第2章: 零れたミルクを嘆く
2-1: あれから一週間
ただ――――、だからといって、何かが変わったかと訊かれれば、正直何も変わっていない気がしてしまう。中学校と高校での授業風景にそこまで大きな変化を感じなかったのと同じような感覚だ。
フウマは相変わらずサッカー大好き少年をしている。部活が休みの日だって大概は部活のメンバーとサッカーボールを蹴っている印象しかないし、それ以外の日常風景だってアタシに対して無駄に突っかかってくるのは変わらない。
よくよく考えれば、その回数はほんの少しだけ減ったような気がするけれど、どうにかがんばって変わったところを探した結果考えれたモノでもその程度だ。『もう少しはナミのことを見てあげなさいよ』くらいのことを言ったってバチは当たらなさそうな気はしているけれど、そうはしたくない気持ちの方が勝ってしまっていた。
ナミもナミで、お付き合いを始める前と後で何かが変わったようには見えなかった。ベタベタするようなこともなく――と言っても、ナミが元々そういうタイプの娘ではないけれど――過度に照れたりすることもなく、相変わらず年相応よりちょっとだけ上に見られる程度の落ち着きを保っていた。
せめてフウマのことを呼び捨てにするくらいのことはしてもいいのに、なんて思うけれどそんな様子も無く、以前と同じく『フウマくん』と呼んでいる。
そして、アスト。アタシから見れば、いちばん変わったところがないのは彼なのかもしれない。誰に対しても穏やかな笑顔を見せつつ、休み時間の隙間には何やら本を読んだりしている。フウマに対してもいつも通りに軽くふざけ合いながらも優しくあしらっているし、ナミに対してもふんわりとした笑顔を向けている。
何より、アタシに対してもその態度と雰囲気に、全く変わりは無かった。わざと避けるようなこともなければ、いつも以上に近付くこともない。本当に全く変わりのない、いつも通りのアストだった。
結局のところ、アタシだけがふわふわとした落ち着かない足場の上に立たされているような気持ちになっているだけだった。そしてアタシは、アストの態度に対して、どういう感情を向ければいいか全く解らなかった。
ふたりが付き合い始めたことを知ったあの日、『あんなこと』があったのにそれを全く意に介した素振りも見せなかったアスト。彼は恐らく、あのキスを心の奥底にしまい込んだか、もしくはとっくに捨て去ってしまったのかもしれない。
もしかしたら全く気付いていないという可能性もある。本当に私だけが浮き足立っているだけなんていう哀しい事実が転がっているという可能性がふつうに存在している。
――頬とは言え、アタシにとっては(たぶん)ファーストキスだったんだけれど。
こんなことに思いを巡らせているけど、今は授業中。今日は残すところこの英文法の授業だけ。正直、もうあまり集中力は残っていない。いろんな意味でよくわからない。こんな状態で授業を受けたって身に入らないのは明らかだった。
教室の前の方に座っているアストへ、ぼんやりと視線を送ってみる。
アタシやフウマなんかとは違って、アストはしっかり真面目に授業を受けている。教科書もしっかり開いているし、板書も取っているようだし、入学前の教科書購入のときに一緒に買わされたワークブックにも何やらメモを取っている。残り授業が一コマみたいな状態になったら、ふつうは放課後のことで頭がいっぱいになってくるような気がするのだけれど、どうやらアストにはそういうことはないらしい。そしてそれは、ほぼ同時にアタシの視界に入ってきたナミも同じらしかった。
黒板とアストとナミの間を、アタシの視線が泳いでいく。
――あのふたりが、いっしょに図書室あたりでテスト勉強していたりしたら、きっとお似合いだったんじゃないか。
そこまで考えてしまって、アタシは教科書で壁を作って頭を振った。
それはどう考えても余計なお世話だ。とくに、ナミにとっては。
当たり前だ。どうして友人にそんなことを言われなくちゃいけないのか、って話になる。だから間違ってもアタシがこれを口に出してはいけない。
ただひとつ言えることとして、アタシが今のこの状況に対して、なんとなく息苦しさのようなモノを感じているのは事実らしい。今までそれなりの時間を四人で過ごしてきて、こんなことを思った事なんて無かったのだから。
○
「お昼たべよー」
「おー」
ナミがフウマのところへと駆け寄っていく昼休み。以前から変わりのない光景ではあるけれど、全く不自然さはない。クラスのみんなも、むしろそれが当然だと思っているような気がする。
きっと同じ中学出身で仲が良いグループだと認識されているだろうし、それはそれで問題はない。だけど、その実態を知ってしまっているアタシにとっては――。
「セナー? お昼はー?」
――と、ぼんやりそんなことを考えていたアタシに、その迷いを吹き飛ばすようにナミの誘いが聞こえてきた。
いやいや、ちょっと待って。それはさすがに想定していなかった。
さすがにアタシだって、カレシ・カノジョのランチタイムを邪魔するわけにもいかないし――なんてことを薄ぼんやりと考えていたのに。まさか、そのカノジョさん側から誘われるなんて。
油断と想定外の事態とが重なって、然程回転の良くないアタマはそれでも何とか空回りを始めた。
「ごめん、今日はちょっと……あ、後から食べようって思ってて」
「ん? 何かあるん?」
今度はフウマからのド直球な質問が飛んできた。もちろんそんなものは出任せであって、何の用事も無い。そんな疑問が飛んでくることは、冷静な頭を持っていれば考えられたかもしれないけれど、今のアタシにそんな余裕はなかった。しまったと気付いたのは、口から『後から食べようと思って』という言葉が完全に出て行った後だった。
「うん、まぁ、ちょっとねー」
「ふーん」
あまりにも下手くそなごまかしをしてしまった。何一つ説明なんてできていない。だけど、フウマはとくに興味も無さそうな鼻息を漏らしながら、自分の弁当箱を開け始めた。いつもだったら頭に軽い打撃のひとつでも入れたくなるような態度だったけれど、今日に限ってはコイツのそんな無神経な部分がありがたく思えてしまった。
「じゃあ、まぁ、そういうことだからっ」
「あ……」
まだ何か言いたそうな雰囲気なナミの声が耳に引っかかる。だけどアタシはそれを容赦なく払い落として、勢いのままに廊下へと向かった。
その声は何とか振り払うことはできた気がする。
だけど、振り向く直前に感じたアストの視線だけは、何故か振り払いきれなかった。
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