第26話 イヴ

 何度、斬られただろうか。

 何度刺され、何度殺されかけただろうか。


 私にはもう、その数を知ることさえできない。


 嗚呼でも、彼女はなんでそんなに苦しそうに闘うのだろうか。


 私が不甲斐ないからなのか、戦う価値もない弱者だからか……


 私は未だ、彼女に手を煩わせるままだ。


「なあイヴ殿、私は……弱いだろうか」


 誰もいない自分の部屋で、今は恩師と呼べる彼女に、切に言った。


 此処に来てから、幾度となく戦って、戦術を、戦略を、命を賭けた殺し合いというものを教わった。


 強くなった、はずなのだ。


 でも……


 彼女の背中は、未だ見ることすら叶わない。


 彼女がどれほど強いのか、私にはその片鱗さへ掴むことができない。


 あの黒曜のような硬い信念は、どのようにしたらあの幼い身体で身につくのだろうか。


 どのような人生を送ったら、あのように傷だらけになるのだろうか。

 

 私は、彼女について何も知らない。


 何も知り得ない。


 それが少しばかり寂しくて、悲しく感じた。


 彼女は私をどのように思っているのだろう。


 仲間だろうか、戦友だろうか、それとも教え子だろうか……


 そう思ってくれるのなら、この上なく嬉しい。


 そんなことを思いながら、装備を脱いでお風呂に入り歯を磨く。


 イヴ殿にやっておいたほうが清潔だと言われた為、いまではこうしている。


 生前では、風呂自体希少でそういうことを気にかける暇すらなかった為、ここに来てからは学ぶことが多いなと感じた。


 書斎に戻って、今日の訓練を細かく記録する。


 ああでもない、こうでもないと。


 熟考しながら、自分の課題点を見つけては記録していく。


 しかし、今日は少しばかり白熱してしまって、イヴ殿の似顔絵を横に描いてしまった。


「やはりイヴ殿は格好良くて可愛いな……」


 その綺麗な翡翠の瞳も、天使のような愛らしさも、人間離れした剣技も。


 少しあどけなくて、でも苛烈で厳しくて……


 惹かれてしまうものなのだ。


「どうにか、イヴ殿をもっと知ることができないだろうか……」


 謎が多く、どんな生を送ってきたのかすら分からない。


 途轍もない戦争の時代を生きた英傑ということはアルデン殿やノルン殿から聞いたが、本人から聞いたことは一度もない。


 

 私は日記を閉じて、寝室のベッドに横になった。


 とても温かくて、睡魔がすぐに押し寄せてくる。



 束の間の幸せ。

 それでも、私は……生きて明日を迎えたい。


 仲間と一緒に、横に立てるように。



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 最近ご飯が美味しい。


 家も貰えて、醇風な生活を送れる……


 はずもなく……


 ただただアーロンさんにボコボコにされる毎日を送っていた。


 しかし、何故か目覚めた新しい力によって戦えるようにはなった。


 弓で放った矢に自分が望む効果を付与するといった力の使い方が頭に流れ込んで困惑したけど、今ではある程度慣れてきて色々と役立っている。


 今日の訓練も終わったことだし、お風呂に入ろ……



「ふわぁぁ」

 

 ぽかぽかして温かい。


 疲れた体に染み渡る。



「ねみぃ……」


 私がお風呂に浸かっていると、イヴさんが入ってきた。


 なんというか、酷く眠そうにしている。


 そういえばイヴさんが寝てる所って殆ど見たことないような……


 ずっとダンジョンに潜っていたり、誰かを指導していたり、絶えず活動している。


 アルデンさんが言うには、中層三十階への下調べを何度も繰り返して、対策案を書き記しているのだとか。


 一度書斎で仕事しているところを見たけど、びっしりと中層のダンジョンの地図が書き記されてあった。


 イヴさんって絶対寝てないよね……


 私は気配を殺して、自然体のイヴさんを観察しながらそんなことを思っていると、


「今日は一ヶ月ぶりに寝るかなぁ」


 そう独り言を呟いていた。


「え……?」


 いやいやそんなまさか……


 そんな寝ずに活動できるなんて、生き物としてどうかしてる。

 

 ただ、イヴさんが同じ生き物かどうかは非常に怪しい所。


 私はそんな失礼なことを考えていた。


「あれ、アリアじゃん。気配消えてたから気が付かなかった……なんというか射手というよりかは暗殺者っぽくなってきたな」


 眠そうに目をこすりながら、こちらに視線を向けることなくイヴさんがそう言う。


 その言葉に最近の訓練が生きてきたなあと感動した。


 しかし、お風呂場という最も警戒をしない場所しかも一ヶ月間寝ない状態なのに全力で気配を消して気が付かれるってどういう感知能力してるんだろ……


 一瞬だけ気づかれなかったとはいえ、本当に底が知れない。


 イヴさんが体を洗い終わって此方に歩いてきて、すぐ隣に入ってくる。


 なんというか、こんな無防備なイヴさん見たことないから新鮮だなあと思った。



 そんなほわほわしてるイヴさんを眺めていると……


「あれイヴ殿とアリア殿じゃないか。訓練以外で一緒にいるのは珍しいな」


「ふゎぁ、まあずっと忙しかったしなぁ……」


 イヴさんはか細い声で眠そうに答える。


 これは相当お疲れみたい。


「なんというか、珍しいな……」


 その様子にジャンヌさんも少し驚いている。


 いや、珍しいと言うより今まで一度もなかったと言うべきだと思う。


 やっぱりイヴさんは少し距離を空けて私たちと接してるみたいだったし、警戒……とはまた別の、なんて言ったら良いか分からないけど、そんな空気感を持っていた。


 でも今は少しその距離も縮まったように思えた。



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 イヴにとって、自分の弱い部分を見せるということは死を意味した。


 そういう環境で育ってきたというものもあるけど、何より人を殺すことへの忌避は少なからず残っていた。


 それでも自分を強く硬く説得して、自分の本懐を突き進むのが、イヴにとって何よりの防衛本能だった。


 しかし、最近にして師匠ミハイルとの戦いから、少しずつ、ほんの少しずつ……


 自分は独りじゃないことを知って、自分の弱さを、仲間・・に少しずつ見せることにした。


 これが不器用な孤独な少女イヴなりの、歩み方なのだ。


 

 そんなイヴは、アリアとジャンヌと三人で川の字になるように、横になり眠りについた。

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