第26話 その後の二人<皇太子と公爵>
「…というような噂が流れているみたいだぞ?」
「噂ではありませんね。事実です」
ニキアスの言葉に、ルーカスは若干眉間に皺を寄せたもののしれっと答えた。
ニキアスは最近騎士団の中で流れている噂、ルーカスが他の騎士に子どもとの遊び方を聞いたり、王都の店でおすすめのおもちゃが何かを聞いたりしている、という噂の真偽が気になっていたらしい。
「なんだ、本当に店まで出向いたのか?」
「もちろんです」
どうやらニキアスは噂を本気にしていなかったらしくルーカスの言葉に驚いた顔をする。
「子煩悩になったんだなぁ」
「しみじみ言わないでください」
ニキアスの心の底からの感想にルーカスは渋い顔を崩さない。
ちょうど近衛騎士団の勤務体制についての報告で王城に出仕したところでルーカスはニキアスに捕まった。
いつものように皇太子の執務室に通されたものの、決して暇ではないニキアスが世間話のためにルーカスを呼び止めたとも思えず、ルーカスはその真意をつかみかねていた。
「それで、本題はなんでしょう?」
いたずらに時間をかけても仕方ないため水を向けると、いつもなら明朗快活に答えるニキアスがつかの間躊躇する。
「それはだな、あー…ディミトラが懐妊した」
「…おめでとうございます」
それはルーカスにとって驚きの知らせだった。
ニキアスとディミトラは結婚してすでに5年目だ。
常々世継ぎにあたる子どもの出生を望まれていたがなかなかその兆しがなく、このところはニキアスに側室を迎えるべきじゃないかとまで言われていた。
そのディミトラの懐妊である。
長らく待ち望まれた子が産まれるということで、大変喜ばしいことだった。
「おめでたい話だと思いますが、何か憂うことでも?」
慶事の話をしているわりにはニキアスの顔が曇っている。
「…また大事な人を奪われるのではないかと恐れている…」
ニキアスは周囲にも認められている優秀な皇太子だ。
それでも、複雑な利害関係が絡めばその命が脅かされることもある。
(ああ、そうか)
ニコラオスがニキアスを庇って亡くなった時、同じ場にディミトラもいた。
あの時はニコラオスを失ってしまったが、今後ディミトラが懐妊していることがわかれば、ニキアスが国王の跡を継ぐのを阻止したい者たちにとってディミトラとお腹の子は邪魔でしかない。
あの事件は、ニキアスの心に未だ影を落としているのだろう。
「殿下をお守りするために私たちがいます」
「お前たちの実力を疑っているわけではない。…これはただの弱音だ」
ニキアスの弱音などルーカスは今まで聞いたことがなかった。
しかし大事な者が脅かされる可能性があるならば、心穏やかにはいられないのも理解できる。
「ディミトラ皇太子妃殿下の警護を増やしましょうか?」
「いや、まだ当面懐妊の件は伏せておくつもりだ。発表までは大っぴらに警護を増やすと逆に目立ってしまうだろう」
「しかし、人の口に戸は立てられません。どこかから漏れるかもしれないことを考えると心配では?」
しばしの沈黙後、ニキアスは答えを出した。
悩ましいところではあるが、今しばらく警護はそのままということで話がまとまる。
「ルーカス公を呼び止めたのにはもう一つ理由がある」
本当は本題はこちらのことだったのだろう。
「何でしょう?」
「ディミトラにとっても初めての子ということでいろいろ心配が尽きぬ。しかし懐妊についてはしばらく伏せておくため相談する相手も気晴らしに話す相手もいない」
そこでニキアスは一度言葉を切った。
「アリシア夫人にディミトラの話し相手を頼みたい」
「アリシアにですか?」
「そうだ。ディミトラ自身アリシア夫人のことを気に入っている。何より夫人も一年前に出産した身。ディミトラの気持ちも理解してもらえるだろう」
ニキアスは皇太子でありルーカスはその臣下。
命令とあれば断ることはできないが、ニキアスは命じなかった。
無論ルーカスに断る気はなかったが。
「承知いたしました」
こうして、アリシアはディミトラの話し相手として王城に出仕することになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます