ、人とのコミュニケーションがあまり得意ではなく、友達は少なかった。
中学の時に同じクラスの女子からひどいいじめを受けて以来、年上の女性は大丈夫だが、同世代の女性が苦手になってしまった。女性不信と言ってもいい。
プラモデルやブロックなど、細かく忍耐のいるものは好きだったように思う。
ぼくは一人っ子だったこともあり、よく父親に人気ロボットアニメのプラモデルを買ってもらっていた。
最初は喜んで作るが、途中で難しくなってやめて、また気が向いたら作るといった感じで、結局最後まできちんと作れたのは2体ほどだった気がする。
そのプラモデルも、両親が亡くなった時に完成している2体を残して、あとは処分した。
高校2年の夏、祖母と祖父の墓参りに車で行った帰りに、信号無視で突っ込んできたトラックに横からぶつかられたのだ。
車の前側が押しつぶされるような形での事故だったため、後部座席のぼくは奇跡的にかすり傷で済んだが、前に座っていた両親は即死だった。
父も一人っ子で祖父母も亡くなっており、母も施設育ちということもあり、頼れる親戚もおらず、ぼくは高校2年生にして天涯孤独になった。
路頭に迷うかと思ったが、そこで父の友人であったシャチョーに拾われた。
その頃のシャチョーはそこまで大きくはないものの、10人ほどの従業員を抱えた広告制作会社を経営していた。奥さんと2人の子供もいて、そこに動画編集見習いという形で迎えられた。
当時は仕事が忙しく、ぼくもバイトという身でありながら会社で寝泊まりし、昼間は高校、夜は動画編集の手伝いという生活を送っていた。
普通なら酷い扱いに憤慨するかもしれないが、両親も亡くなり行くところのなかったぼくには都合が良かった。
社員の人から動画編集を一から叩き込まれ、高校を卒業する頃には、ひとまず自分で最初から最後まで編集できるようになっていた。
もう、がむしゃらだった。忙しすぎてその頃の記憶はほとんどない。
なので、シャチョーの奥さんや子供がどんな人たちだったかはほとんど覚えてない。
シャチョーもほとんど家に帰っていない状態だったため、奥さんはシャチョーに愛想を尽かして子供と共に出て行ってしまった。
悪いことは重なるもので、経理として雇っていた女性社員が、営業として働いていた男性社員と会社のほとんどのお金を横領をした挙句、逃げてしまった。それを知った他の従業員も次々と辞めていき、最後に残ったのはぼくだけだった。
一応警察にも相談したのたが、シャチョーが信じたいだの言ってモタモタしているうちに横領した2人は海外に逃げてしまい、結局そのまま泣き寝入りとなってしまった。
その後会社を縮小し、シャチョーが元々家族と住んでいた一軒家を事務所兼住居とした。
それから6年ほどの間に、シャチョーは9人もの人を拾ってきている。そして、今回の青年で10人目だ。
シャチョーに拾われたことで感謝して巣立って行った人もいたが、恩を仇で返すような形で消えるやつもいた。先ほどのやつもその1人だ。
その度にシャチョーは「しょうがないよね」と言いつつ、特に怒る様子もなかった。
そういえば、シャチョーに拾われて以来、ぼくはシャチョーが怒っているところを一度も見たことがない気がする。
怒りという感情がないのか、いつも困ったような笑顔を浮かべるだけだ。
ぼくはそんなシャチョーを少し気の毒だと思う。だからこそほっとけなくて、シャチョーの元を去ることができずにいる。
それに、他に行くところがないということもある。
そんなことを考えつつ、ぼくは夕食の準備の続きに取り掛かる。
今日の献立は、豚の生姜焼き、ツナ入りにんじんしりしり、きのこのバターしょうゆソテー、豆腐とわかめの味噌汁だ。
ぼくは少し考えて、冷凍室から小分けにしてある豚の小間切れ肉を取り出し、オーブンレンジで解凍する。今出してある豚肉では3人分には足りなさそうだからだ。
味噌汁の準備をしつつ、フライパンでニンジンを炒める。
そうこうしているうちに豚肉が解凍できたので、豚肉が漬け込んである生姜焼き用のタレの中に追加して混ぜる。
水煮のツナ缶を開け、ニンジンが炒まっているフライパンの中に汁ごと入れる。
少し炒めたら一度火から下ろして、生姜焼きを作るため別のフライパンを火にかける。味噌汁用の出汁が沸騰してきたので、絹豆腐をスプーンで掬い入れ、乾燥わかめを入れる。フライパンが温まったら、オリーブオイルを少し入れ、タレに漬け込んだ豚肉を投入する。ジューッという音とともに、しょうゆとショウガの匂いが立ち上る。
こうしてテンポよく料理をしていると、だんだん楽しくなる。
料理は良い。余計なことを考えなくて済む。
それに、食べてもらった時に「美味しい」と言われると、なんだか人の役に立っているようで心が楽になる。
もうすぐ料理が出来上がるという時に、2人が風呂から出てきた。
「ナギくんのスウェット借りるねぇ」
とシャチョーの声がする
「どーぞー」
おそらくあの青年に着せるのだろう。ぼくは適当に返事をした。
料理をテーブルに並べていると、しばらく鳴っていたドライヤーの音が止まり、2人が風呂場から出てくる。
湿気で真っ白になったメガネをかけ、タオルで汗を拭きながら歩いてくるシャチョーと、ぼくのスウェットに身を包んだ青年。
その青年を見たときに持っていた皿を落とすかと思ったくらい驚いた。
…青年が、あまりにも綺麗だったからだ。
一瞬、女性かと思うほどだった。全体的に細いものの、風呂で温まって蒸気した顔は、最初の貧相な印象とは程遠かった。
背は160センチのシャチョーより少し大きいので、170センチくらいだろうか。
顔は女性っぽいが、スウェットから出ている手は骨張っていて、やはり男性なんだと思わされる。
ぼくは動揺を悟られないように少しぶっきらぼうに
「夕飯できたんで、座ってください」
と伝えると、シャチョーも
「ささ、座って座って」
とニコニコしながら椅子を引いて青年に席を勧めた。
「…ありがとう…ございます…」
消えそうな小さな声だった。
シャチョーもぼくもそれぞれ席につき、何とも微妙な空気の夕食の時間が始まった。
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